たまには恋の話でも

 すでに警察官採用試験に三回落ちている尚志だが、まだ夢は捨てていなかった。

 日中はバイト、夕方から稽古。

 その合間を縫って採用試験用の勉強をしていた。


 この時点での尚志のバイト先の様子を説明してみる。

 簡潔に言えば、とある特急の車内販売の売り子さんをサポートする雑用係。

 

 この車内販売は原則として妙齢の美女しか雇わない暗黙の了解があった。

 女性のお色気で売り上げを伸ばす販売戦略は単純だが確実に効果がある。 

 スチュワーデスの専門誌にも求人広告を出しているのと、ここで車販をやっていると採用試験で有利だという口コミもあってキャビンアテンダントに憧れを持つ夢見る女性がここのバイトに殺到してくる。

 尚志の職場が選びぬかれた美女で溢れているのは当然の成り行きだった。

 

 対して、彼女たちをサポートする雑用係は男ばかりである。

 こちらは裏方なので美醜は問われない。

 尚志のような太鼓腹の巨漢でも働くことができた。

 

 もちろん、尚志以外の男性陣は必死で彼女たちに猛アピールをした。

 流行りの髪型にして、お洒落な服装。

 どうにかして連絡先を聞き出そうとしてプレゼントを贈り、飲み会を企画した。

 とうとうフェロモン入りの怪しい香水をつけはじめる者まで出始める始末であった。


 だがその努力は空しく、すべてが徒労に終わった。


 キャビンアテンダントを志している美女は彼らを男として相手にしていない。

 根本的に住んでいる世界が違っていた。


 そのことをよく感じていた尚志はモテようとも思っていなかったし、女性ウケするための努力もしていなかった。

 <無駄な努力は疲れるだけだし、なにより女に色目を使うなど武張っているとは言い難いではないか>

 そう思っている尚志は、汗臭く泥臭くぶっきらぼうで、服も靴もボロボロだがまったく気にせず堂々としていた。

 そして生乾きの柔道着を職場のキッチンルームに干しては度々上司に怒られていた。


 そんな尚志だが不思議にも女性たちとの仲は悪くなかった。


「南郷くんも警察官を目指してるんですって。しかも再挑戦。私もキャビンアテンダントの採用試験に落ちたけどまだあきらめていないわ。あなたと私は同志ね。お互いに頑張りましょう」

 元気で気さくな職場のアイドルからは励ましを受けた。


「今度、皆で鍋パーティをしましょう。私の部屋で。もちろん南郷くんも参加するでしょ。ああ、男はあなた一人だけの予定だから。こないだの鉄板焼パーティでは大量に食べ物を残したからたくさん食べそうな南郷くんを誘っただけで特別な意味はないわ。でもこれが縁で誰かと恋人同士になったりして。ウフフフ」

 世話好きで姉御肌のリーダーからは鍋のお誘いを受けた。


「キミは腕に覚えがあるんだって。ボクも今キックボクシングを習っているんだ。今度練習に付き合ってよ、ねえ」

 さっぱりとした体育会系でボーイッシュなショートヘアのボクっ娘からはスパーリングパートナーに指名された。


「こないだビンゴで大きなマグカップをもらったんだけど使う機会がないから南郷くんにあげる。大きな体に大きなマグカップはよく似合うと思うの。ぜひ使ってみて」

 品があって清楚なお嬢様からはマグカップをいただいた。


「最近、怪しい男に尾けられているの。一応、警察には相談したけど事件が起きないと動けないようだし。だからお願いだから私の部屋まで一緒に帰って。そうだ! 柔道着は私が洗濯してあげる。大きい柔道着がベランダに干してあればカモフラージュになるし。いいアイデアでしょ」

