第22話
「嘆かわしいことであるな」
時の老中、土井大炊頭もまた、中山からの報告に溜め息をついた。
「その娘で間違いないのだな」
「はっ。左様にございます」
火付け絡みの事件においては町奉行と同等の権限を持つ火付改方であるが、刑を執り行う際は老中にその旨を伝え、許しを得る必要がある。若い娘の不可解な犯行に、老中も困惑を隠せぬ様子であった。
「其方はどう判じたのだ」
「はっ。動機は依然不明ですが、自ら行灯を倒しながら、消火を試みたり周囲に知らせることなく逃亡したのは看過しがたきこと。加えて火付けしたのは睦月に建てたばかりの新築の家。若い娘の悪戯としてもあまりに悪質。法に照らせば、火刑は免れぬかと」
「成る程。免罪の余地はないか」
老中は顎に指をやり、眉根にしわを寄せた。
「……其方はその娘をどう見ている」
その問いに中山はいかに答えたものかしばし悩んだ。火付改としての見解は先に述べた以上のものはない。だが、中山個人の意見となると、どうしても私情が混じってしまうのだ。どのような境遇にあろうと、咎人は咎人。法に則って裁きを下さねばならぬ。そうはわかっていても、中山は迷いを捨てられずにいた。
「……あくまで、私個人の私見ではございますが。火付けはさておき、その後はすぐに自ら火消し達の元に名乗り出ているのです。火事の方も、幸いにも死傷者はございません。これを他の火付けと同等に裁くのは、いささか不当ではないかと」
慎重に述べたつもりであったが、やはり甘い意見であったと中山は己を恥じた。盗賊改である父に恥じぬように若年ながらに気を張って務めを果たしているが、父や老中から弱味を指摘されることもまだ多い。元服はとうに過ぎているが、己はまだまだ若造であると思い知るばかりであった。
「うむ。私も其方と同様に思う」
しかし、老中は珍しく中山の私見に頷いてみせた。
「咎人とはいえか弱い娘。無闇に処刑すれば、民からの非難が集まることであろう。それで我々への信頼が揺らげば、その累は上様に及ばぬとも限らぬ。そして、その風説が他国に知られれば、この国は野蛮で劣っているなどと侵略の口実を作られるやもしれぬ」
「それは……」
娘の身の上だけではなく、
「……中山よ。確かに火付けは大罪だ。しかるべき裁きを行わねばならぬ」
老中はしばらくの沈黙の後、そう切り出した。
「だが……執り行う前にもう一度、その娘の身元を改めよ。裁きに間違いがあってはならぬ。例えば、その娘の齢が確かであるのか。何か行き違いがあるかもしれぬ」
「娘の齢を、でございますか」
老中の謎かけのような言葉に中山は一瞬戸惑い、それが暗に減刑を命じているのだと気づくまでややかかった。
通常、庶民による火付けは火あぶりとされるのが相場だった。しかし齢が若すぎる場合はまた例外である。もしもお七の齢が十五よりも低ければ、火あぶりではなく島流しを執り行うことになっていただろう。
つまり、お七の齢が十四であれば、彼女の命を救うことができるのである。
「……有難き忠言、痛み入るばかりにございます。再度調べ、厳正に裁きを執り行いたく存じます」
「うむ。しかるべき刑を与えるのだ。良いな」
「ははっ」
中山は深く頭を下げ、丁重に感謝の意を述べながら謁見の場を辞した。
吉三郎がようやく元通り動けるようになったのは、拷問を受けてから七日後のことだった。
元々火事であちこちに火傷を負っていたのをろくに手当てもせず、容赦のない責め苦を受けて傷が酷く膿んでしまったのだ。吉三郎を釈放した火付改――その名が中山勘解由であると知ったのは後々になってからである――に紹介された医者に診てもらい、重症にならぬように処置をされたが、それでも身動きするたび体のあちこちに痛みが走る。
「火傷の痕はしばらく残るでしょうが、男前の証ですよ。とにかく、しばらくは養生して過ごしてください」
医者の無責任な言葉に腹を立てながら療養所を後にする。そういえば、医者に診てもらうのも随分久しぶりのことであった。金に余裕がないと風邪に罹ろうが熱にうなされようが医者を呼ぶことなどできない。まして養生など、住む家と食い物に困らぬ者だけの特権なのだ。今回のことも、濡れ衣を着せてしまったから、と費用は全て中山が持つことになっていた。
惨めである。
惨めといえば――吉三郎は痛む体を引きずり、再び火付改の役所に向かう。本音を言えば、もう二度とあんなところには行きたくない。何かの間違いでもう一度牢の中に入れられたらと思うと年甲斐もなく震えあがってしまう。しかし、どうしても行かねばならぬ理由があった。
――お七。
やはりあいつが火付けをしたのか。あの火事の中をどうやって生き延びたのか。何故あんな真似をした。どうして――自分から火あぶりに名乗り出た。とにかく、問いたださねばならぬことは沢山あった。
お七に抱いてしまった妙な情ゆえか。あるいは責め苦によって気が触れてしまっていたのか。段々、“己”というものを見失いつつあることに吉三郎は気づけずにいた。
それ故に吉三郎は、自分の動揺が“お七の死”から端を発していることもわからぬまま、ただがむしゃらにお七との面会を目指したのだった。
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