第23話

「わたしはどうなるのですか」

 訊ねてから、わかりきったことを訊いてしまった、とお七は内心自嘲する。

「まだ決まってはおらぬ。だが……相応の裁きを受けることは覚悟せい」

 中山ははっきりとは答えなかったが、それはお七に気を遣ってのことだろう。察したお七は、黙って頷くことしかできなかった。

 恐ろしい。自分はもうすぐ火あぶりにされるのだ。

(当然の報いだものね)

 牢の中でひとり、膝を抱えて時が過ぎるのを待つ。あの夜に着ていた振袖は取り上げられて、代わりに無地の半纏を与えられた。あの振袖はどうなったのだろう。せっかくお慈悲で頂いたものなのに、粗末に扱ってしまった。

 まだ刑が決まっていないからなのか、両親や友との面会は許されなかった。一番心配だったのは両親に対する処遇、娘のお七が罪を犯したことによって累が及ばないかが気にかかっていたが、火事がすぐに消し止められたことで中山が取り計らい、無罪放免となったという。しかし、今頃どうしているのだろう。思えば火事を起こしてしまってから一度も顔を合わせていない。せめて謝ることができれば。いや――本音を言えばまた家族と一緒に暮らしたい。

 寂しい。心細い。

 ゆきはどうしているだろうか。一緒に遊んだり、父が見繕った縁談相手に愚痴をこぼしたり、そんな些細なやりとりをしたのが随分昔のように思えた。彼女の明るい、ときにはかしましいくらいの声をもう一度聴くことができたら、それだけでどれだけ救われるだろう。

 自分の膝を見つめては、延々と同じことばかりを考える。ひとりきりでいるとどんどん考えが暗く沈んでいく。ああ、だけどそれもこれも全て、自業自得による因果であった。

(……佐兵衛さま)

 そしてついにはあの人のことを思い出して、ああいけないとかぶりを振って考えをなくそうとする。佐兵衛のことだけはなんとしてでも伏せておかねばならない。まかり間違って火付改の前で佐兵衛の名を漏らしてしまったら、きっと彼も火付けに関わっていると思われてしまう。それでなくとも、もう会うことは叶わぬと思い知るたびに胸が張り裂けてしまいそうになるのだ。

(忘れなくちゃ。ううん、最初から、あの人とわたしに縁などなかったのよ)

 自分の心に言い聞かせると、両の眼から雫がぽとりぽとりと垂れ落ちた。


「おい、お前、何をしている。お前は確か――」


 外の方から何やら声が聞こえた。なんだか騒ぎが起こっているらしい。

「うるせえ。あの中山某殿からお達しがなかったかよ。俺はに用がある」

「何。い、いやしかし……おい、待てッ」

 どたどたと騒がしい足音が近づいてきた。なんだか恐ろしげな気配を感じたお七は思わず身を固くする。

「ああ、くそ。やっぱり居やがったかよ」

 格子の間から顔を覗かせたのは、よく見知ったごろつきであった。

「吉三郎、さん……」

「手前」

 吉三郎は格子越しに凶悪な目つきでお七を見つめた。突然のことに混乱し、お七は上手く頭を働かせることができない。

「な、あなた、どうして……」

「本当に、手前が火付けしたのか」

 ぶっきらぼうな口調で訊かれるがままお七は頷く。

「まさか、火付けすりゃあ本当に“佐兵衛”とまた会えるって思ったのか。ええ」

「………………」

 きゅうと唇を噛む。そう上手くいくわけがないと今ならちゃんとわかっている。だが……あのときのお七はきっとそうだと信じてしまっていたのだ。

「けっ。手前、馬鹿だ馬鹿だと思っていたがここまでとはな。豚箱で食う臭い飯は美味いかよ。生まれて初めてだろ」

「あ……あなたには関係ありませんッ」

 なんなのだろう、この男は。わざわざやってきて、嘲り笑いに来たというのか。惨めな気分になって、涙が再び溢れ出そうになる。すると、吉三郎は急に口をへの字に曲げた。

「……関係ねえってことはねえよ。手前の火付けのせいで、こちとら火事場泥と間違えられたんだ。無実だってのに縛られて、責問いまでされたんだぞ」

「えっ……」

 取調べで中山が語っていたことを思い出してはっとする。よく見ると、吉三郎はあちこちに生傷をつけて、包帯まで巻いているような有り様だった。そうすると、自分は吉三郎にまで迷惑をかけていたというのか。お七はいよいよ言葉を失う。

「知らなかったってえわけじゃあなさそうだな。けっ。手前みたいな可愛いお嬢ちゃんは手厚く扱われて、俺みてえなごろつきは頭っから疑われて何を言っても信じてもらえねえのさ。今回だってよう、手前が名乗り出てなけりゃあ俺が犯人にされてたんだろうさ」

