佐嶋の冗談、および突貫

 門弟の中で一番強いのは誰か?

 仮にこんなアンケートを蒼天会で取ったら、まず筆頭に上がるのが才川。次に黒田。この二人で結果を二分するだろう。


 では門弟の中で一番ユーモラスなのは誰か?

 この問いに関してはおそらく満場一致で佐嶋の名が上がるのは間違いない。


 いつもニコニコしていて愛嬌のある表情でおどけている。

 地麦で飲んでいる時も確実に笑いを取っていく。

 それどころか稽古中にも冗談を飛ばし、周りを笑わせるのだ。

 真剣でなければいけない場面だが、なぜか佐嶋にはお咎めなしだった。

 ちなみに技に関してはどう贔屓めに見ても可もなく不可もなくといったところ。


 最近、尚志は佐嶋にしょっちゅう絡まれて辟易としていた。

 就職浪人であることやアンコ型の体型をスキあらばイジってくる。

 のみならず、稽古で列に並んでいる時ですら、

「おお、癒やされる。なんと気持ちよく膨れたポンポン」

 と言っては尚志の腹をタッチしてくる。

 たまたまバイト先で嫌味な女にネチネチ言われイライラしていた尚志はたまりかねて、

「いい加減にしろ!」

 と佐嶋の背中にもみじを作らんばかりの張り手をした。

 ”バチィィン”という音が道場内に響いた。

「ウッ!」

 と悶絶する佐嶋。

 <しまった、やりすぎたか>

 一瞬、尚志は焦った。

 だが、皆はそのやり取りを見て笑っていたのだから蒼天会の懐は実に深い。


「尚志は存在自体が冗談みたいなもんだからさ、佐嶋さんにとっちゃ冗談仲間か冗談のライバルだと思われてんだよ。いずれにせよ悪気はないんだからあまり目くじらを立てないでやってくれないか」

 その出来事があった帰り道、黒田は尚志に言った。

 もちろん、佐嶋は悪い人間ではない。

 むしろその笑いを愛する姿勢は好ましく思っている。

 稽古の邪魔さえしなければ、だが。


 佐嶋に関する噂は聞かずとも尚志の耳に入ってくる。

 この四十代で五分刈りの男が実は税理士だと知った時は何の冗談かと驚いた。

 それも都心の一等地で佐嶋税理士事務所を開業しているというから半端ではない。

 人を見た目で判断するまい、と尚志は肝に銘じた。


「知っているかい、ナミちゃん。前に、佐嶋さんが才川さんのフリーを受けた時のことを」

 ある時、堀内が尚志に言った。

「それは気になります。どうなったんですか?」

「思いっきり突っ込んでいったが子供扱いされてた。おまけに喘息の発作を起こしたんだ。あん時はびっくりしたよ。それ以来、才川さんのフリーを受けたがる者はいなくなってしまったんだ。才川さんだって来る者は拒まずなのに。今じゃ俺とナミちゃんだけだよ。寂しいもんだ」

 これを聞いて思わず尚志はニンマリと笑ってしまった。


 次の稽古の日、尚志は道場に佐嶋の姿を見かけたので話しかけた。

「やあ、聞きましたよ。昔、フリーを受けたら喘息の発作を起こしたんですってね」

 尚志は何気なく爽やかに話したのだが、佐嶋の表情はサッと瞬時にシリアスに変化した。

「……誰に聞いた?」

 いつものおどけた態度はどこへやら、怒気をはらんだ低い声で静かに答えた。

「いいじゃないですか、誰からでも。皆知っていることですよ。もしかして喘息の発作が出たことを気にしてたんですか? それは恥でも何でもないですよ。そんなにカリカリしないで下さい。佐嶋さんなら得意のジョークで返してくれると思ったんですけど期待はずれだったかな」

 これは明らかに仕返しだった。

 いつもからかわれている尚志の逆襲だった。

 だがドロドロした怨念はそこにはなく、あたかも年の離れた兄にじゃれるような甘えがあるだけである。


「イッヒッヒ、そうだな。尚志の言うとおりだ。僕としたことが。昔、黒田さんに教えてもらったんだ。『いいかい、佐嶋さん。合気っていうのは心に余裕がないとダメだ。言い換えれば遊び心でありユーモアだ。真面目に真剣にやると余計な力が入って合気から遠ざかる。特に肩に力が入りやすくなる。だから笑顔だ。表情筋からゆるませるのが手っ取り早い』って。だから黒田さんはいつも笑っているだろ。僕もそれを目指している」

