第15話

 お七が吉三郎と文を交わしている頃、当の佐兵衛は床に臥せっていた。

 お七への恋心と念者に対する忠心の板挟み、悪徳坊主からの連日の虐待で徐々に衰弱していたところに現れた吉三郎からの悪罵によって佐兵衛の心身はついに限界を迎えた。倒れ、そのまま寝込んでしまい、それ以来床からまったく離れられなくなってしまったのである。

 これには円乗寺の僧侶も大慌てである。世話を任せられたというのにこの有り様では佐兵衛の念者になんの申し訳も立たない。しかし、隠し通せるようなことではない。侃々諤々の論議の末、住職は松前に居る佐兵衛の念者に現況を包み隠さずしたためた文を送らせた。念者は可愛い若衆を大層心配し、予定を早く切り上げて卯月には帰ってくるということになった。

「佐兵衛、元気出せよ」

 円乗寺の僧侶の一人、仁久は一向に回復しない佐兵衛を案じ、日課や勤めの合間を縫って佐兵衛の元を訪れていた。今日もこうしてなんやかやと理由をつけてはやってきたのだが、相変わらず佐兵衛は弱々しく横になっているばかりである。

「…………」

 佐兵衛は仁久を認め、何か言いたげに口を開いたが、結局何も発することなく口を閉ざした。床上の生活が続いてすっかり痩せ細り、声を出す力も失くしてしまってるのだ。

「そうだ、今日は良い報せがあるんだよ」

 と、仁久はいつも以上に明るい顔を装って言った。

「お前に酷いことしてくれた蟇蛙の野郎、破門になったんだ。あの野郎、お前だけじゃなくって他の稚児にも手ぇ出してやがったんだよ。良い気味だぜッ」

 佐兵衛が倒れたことにより、指導役の僧侶は真っ先に槍玉に挙げられた。当然指導役はしらを切ったが、小坊主や稚児達が自分も乱暴をされた、きっと佐兵衛も酷いことをされたに違いないと次々証言して事が明るみに出た。いくら女犯と違い男色は破戒には当たらないとはいえ、これはあまりに度が過ぎる。これまでの指導役としての働きぶりを考慮してもなお看過できぬ、ということで、件の僧侶は破門を言い渡された。淫猥だなんだと噂話をしていたが、まさか佐兵衛が標的にされていたとは。事の次第を知った仁久はおぞましさとやりきれなさで震えた。

天罰覿面てんばつてきめん天網恢々てんもうかいかいだ。仏様はちゃあんとご覧になってるんだな」

 だからきっと、佐兵衛の不幸もいずれ報われるはずだ――と仁久は信じたい。僧侶としてはあまり褒められたものではない考え方なのだろうが、そうとでも思わなければ佐兵衛の境遇はあまりに不憫すぎたのだ。

「――――」

 ふ、と佐兵衛が息を吐く音がした。視線を向けると、佐兵衛は上を向いて目を閉じている。寝てしまったのかもしれない。仁久はお喋りをやめ、そっと部屋から抜け出した。

「まったく、どうせなら念仏より元気の出るような説法でも教えてもらえないもんかなあ」

 そろそろ日課に戻ろうかと廊下を歩いていると、門の方から何か騒いでいるような声が聴こえてきた。かしましい娘の声だ。聞き覚えがある。

「だから、佐兵衛って奴を出しなさいよっ。佐兵衛よ佐兵衛ッ」

「な、なんだなんだあっ」

 悪い予感に慌てて向かうと、やはりそこにはゆきが居た。先月会った時よりさらに機嫌が悪く、怒髪天を衝く状態のようだった。

「ゆきちゃんじゃないかっ」

「仁久、知り合いか。この子をなんとかしてくれ」

 弱り切った同僚坊主に代わって前に出る。ゆきは仁久の顔を見て、ふんっと鼻を鳴らす。

「あんたはこないだのなんとかって人。ちょっとは話が通じそうねッ」

「話ならするけどさあ、こりゃ一体どうしたんだい。今度は何のご用件だ」

 仁久の問いに、「だから佐兵衛よッ」とゆき。

「佐兵衛に用があるのよ。あいつ今度こそお七ちゃんに酷いことしてるんだわッ」

「そ、そりゃどういうことさ」

「どうもこうもないわよッ。お七ちゃんの様子がおかしいのッ」

 それは前も聞いた話である。しかしゆきの顔つきは以前よりさらに深刻そうに見えた。

「お七ちゃん、最近本当におかしいの。前はそんなことしなかったのに、なんだかお金を変に浪費してるみたいなの。お小遣いじゃ飽き足らず、いろんなものを質に入れてまでお金作ってるのよ。それで身なりがどんどんみすぼらしくなって、あたしが聞いてもなんにも答えてくれないしっ。顔もぼんやりしてて、まるで悪いものに憑かれてるみたいよっ」

「それがどうして佐兵衛なんだよ」

「あんまり様子がおかしいから、あたし、こっそりお七ちゃんの部屋に忍び込んだのよ」

「お――おいおい」

 それはまずいだろう。物盗りと思われて町奉行所につきだされても文句は言えまい。しかしゆきはお構いなしに話を続けた。

「で、その部屋で見つけたの。文なんだけど、送り主が佐兵衛ってなってるじゃない。佐兵衛といえばこの寺に居る佐兵衛以外ありえないでしょッ。きっと佐兵衛がお七ちゃんの恋心に付け込んで金をせびってるに違いないんだわッ。とっとと佐兵衛を出しなさいよッ」

 成程、それは確かに妙な話である。若い娘が身持ちを崩すほど金を使うなんて何かあったに違いない。しかし……仁久は首を振った。

「でも、そりゃあありえないぜ。だって佐兵衛はここのところずっと寝込んでるんだ。文どころか部屋から一歩も出られねえんだぞ」

「な……なんですってッ」

 ゆきが目を丸くする。

「い、いつから」

「えっと、大火の後、檀家の人達が引き上げて行ってすぐだから……もうひと月はずっと掻巻かいまきくるまってることになるな。だから文だって出せっこないよ。お七ちゃんは可哀想だけど、佐兵衛に後ろめたいことなんてないぞ」

 おかしな話だが、佐兵衛にそんなことができるわけがない。そう伝えると、ゆきはそこで初めて不安そうな顔を見せた。

「待ってよ。じゃあ、お七ちゃんは一体誰からの文を読んでるの」

 その問いには答えられず、仁久はただただ唸ることしかできなかった。

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