尚志は蒼天会での日常を謳歌する

号令係

 入門して約一年。

 この頃になると尚志は蒼天会の稽古にも余裕でついてこれるようになっていた。


 今日も道場で稽古前のストレッチと体操を入念に行い筋肉をほぐしていると、いつの間にか大岩宗師が尚志の目の前にいた。

「南郷さん、今日はあなたに号令係をお願いしたいのですが(微笑)」

 意外な言葉に尚志は固まった。

「へっ、あのっ、ほ、本当に僕なんかでよろしいんでしょうか」

「ええ、ぜひその美声でお願いします(微笑)」

「は、はいっ!!」

 緊張を隠しもせずに尚志は返事をした。


 稽古の前と稽古の後。

 号令係の号令によって全員が必ず礼をする。

 秘かに尚志は憧れていた。

 万軍を叱咤する古の英雄や大将軍のようで武張っている感じがたまらないのだ。


 やがて大岩は道場の中央に正座。その他の弟子たちは道場の端に並んで正座。

 全員が道場の正面にある日の丸を見ている。


「正面に礼ッ!!」

 頃合いを見て尚志が怒鳴るように号令をかけた。

 道場内に尚志の声が響いた。

 日の丸に向かい揃って礼をする蒼天会のメンバー。

 それから大岩は体を180度回転し、弟子たちと向かい合う。

「先生に礼ッ!!」

 大岩と弟子たちがお互いに礼をする。

 尚志の号令によって。

 あたかもアレクサンドロスやチンギス・ハン、ナポレオンになった心持ちである。


 こうして稽古が始まり、稽古の締めの号令も同じ様に行われた。

  

「今日の号令係を立派に勤め上げた尚志にカンパ~イッ!」

 地麦ではいつものメンバーが尚志を祝っていた。

「なかなかの迫力だったじゃないか」

 才川が言った。

「イヤ、それだけじゃなくナミちゃんは結構な美声だった、うん」

 堀内も言った。

「しかし、なんで僕なんかに号令係をお願いしたんだろうか」

 尚志は首をひねった。

「おや、わからないか? これは意外だな。ワッハッハ」

 黒田が楽しそうに笑った。

「こりゃまいったね。自覚していないのが尚志らしい。やっぱり天然にはかなわない」

 佐嶋が額に手を当てた。

「尚志はなんでだと思う? 当てずっぽうでいいからその理由を言ってみなよ」

 伊勢が促した。


「う~ん、若さかな。もしくは熱意。でなけりゃ稽古の出席率。あっ、わかりました。将来性ですね、きっと」

 思いつくままに推理を述べる尚志。

 数秒後、居酒屋地麦は笑い声でいっぱいになった。


「イッヒッヒ、今日も笑いの神は尚志に降りてるね」

 腹を抱えて佐嶋が言った。

「切りが無いから答えを言おう。それは尚志が蒼天会で一番の太っちょだからだ」

 伊勢が言った。

「オペラ歌手を見ろ。全員がいい体格をしているだろ。太っている方が声量があるんだよ」

 黒田が言った。

「つまり、僕がデブだから、ってことですか。そんな、だって……」

 尚志は戸惑った。

「がっかりすることはないぞ。声量は体重に比例する。力もまた体重に比例する。太れるのは才能なんだ。自分を卑下するな」

 才川がフォローをした。


「僕は号令係を名誉だと思っているし、憧れてもいました。なので万が一、ダイエットに成功したら号令係は外されるし、おまけに力も弱くなるでしょう。よって今の体重をキープすることを皆とお約束します」

 尚志は厳かに宣言をした。


 後年、恋い焦がれた女性に告白するためこの約束はアッサリと破られた。

 必死のダイエットは見事に成功。

 しかし必死の告白は見事に玉砕。

 尚志の体重がすぐに元通りになったのは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る