 吉三郎はいかにも嫌味ったらしく言ってから、きっ、とお七を強く睨みつけた。

「手前、なんで自首なんてしやがった」

「な――」

「みんな言ってるんだろう。なんでこんな若い娘が、どうして、ってよう。隠し通せば誰も手前が犯人とは思わねえだろうよ。そうだ、都合良く罪をなすりつけられる奴だっていたんだ。そうすりゃあ、今頃手前は放免、元の暮らしに戻ってめでたしめでたしじゃねえか」

「それは……」

 全く考えなかった、といえば嘘になる。

 吉三郎が怪しい、と語る中山を見て一瞬頭をよぎった。魔の囁きが幾度となく聴こえた。しかし――

「――わたしが犯した罪ですから。それを他の誰かに背負わせて逃げてしまったら、いよいよわたしは誰にも……佐兵衛さまにも顔向けできなくなってしまいます」

「………………」

「それに……吉三郎さんにも大切な方が居るのではありませんか。帰りを待っていてくれるような人が。吉三郎さんに罪を押し付けたら、その方も悲しむことになるでしょう」

 そんなことをしたら、きっと自分は火あぶりでも足らぬくらいの罪人になってしまうだろう。恐ろしい、心細い、しかしやってしまった以上は償うのが筋というものだ。

 たとえそうやって再び佐兵衛に会えたとしても、そんな自分が佐兵衛と言葉を交わす資格はない――お七は心からそう思っていた。

「………………」

 吉三郎はしばらく黙り込んでいたが、やがてくつくつと含み笑いを始めた。

「……ああ、わかったよ。手前はよう、救いようのない大馬鹿だよ」

 笑っている。しかし――その眼光は思わず身を竦めてしまうほどの怒りが籠っていた。

「帰りを待つ人だあ。そんなもん、ごろつきに居るわけがねえだろうがよ。ごろつきってえのは全ての縁から見限られた奴がなるもんなんだ。俺もとっくに勘当された身よ。俺が死んだところで気にもしない、もしかすると祝い酒でも飲むような連中しかいねえ」

「そ、そんな……」

「手前は物知らずだなあ。何もかも、手前の身の回りの尺度でしか測れねえんだ。同情するか、俺を。哀れで惨めだって悲しんでくれるかよ。俺からすりゃあ、それは手前の方なんだ」

 わからない。どうして吉三郎が怒っているのか――何が彼の逆鱗に触れたのか、お七には全く考えが及ばない。吉三郎が、ならず者と呼ばれるような人間が、一体どのような暮らしをしているのか、お七はまるで考えたことがなかった。格子を隔てた牢の内側でお七は怯えるばかりである。

「わからねえだろうなあ。だからあっさり騙されてくれるんだ。手前がせっせと用意した銭を、俺が何に使ってたか知ってるか。酒、博打、また酒だ。手前の大事な着物や何やらは全部溝に捨てたようなもんだ。もう一銭だって残っちゃいねえ」

「そ――それがなんだと言うのですか。あなたがどんな風に御銭を使おうと、わたしには……」

「そんな奴がよう。わざわざ親切に文を届けては運んできてくれるなんて、本当に思っているのかよ」

 息が詰まった。

「……どういう」

「手前の大好きな佐兵衛さまはよう、寺で坊主と懇ろにやってたぜ。女に手を出してる暇なんざねえ。尻尾振って媚び売って養ってもらうのが若衆の仕事だよ。手前の為に文なんざ書いてたら追い出されちまう」

 嫌だ、それ以上聞きたくない。お七は耳を塞ごうとして、自分の体が動かなくなっていることに気づく。

「恋文ごっこは楽しかったか。百文なんて惜しくはなかったよな。手前が楽しんでくれるように俺も苦労したぜ。馬鹿みてえに哀れぶって、手前の気を引くようなことを考えて。手前の金が尽きたのは惜しいが、俺もやっとつまらねえ仕事から足を洗えたよ」

「……う、嘘。やめてください、変なことを言わないで」

「ああ、なんだったら今書いてやろうか。どうせ死ぬんだ、冥土の土産が欲しいところだろ。最後くらい、大好きな佐兵衛さまと話したいよなあ、ええ。色狂いの大馬鹿娘、お七さんようッ」

「いやあああああッ」

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。そんなはずない。だって佐兵衛さまはずっと。ずっと、わたしと――


 ――騙されていたのよ。


 違う。


 ――全部嘘っぱちなんだ。


 違う。


 ――佐兵衛は、文なんて書いてないって。


 違う。違う。信じたくない。

 だって、そうだとしたら、わたしは――今まで、あの人が語ってくれた言葉は。


「……お前、何をしているッ」

「ちっ、来やがったか。はっ、精々死ぬ前に思い出すといいさ、佐兵衛さまのお言葉をよ」

 火付改達が吉三郎を見咎めたらしい。吉三郎は最後に毒づくと、駆け足で逃げ出していく。

 お七は地に伏せ、ただ泣きじゃくることしかできなかった。

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