第2話

 天和の大火。

 駒込は大円寺から現れた火の手は瞬く間に江戸中に広がった。数多の家が焼け、生き延びた町人も路頭に迷う羽目となり檀那寺へと駆け込んだ。いくら日頃神仏に背を向けておれど、寝床も食い扶持もいっぺんに失くしたとなれば仏心に縋るしかないのである。

 八百屋八兵衛一家もその例に漏れず、店が再建するまでの当面の間は円城寺に身を寄せることになった。

 八兵衛には今年で十六になるお七という娘がいた。これが大層器量が良いということで町で評判になっていたが、当の本人は色事には興味がないと言い寄ってくる男などまるで相手にせず、また両親が持ってくる見合い話も突っぱね続けていた。

「じゃあ結局、あの縁談はお流れになっちゃったわけ」

 円城寺の一角、女子供に当てられた部屋。お七の恋模様に幼なじみの於ゆきは真剣な顔で訊いていた。

「嫁入り道具だって焼けちゃったし、相手の店も丸焼けだし、でお父っつぁんも諦めたみたい。大きな声じゃ言えないけど、ほっとしたわ」

「なんでよ、勿体もったいないじゃないッ」

 胸を撫で下ろしているお七に対し、ゆきは我が事のように言う。白米よりも人の恋路が好きだというこの娘はたびたび上がるお七の見合い話に首を突っ込んではああだこうだと口を出すのだ。時にはお七自身よりも父八兵衛や見合い相手に憤ってくれる友人の存在がお七にとってはどれほど救いになっていたことだろう。

「だって、京の町の大店の若旦那で、顔も男前だって言うんでしょう。そんなの滅多にいないわ、断る理由はどこにもないでしょうに」

「評判しか知らない、顔も見たことない人のところに行くのは嫌よ。お父っつぁんが勝手に決めた人に嫁ぐなんてしゃくじゃない」

「気持ちはわかるけど、でも勿体ないわよ。ああ勿体ないッ」

 なぜか自分のことのように惜しがっているゆきの後ろの障子戸が開き、お七に似た眼差しの中年の婦人が現れた。

「お七や、こんなところに居たのかい」

「おっかさん」

 八兵衛の妻、お七の母親であるお峰は着古して少しくすんだお七の小袖を見ながら言う。

「和尚様がねえ、ありゃあ徳の高い坊様だよ。焼け出されて着替えもなけりゃつらかろうって、寺で預かってる着物を貸してくださるって。お前もこのところ着た切り雀だったから、何か拝借させてもらいなさい」

「まあっ」

 願ってもない知らせだった。せっかくの年始めに晴れ着を着ることも出来ず、同じ着物にそでを通し続けるのは十六の町娘にはつらい仕打ちである。隣で聞いていたゆきの顔も晴れやかになる。

「なんてありがたいのかしら。お七ちゃん、早く行きましょう」

「うんっ」

 睦月の寒空もなんのその。乙女はふたり、うきうきと本堂へ向かった。

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