第8話
「どうした、佐兵衛。そんな薄着だと風邪引いちまうぜ」
檀家達が次々家へと帰っていき、円乗寺も静けさを取り戻してきた。睦月の風が枝を揺らして庭へ落とした枯葉を掃く仁久は、縁側で立ち尽くしている佐兵衛の姿に気がついた。
「ああ……いえ、どうにも体が火照ってしまいまして」
幼さを残した面立ちに憂い気な眼差し。男色趣味のない仁久ですら思わず見入ってしまう美しい顔だ。若衆として拾われていなければ歌舞伎の女形役者になっていたに違いない。
「おや、そりゃいけねえや。熱があるんじゃねえのか」
「部屋に篭っていたせいだと思います。少し、風に当たっていれば」
佐兵衛は着流し姿である。白粉を塗っているわけでもないのに肌が白いので、傍目からは既に冷え切っているように見える。
「だったら、こっちに来てちょいと手伝ってくれよ。庭は体が冷えるぜえ」
「承知しました」
からかっただけのつもりが大真面目な顔で庭へ降りてこようとする佐兵衛に仁久は泡を食う。
「おいおい、よしてくれよお。お前さんが膝でも擦りむいたら俺ぁ和尚様に吊るし上げられちまう」
「そうしたらきっと、もう少し背が伸びますよ。あなたの男前が上がります」
「このやろうッ」
竹箒を振り上げると佐兵衛がくすくす笑った。仁久も可笑しくなってしまい、つられて笑う。
このところ、佐兵衛の様子がどことなく妙だった。元々騒いだり、
佐兵衛の
しかしただひとり、仁久だけは佐兵衛の憂鬱に心当たりがあったのだ。
――お前さんの気病みは、お七ちゃんって子のせいなのかい。
喉元まで出かかった言葉は、佐兵衛の寂し気な横顔を前に消えてしまった。真実そうだとして、それがなんだというのか。
衆道は武士道に通ずるのだと聞いている。武士道のなんたるかを学ぶ前に家を出された仁久には武士道も男色も理解が及ばないが、念者と若衆が主従としての忠義、親兄弟のような仁義によって結ばれているのなら、一日二日の心変わりで解消できるわけがない、とは考えがつく。事実、若衆となってから数年間、佐兵衛は念者に対して情人だけではなく忠実な従者、礼節を持った弟分として仕えてきたのである。いくら生臭の仁久でも、人道としてやってはならぬことはわかっているつもりだった。
しかし、同時に思うのだ。理屈や規律で想いの丈を抑えきれようものか。佐兵衛が恋をしているのなら、念者への忠義も揺らぎかけるほどの情熱の火がついてしまったのなら、それもひとつの
そも、佐兵衛とて好きで若衆になったかは怪しい。同じ武家とはいえ位が上では逆らえぬのだ。やむにやまれず若衆になって、自分自身の心すらままならぬなんて酷ではないか。
――けどなあ。
佐兵衛の横顔をもう一度見た。寂し気で切なく、見ているこちらの胸まで締め付けられる。そんな顔をしてまでもなお、佐兵衛は自分の心を諦め、念者への忠を通そうとしている。ならば、その意思こそ通してやるべきなのだろう。今はつらい葛藤も、そのうち笑い話に変わるはずだ。ならば自分は、せめてその時まで佐兵衛を支えてやらなければ。
それにしても、こんな不良坊主がなんでこんな真面目なことをらしくもなく考え込んでいるのだ、と仁久は自分で自分を笑った。
「まったく、此の世にゃままならんことが多いよなあ」
仁久の呟きに佐兵衛は怪訝な顔をした。訊ね返そうと口を開いた瞬間、佐兵衛の腹がぐう、と鳴る。
「あっ……」
「ははは、そういや俺も腹がぺこぺこだ」
恥ずかしげに腹を抑える佐兵衛に仁久は竹箒を放り出して言う。
「よし、ちょっくら抜け出して団子でも食べに行こうぜ」
「ええっ。叱られてしまいますよ」
「すぐに戻りゃあばれやしないさ。ほら」
佐兵衛を連れ出そうと手招きするが、廊下の奥から出てきた人影に手を引っ込めざるをえなくなった。
「佐兵衛、探したぞ」
「げっ……」
姿を現したのは浅黒い肌の中年、指導役の僧であった。仁久は彼の僧侶のことを入山した当初から苦手としていた。小僧達をねめつける眼差しがまるで
「……すみません。少し、風に当たろうと思いまして」
佐兵衛は途端に身を固くして頭を下げる。何を隠そう、佐兵衛の面倒を見ているのもあの蟇蛙坊主なのである。
「ふむ。気晴らしは良いが、程々にしておくことだ。修学の刻限である。参れ」
坊主は佐兵衛をじっとりと見下ろすと、踵を返して去っていく。姿が見えなくなったのを見計らって佐兵衛は頭を上げる。唇を噛み、どこか苦しそうな顔であった。
「……そういうことですから。今日はこれで失礼します」
「お、おい」
引き留める間もなく、佐兵衛はすたすたと行ってしまった。仁久はなんだか面白くなくなって、自分で掃き集めた枯葉の山を蹴った。
「あーあ。まったく、空きっ腹で修業したってつらいだけだぞ」
こうなったらあいつの分まで買ってきてやるか、と仁久は庭掃除を投げ出し町へ出かけた。
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