 笑顔で話す佐嶋からはすでに怒りは消えていた。

 予想以上に貴重な教えを聞けて尚志は満足だった。

 と、同時になぜ佐嶋がいつも冗談を言っておどけていたのか理解できた気がした。



 しかし、まだ理解できない謎がもう一つ佐嶋にはあった。

 それはとてつもない踏み込みの速さである。

 稽古の際、に近づいて技を受けるのだが、あたかも短距離走のスタート時のようなダッシュで全力で向かってくる。

 雄叫びを上げて突っ込んでくる様は正しく捨て身の特攻であり突貫とっかんであった。

 なので、タイミングが合わないことがままある。

 才川や黒田の列に並んでいる場合は皆慣れっこなので問題はない。

 たまに気まぐれで他のぬるい列に並ぶとそれはもう目も当てられない状態になる。

 ちょっとした激突。悲鳴と苦情。

「まったく、あの火の玉小僧は……」

 他の列の惨劇を見て嘆く才川はどこか嬉しそうでもあった。


「なぜ突貫するかって? そりゃ僕のクニが鹿児島だから。皆知っていることだよ。ああそうか、尚志とはまだ付き合いが短いからそんなことを聞いたんだな」

 地麦で酒を飲みながら佐嶋が答えた。

「……? どういうことです?」

 問いを発した尚志は首を傾げた。

 どうやら尚志以外の皆は事情を知っているようだ。


「イッヒッヒ、しょうがないな尚志は。よし、ヒントをやろう。おおい、大将! さつま揚げを一つ」

 佐嶋がツマミを注文した。

「あっ! やっとわかりました。鹿児島といえば薩摩示現流さつまじげんりゅう薬丸自顕流やくまるじげんりゅう!」

 尚志は手を打って大きな声を出した。


 ”薩摩示現流”と”薬丸自顕流”の名は尚志も知っていた。

 どちらも薩摩に伝わる有名な剣の流派。

 この二流派は厳密に区別されるべきだが、共通点も多い。

 ・ものすごい勢いで敵に飛び込み初太刀を浴びせる。

 ・独特の叫び声を上げながら斬りかかる。この叫び声を猿叫えんきょうという。

 ・初太刀に全身全霊をかける。二の太刀はいらない。

 ・薩摩の初太刀は外せ、と近藤勇は新選組に命じた。

 ・この初太刀を受けようとすると受けた刀ごと切られたり、峰や鍔が頭にめり込んで死ぬからである。

 

「へぇ~、スゴイ! 佐嶋さんが猛ダッシュで突っ込んでくるわけがわかりました。どちらの流派かはわかりませんが実はジゲン流の遣い手だったんですね。おみそれしました」

 興奮して尚志は佐嶋を尊敬の眼差しで見た。

「イヤ、僕は薩摩示現流も薬丸自顕流も習ったことはない」

「へ?」

 戸惑う尚志を見て皆は笑っていた。

「薩摩隼人に生まれたからには敵や困難に向かって全力でぶち当たる突貫精神を皆が持っている。剣術なんて習うまでもない。どうだ、がっかりしたか?」

 胸を張って堂々と述べた佐嶋の表情は少しおどけていた。

 

 <そうか、佐嶋さんもまた武張っている一人の男だったんだな>

 尚志はこの時、佐嶋という男を理解した。

「いいえ、とんでもない。佐嶋さんの突貫精神を見習って、僕のままならぬ人生に対しても全力でぶち当たっていきたいです」

 尚志は真面目な顔で答えた。

 途端、皆は吹き出した。

「イッヒッヒッヒヒィ、あんまり笑わすな。ままならぬ人生だと? 就職浪人をしながら道場通いなんて人生、羨ましすぎる。やはり僕が見込んだだけあって笑いを取っていくじゃないか、クソ。イッヒッヒッヒッヒィ、ヒィヒィ」

 佐嶋はあまりにも笑い過ぎたので喘息の発作を起こしかけたが、気管支拡張剤を持っていたので事なきを得た。



 

 それから数日後、尚志は怒りながら道場に向かっていた。

 バイト先でかなりキツイ嫌味を言われたのが理由だった。

 しかも一度や二度ではない。ストレス解消のはけ口にされている。

 ネチネチ、ガミガミと責め立てる同僚の女の子。

 キツメだが結構美人なのが余計腹立たしい。


 <チクショウ、下手に出てればいい気になりやがって>

 肩を怒らせ、ノシノシと大股で歩く大男は遠目からでもかなり目立つ。


「お、尚志じゃないか。どうした? 随分とご機嫌斜めのようだね」

 途中、佐嶋とバッタリ出会った。

 稽古が始まるまでまだ時間に余裕があったので、公園のベンチに腰掛けて尚志は理由を話した。

「その子はきっと尚志に気があるんだよ。いいな、キツメの美人からの嫌味なんて。もう思い切って告白しちゃいなよ」

「テキトー過ぎるアドバイスをありがとうございます。だけど、あの女の嫌味を思い出すとムカムカしてきます」

 缶コーヒーを一口飲んで尚志は言った。

「まあ、怒るな。嫌味だったら僕だって言われたぞ。とあるフロント企業の決算を粉飾したら、税務署の人から『随分とイジってますね』なんて嫌味を頂戴したよ。イッヒッヒ」

「いくら何でもそれは佐嶋さんお得意の冗談ですよね。ダハハハ。やっぱり冗談じゃ佐嶋さんにはかないません。降参です。ダハハハ」

 スケールの大きい冗談に尚志の心はたちまち晴れていった。

「イヤ冗談じゃないんだけど」

 と佐嶋はつぶやいたが尚志は聞こえないふりをした。

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