 帰国子女の才媛は尚志にそんな提案をした。


「Chu! おはよう、尚志♥  とっても熱い私のモーニングキッスの味はどうかしら? おかげで朝に弱い尚志もすっかりお目覚めね。これから毎朝起こしてア・ゲ・ル」

 情熱的で好奇心旺盛、かつ天真爛漫な妹タイプの少女にうっかりメールアドレスを教えたら毎朝”おはようメール”が届いて尚志は閉口した。


「聞いたわよ。アンタ近頃は色んな女の子にちょっかいを出しているって。いい加減にしときなさい。刺されないうちにね。それがイヤなら私たちに罪滅ぼしをなさい。そうね、痴漢をやっつけるための関節技なんかを教えたら皆が喜ぶんじゃないかしら」

 いつも尚志を目の敵にして容赦なくイヤミを浴びせてくる生真面目で高飛車なキツイ美女は尚志に無理難題を命じてきた。

 

 総じて、バイト先での尚志は斯くの如しであった。


 * * * * *


「権左の奴、上手くやりやがったな。結婚までこぎつけるなんて」

 生ビールを一気に飲み干してから黒田が言った。

「海兵隊仕込みのド根性が不可能を可能にしたんだ。 なんにせよめでたい。安心した」

 タバコを一服してから才川が言った。


 ここ、居酒屋地麦では権左の話題で持ちきりだった。


「伊勢さんもそろそろ? 付き合って長い彼女がいるって聞いたけど」

 堀内が訊いた。

「俺も権左に続くよ。来年の春には結婚するから」

「「「おめでとう!」」」

 皆が伊勢を祝福した。


「となると、この面子で独りモンは尚志だけか。そのあたりは色々とどうなんだ?」

 黒田が訊いた。

「僕なんて就職もできない、うすらでかいだけの男です。相手にしてくれる人なんてとてもとても」

 尚志は正直に答えた。事実、恋愛どころではない。


「尚志の職場にキツめのべっぴんさんがいて、毎回尚志に絡んでくるって聞いたけど。その話をもっと詳しく聞きたいな」

 佐嶋が言った。

 前に、そのことで佐嶋に愚痴を言ったのを尚志は思い出した。


「ああ、実は例のキツメの人から痴漢を懲らしめるための関節技を教えるよう頼まれまして。手加減をしたつもりが、彼女にとっては強すぎたようで泣かせてしまいました。それからというもの、『本当に訴えてやるんだから』とか『責任をとって』なんて、顔を合わせるたびに恨み節を吐かれるので往生してます」

 尚志の言葉に皆が笑った。

「女を泣かすなんて! 意外と隅に置けないな、ワッハッハ」

 黒田が言った。

「そりゃ責任を取らないと。その彼女は尚志に気があるんだよ。へっへっへ」

 伊勢が言った。


「そんなに笑わなくても……。そうだ、他の人の恋バナを聞きたいな。僕だけじゃなく。と思ったけどやっぱりいいです。だって失礼ながらこのメンバーでは恋バナができそうな人はいないでしょうし」

「そんな事ないぞ。例えば、才川さん。この人は一人の女性を追って世界中を回ったことがあるんだ」

 尚志の発言に対し黒田が予想外なことを言い出した。

「えっ! 本当ですか? 才川さん、よろしければぜひ聞かせてください」

 尚志は目を輝かせている。


「わかった。ただ、いわゆる恋バナとは違う。追いかけた女性はS信F子。名前くらいは聞いたことがあるな」

 才川は勿体ぶらずに話してくれた。

「ええっと、聞いたことがあるような、ないような……。あっ! 日本赤軍の。国際手配されたっていう」

 まさかの大物の名前に尚志は驚いた。

「上からの指令、俺自身の武歴、援助してくれる組織。そういうのが絡み合って世界中のあちこちを回ったがモロッコで追跡の旅は終わってしまった」

「なんでですか? 向こうの方が一枚上手だったとか」

「いや、そうじゃない。モロッコのカジノで遊んでいるうちにスッテンテンになってしまった。後輩や若い衆に連絡してなんとか金を送ってもらって無事に帰国できた。フフフ、あの頃は俺も若かったな、フフフフ」


 あまりにもスケールの大きい話に、すでに尚志は恋バナなんかどうでもよくなっていた。

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