第21話
やはり、お七という娘が此度の火付けの犯人であろう。
弥生の始め、本郷の八百屋で起こった火事。火付改では当初犯人を現場に居た不審なごろつきであろうと半ば決めつけながら捜査していた。しかし、調べれば調べるほど予断とは食い違う証拠ばかりが出てきたのである。
怪しいごろつき――小野川吉三郎、齢で言えば中山より二、三ほど上の、典型的なならず者である――は家人達の証言によると家中が火に包まれた後になって姿を現した。火が大きくなるまで身を潜めていたのか、と思いきや、どうやらこの男、以前八百屋の主人の娘に妙なちょっかいをかけ、主人から警戒されていたようだ。もう二度と近づかせてなるものか、姿を見せたらただじゃおかねえ、と息巻いて、ここ最近はずっと目を光らせていたというのである。火事の真っ最中ならまだしも、火が付く前にうろうろしていたなら絶対に気が付いていたはずだ、と八百屋八兵衛は断言した。
――それに。こんなこと、まるであいつを庇うようで言いたかないんですがね。あいつ、お七……あっしの娘が居ないのどうの訊いてきて、血相を変えて店ん中突っ込んでったんでさあ。逃げ遅れたのを助けに行こう、ってばかりによう。おかしな話だ、自分で言ってて変な気分ですよ。
八兵衛のほか、妻のお峰や周囲に居た使用人達が同様の証言をしていた。確かに、吉三郎の当時の動きはどうにも辻褄が合わないのだ。
吉三郎が突入したときはまだ火消し達が到着していなかった。八兵衛達が必死で消火に当たっていたが、火の勢いが強く誰も中に入ろうとはしていない。そこを一人で火の中に入っていくなど、これから盗みを働くと大声で叫んでいるに等しい。その上ろくに対策もせずに突入したのだから、焼身自殺を試みているようにしか思えない。実際、火消し達に助け出されなかったら、吉三郎は今頃丸焦げになっていたことだろう。
信じがたいが、吉三郎は真実八兵衛の娘を助けようとして入っていったのだろう。
おかしな点はまだあった。火元は外ではなく、どうやら家の中である。これについてはお峰が証言している。夕餉の準備ができたと娘に声をかけようとしたら、部屋からめらめらと火が出ていた。消そうとしたが到底間に合わず、やむなく使用人や夫に知らせて外へ避難した、と。
調べた結果、娘の部屋から火が出たようだ。行灯が倒れ、その火が畳越しに燃え移っていったとみられる。が、もちろん勝手に倒れる行灯などあるわけがない。しかも、この八兵衛の娘が姿を消しているのだ。無論、現場からはそれらしき屍は出てきていない。
娘はすぐに見つかった。なんと、自ら火付けをしたと火消し達のところに名乗り出ていたのだ。
今年十六になるという若い娘である。当然、火消し達は誰も真に受けなかった。火事で気が動転してしまったのだと考えて、一時的に保護していたのだ。しかし、娘は頑として譲らなかった。火消しから話を聞いた中山達はすぐに向かい、その娘が八百屋の一人娘であると確認した。
――何ゆえこのようなことをしたのだ。
既に自白をしている以上、無闇に責問いをしても仕方がない。取調べにお七は素直に応じた。
――魔が差した、としか言いようがございません。きっとあのとき、お七は気が触れていたのでございます。
――気が触れただけで火付けなどするものか。何か理由があるのではないか。
鬼勘解由、などと呼ばれる中山も、小娘に向かって般若の形相を見せるわけにはいかない。見たところ、何の不自由もなく育てられた様子だ。親子仲が悪いとか、悪い仲間とつるんでいる風な話も聞かない。吉三郎と何か金銭絡みの騒ぎがあったそうだが、それで自分の家に火を付けるのはおかしな話だ。素直で大人しい娘が火付けをしでかすなど、相応の理由があるはずだ、と中山は睨んだのである。
――いいえ。真実、気の迷いなのでございます。今となってはどうしてこのようなことをしてしまったのか、自分でも判じかねます。父や母、他の皆様にも申し訳ないことをしてしまいました。
しかし、お七は一向に理由を語ろうとはしなかった。
気丈な娘である。強面の男達に囲まれ、拷問や火あぶりが待っているかもしれぬとわかっていながら、一度として免罪を乞うたり助けを求めようとはしなかった。泣いて父母に頼りたいだろうに、涙を堪え、しっかりと問いに受け答えている。
それだけに、何故彼女がこのような真似に至ったのか、中山は腑に落ちないでいたのだ。
――本当に、お前がひとりでやったことなのか。脅したり、
――はい。誰も、一切関わりはございません。お七ひとりの罪にございます。
――少し前、吉三郎、という男がお前から金を巻き上げていたようだが。それも関わりのないことであるのか。
件の名前を出した途端、お七の顔色が少し青ざめた。
――い、いえ。吉三郎様に御銭を渡したことは事実です。ですが此度のことにはあの人は一切関与していません。
――吉三郎は火事場泥棒の嫌疑がかけられている。もしも、ほんの些細なことでも心当たりがあるならば申すが良い。
――ございません。全く、思い当たることはありません。
結局、火付改での取調べでは一切訳を話すことはなかった。
「あの娘、吉三郎に惚れていたのではあるまいな」
どうにも得心いかず、中山は小さく洩らした。そうであれば少しは筋も通るのだが、どうもそうではないらしい。
お七は牢の中で静かに過ごしている。このまま行けば遠からず鈴ヶ森に送らねばならぬ。吉三郎はどう考えても怪しいが、お七の単独犯であることは間違いない。いくら哀れに思うたとて、罪を裁かぬわけにはいかぬ。
悩みぬいた末、中山は吉三郎を釈放し、お七の火刑を行うべく時の老中に伺いを立てたのだった。
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