権左よ、泣くな!

 今年も恒例の夏合宿が行われた。

 驚くべきことに、参加者の約三割は海外からはるばるやって来る外国人である。

 もっとも蒼天会は世界中のあちこちに支部があるのだから当然といえば当然である。

 加えて、昔から大岩宗師は請われて全国の米軍基地に指導に赴いている。

 彼ら外国人にとって蒼天会の合宿は、より合気を理解するための学びの場であり、親睦を深める機会であり、一年に一回のお祭り騒ぎであった。


 この合宿のために万難を排して日本にやって来た熱意ある猛者たちに圧倒的に人気があったのは才川だった。

 人外じみた真の合気の実力には、他の格闘技経験者や筋骨隆々のタフガイもねじ伏せられていた。

 彼らはこぞって才川のフリーを受けたがった。

 さらに才川は簡単な英会話ができるので意思疎通も問題ない。

 せっかくの貴重な時間を費やすのだから、実力ある者から習いたいのは当然のこと。


 だが、面白くないのは蒼天会本部の古参の弟子たちだった。

 確かに彼らは才川より段位が上である。

 ただ悲しいことに実力がない。

 もちろん外国から来る手練たちは、こんな奴らを歯牙にも掛けなかった。

 この事が後々、蒼天会に嵐を呼ぶ原因となるとは才川をはじめ黒田、佐嶋、伊勢、堀内、尚志は知る由もなかった。


 夏の合宿が終わっても一部の外国人は東京本部に通い続けた。

 その中の一人、ミゲル・ゴンザレスは特に熱心だった。

 口ひげを生やしている陽気なメキシコ系アメリカ人。

 身長は百七十センチそこそこ。

 体重は百キロ前後。

 推定年齢は三十前半。

 ずんぐりむっくりな体型はお世辞にも格好良くはない。

 しかし筋金入りの軍人で、海兵隊の時に怪我をして今は衛生兵として米軍基地に務めているらしい。

「ワタシの予定はFBIに転職するか、CIAのエージェントになるかもです。エライ人から誘われています」

 日本語が少し話せる彼は冗談交じりにうそぶいていた。


 いつも陽気でニコニコしている。

 日本語でくだらない冗談をとばす事もできる。

 独特の親しみやすい体型もあってミゲル・ゴンザレスはいつの間にか”権左ごんざ”という愛称で皆から呼ばれるようになっていた。

 つまり権左は蒼天会の人気者だった。


「どこまでが本当なんでしょうね。権左の経歴って。海兵隊にいたとか、FBIやCIAからスカウトされているなんて」

 ある時、尚志は才川に訊いた。

「おそらくは本当だろう。眼や雰囲気でわかる。権左は結構な修羅場をくぐっている。日本語ができるのも諜報活動におあつらえ向きだ。ニコニコした雰囲気にごまかされちゃダメだ」

 才川の意外な高評価に尚志は驚いた。

「南郷くん、権左のような体型の奴とは決してケンカをするな。肩幅と腹の幅が同じだったら要注意。何かあったらすぐに逃げろ。俺の経験上ああいう寸胴タイプは重心が安定していて厄介だ。鍛えられた逆三角形の体型は一見強そうだが実はそんなに大したことはない」

「へえ、僕も権左と似たような体型なので嬉しいです。勉強になります」

「一般稽古の時の彼は合気の”あ”の字もない。合気はセンスだから習得は無理だと思う。が、あの怪力なら柔術として役立てるのも可能だろう」

 才川による権左の見立てはこんな具合だった。


 権左は一般稽古をする時はほぼ才川の列に並んでその怪力ぶりをいかんなく発揮した。一般稽古が終わると才川のフリーを受け、さらに黒田のグループに入って自主稽古を行い、時には伊勢と実戦的なスパーをする。

 稽古終わりには地麦にていつものメンバーと酒を飲み交わす。

 その行動パターンは尚志と丸っきり同じであった。

 体型が似ていることもあって、尚志と権左はお互いに特別な仲間意識を持つようになっていった。


 ――そんなある日。

「大丈夫? お腹の調子でも悪いの? 今日は元気がまったくないから皆が心配してるよ。僕だってさ、悩みがあるなら聞くことくらいはできるから。ほら、地麦のマスターも権左の好きな『厚焼き玉子メキシコ風』をこさえてくれたことだし。さすがにテキーラはないけど、この熱燗をグッと飲み干せば少しは気分も晴れるよ。さあ」

 ここ、地麦では尚志をはじめ皆が権左を元気づけようとしていた。

 権左の様子が明らかにおかしい。

 この世のすべての負のオーラを一人で背負っているような雰囲気。

 普段から陽気な人が落ち込むと目立つことこの上ない。


「ワタシ、日本に恋人います。結婚を誓いました。こないだ、彼女、ヨーコの家に挨拶に行きました。そしたら、ヨーコのパドレお父さんに反対され……。ウゥッ」

 目に涙を浮かべ泣き出した権左に対して、全員がそれぞれ助言をし、慰めた。

 しかし、権左はメソメソと泣き続けるばかり。


「わかった。俺が力になる。そのお父さんに会って権左の人柄を保証しよう。俺はそこそこ顔も利くし力も持っている。だから安心してほしい」

 才川の自信満々の言葉を聞いた権左は、

「すべて才川さんにお願いします」

 と言って、厚焼き玉子メキシコ風を立て続けに口に入れた。

「それで、お父さんの家はどこに?」

 才川が訊いた。

「神奈川県です。大きい神社です。パドレお父さんは神主です」

「あっ! つまり恋人は神社の娘か。それはさすがの俺でも無理だ。すまない権左。前言を撤回する。許してくれ」

 才川は頭を下げた。

 権左は肩を落とした。

 大きく深呼吸すると権左は背すじを伸ばし微笑んだ。

「ワタシは愛の力を信じます。神さまが許すならきっと結婚できます。さっきは情けないところを見せてしまい、謝るのはワタシの方です。お詫びに今日はワタシがここの会計を全部払います。皆はワタシのトモダチです」

 権左はもう泣いていない。

 迷いが消え運命を受け入れた男の顔立ちは涼し気で、いっそ見とれてしまうほどである。

 こういう武張り方もあるのだな、と尚志は感じ入った。


 ――数日後。 

 道場に権左の姿はなかった。

 たまには稽古を休むことだってあるさ、と尚志は呑気に考えていた。

 しかし、それ以来権左を誰も見ていない。


 事の顛末がわかったのはそれからしばらくしてだった。

 なんでも、急な任務のため本国に帰国しなければならず、別れの挨拶をする間もなかったらしい。

 道場中がこの話で持ち切りだったので尚志の耳にも自然と入ってきた。

 権左のいない道場は活気がなかったが徐々にその雰囲気にも慣れていった


 ある初秋の日。

「稽古の前に皆さんにお知らせがあります。今日、ミゲル・ゴンザレスさんから蒼天会本部にお便りが届きました。休暇を利用して今度また日本に来るそうです。やっとの事で恋人のお父さんを口説き落とした、と手紙に書いてありました。神社で結婚式を挙げるそうなので都合のつく方は参加しましょう(微笑)」

 笑顔で大岩が皆に告げた。

 弟子たちから歓声が上がった。

 尚志の胸は熱くなった。

 頭の中に権左の好物だった厚焼き玉子メキシコ風が鮮やかに浮かび上がる。

 チョリソが玉子焼きに巻かれ、付け合せの冷やしトマトとのご機嫌な組み合わせ。

 尚志は思わず舌なめずりをしてしまった。

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