非公認、されど黙認

 教室では何人かの生徒が机や椅子を後方に移動していた。

 こうして動けるスペースを作っているのだろう。

「あっ、剣術サークルの方たちですね。僕も手伝いますよ」

 そう言うと尚志も机と椅子を後ろに運んだ。


「初めまして、見学希望の南郷尚志なみさとひさしです。三年生ですがよろしくお願いします」

 動けるスペースが出来てから尚志は自己紹介をした。


「へえ、この時期に三年生が見学とは余裕がありますね。僕は二年の工藤です。メガネをかけている向こうの彼は同じく二年の鈴木です。もうじき上杉先生も来られるので適当に座っててください」

 工藤はまだあどけない顔立ちの少年と言っても差し支えなく、鈴木はぽっちゃりとしたオタク風の若者に見える。

 鈴木は尚志に向かって会釈をした。

 尚志も会釈を返した。


 彼らは清掃用具が入っているロッカーから木刀を数本出して机の上に置いた。

 よく見ると握る所に『天真正伝香取神道流てんしんしょうでんかとりしんとうりゅう』と銘が彫ってある。

 工藤と鈴木はそれぞれ一本ずつ手に取るとスペースの真ん中で向かい合い蹲踞そんきょしてからチャンチャンバラバラと組太刀を始めた。

 彼らはとても剣の達人には見えないのにビュンビュンと剣風が発している。


 <これが香取の剣か……>

 その迫力に尚志は魅せられていた。

「いかがですか? サークルにしては結構本格的でしょう」

 突然、横から上杉に話しかけられ尚志は驚いた。

 熱心に見学したにせよ、いつの間にか気配を感じさせずに横に立っていた彼はやはり只者ではないのかもしれない。


「はい、こんな武張ったサークルがあるならもっと早く入りたかったです。学校の掲示板はかなり注意をしていたんですが見落としていたようです」

 尚志はお世辞抜きで言った。


 このK学園において、すべての学生は掲示板を見る習慣になっている。

 理由として、求人情報や定期試験の時間割り、追再試の日程など大事な情報はすべて学内の掲示板に貼り出されるのだから無視などできるわけもない。

 また掲示板では各種勉強会やサークル募集のお知らせも常に貼ってあった。

 例えば、中国医学の古典である『素問そもん霊枢れいすうを読む会』という真面目なものから、『仙道・気功・方術・霊符で不老長寿を追求する会』なんて怪しげなものまで掲示板に貼ってあるのだからK学園の懐は深い。

 しかし、毎日掲示板を見ている尚志は『香取神道流』の募集を見かけたことはなかった。


「それは君が見落としていたのではありません。掲示板に貼れなかったのです。そもそも学校から正式なサークルとして認められなかったので。ですが粘りに粘って何とか黙認ということにしてくれました」

「えっ、どうして!? 他の怪しいサークルは認められているのに」

 尚志は思わず大声を出した。

「まあ、私はこのように活動ができれば形なんかどうでも良いのです。さらに言うなら香取神道流は専門学校のサークルなんかで教えてはいけない剣です。しかしO先生に対し粘りに粘って何とか黙認ということで許してくれました」

 どこか得意げに胸を張って上杉は言った。

 尚志はこの上杉という先生を心底から見直した。

 そして、自分の”人を見る目”のなさはもうどう仕様もない、と嘆いた。


「ところで、君。香取神道流がどんな流派かはご存知ですか?」

「いえ、名前だけは聞いたことがあるのですが詳しくは……。不勉強ですみません」

 上杉に訊かれたそう答えるしかなかった。 

 武張った小説やマンガが好きな尚志でも、香取神道流を扱う作品を読んだ覚えはない。

 せいぜい、『日本剣術史辞典』のような類いを図書館でパラパラとめくった程度である。


「今残っている剣の流派では一番古いんですよ。それに黒澤映画の殺陣たてはほとんど香取神道流が指導してるんです」

 さっきまで稽古をしていた鈴木がドヤ顔で教えてくれた。

「知識があるからってすぐに出しゃばるのはお前の悪いクセだぞ。先輩、こいつが失礼しました」

 工藤もやって来て鈴木をたしなめたが、その後にお互いがキックやパンチを出してじゃれ合っているのを見ると本気で怒ってはいないのは明らかだった。


「いや、学年も歳も僕のほうが上だけどここでは君たちが先輩です。剣術は初めてですがよろしくお願いします」

 尚志はペコリと頭を下げ、工藤と鈴木も頭を下げた。

「先輩は何の格闘技を? 体つきを見ればわかります。いや待って、やっぱ当ててみせます。う~ん……、相撲かな、いや意表をついてラグビーやアマレスかな」

 鈴木は懸命に考えていたが一つも当たっていなかった。

「剣術をいきなりやろうなんて人は少ないんです。大抵は体術系を一通りやったのが剣術に入ってくるんです」

 工藤が言った。

 だとすると、工藤も鈴木もああ見えて武道経験者なのだろう。

 尚志の人を見る目のなさは相変わらずだった。


「もしこのサークルで学ぶ気があるなら後で入会申込書にサインをして下さい。非公認だけど剣を学ぶ道場に違いはありません」

 上杉は笑みをたたえて言った。

 なんともいい笑顔だった。

 おかしいと評判の上杉だがどこがおかしいのか、と尚志は思った。

「はい、後とは言わずに今すぐサイン致します!」

 二つ返事で尚志は答えた。

 サークル活動のために勤務時間を減らさなければならないが、構うもんかと尚志は思った。


「ウチは居合いの稽古もあります。適当なおび模擬刀もぎとうを持ってきて下さい」

「はい!」

 正直、模擬刀も買えば安くはないだろう。

 苦学生の尚志にとっては少しの出費も痛い。

 今日から間食と夜食を控えて食費を抑えよう、と尚志は決意した。

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