第14話

「吉三の兄貴、今日は賭けねえんですかい」

 江戸の町の片隅、やくざやごろつきが出入りする賭場は今日もはみ出し者達が博打や酒盛りで賑わっている。そんな中、輪に加わらずひとり手酌で酒を飲んでいた吉三郎に、頼りない風貌の若者二人組が声をかけた。

「なんだよ、益市ますいち。手前そんなに俺の負けが見てえってのか」

「違いますよう。兄ぃ、最近羽振りが良かったじゃねえですか。ぱあっと景気良くやりましょうよ。なあ、犬次いぬじ

「うん」

 益市は元は丁稚であったが、手癖が悪いため奉公先から追い出されてしまった。遠い故郷に戻る金もなく、雲助などをして小金を稼いではこうして賭場通いして文無しに戻る、という暮らしをしている。

「気が乗らねえんだよ」

「兄ぃ、なんかあったの」

 犬次と呼ばれた益市の連れは子供のような顔で不安げにしている。犬次はこの賭場の胴元に雇われ住み込みで働いている。捨て子だったところを拾われたのだが、どうやら生まれつきにらしく、親兄弟どころか自分の元の名前すら定かでない。言われたことなら忠実に、なんでも喜んで働くから、まるで犬のようだ、と犬次と呼ばれるようになった。

「なんか変だよ、兄ぃ」

「そうだ、変ですよ兄貴。何かあったんですかい。相談ならいくらでも乗りまさぁ。兄貴のためなら、たとい火の中水の中ってなもんだ」

 いかにも調子の良い益市と、ぼんやりした顔でうんうん頷いている犬次。面倒臭ぇ。吉三郎は飲みかけの猪口を置き、懐を探った。ついつい癖で煙草を吸おうとしたのである。

「煙管がねえ」

「ないの」

「ああ、そういや兄貴、こないだのあれで失くしたって言ってやしたねえ」

 もうあれからひと月半にもなろうか。煙草もあれ以来まったく吸っていなかったのに、忘れた頃に癖というものは出てくるものである。すっかり煙草の気分でいたため、気が落ち着かない。いらつきに任せて毒づく。

「畜生め」

「だったら、今から丁度良さそうな代わりを見繕いに行きやせんか」

 と、頭をかきむしる吉三郎に益市が言った。

「なんだ、アテがあるのか」

「四つ辻の質屋、近頃品が怪しいんですよ。こないだの大火、どうもどこぞの誰かがどさくさ紛れで武家に盗人に入ったらしい。綺麗なおべべだの立派な刀だのありました」

 益市なりに気を遣っているのだろうと思われた。買い物というのは口実で、気が塞いでいる様子の吉三郎の気晴らしをさせる腹積もりなのだ。確かに、賭場で管を巻いていたところで面白くないのは事実だ。

「行ってみるか」

「わあ。じゃあ、おれも行くよう」

「馬鹿だな犬次、お前金もないのに何しに行くんだ」

 犬次はわけもわからずへらへら笑う。吉三郎もつられて少し笑った。


 いくら大罪として厳重に取り締まれども一向に火事場泥棒が絶えないのは、やはり儲かるからなのだろうなと吉三郎は考える。

 質屋は噂通り妙に繁盛しているようだった。盗品だろうがなんだろうが、金に換わるのならお構いなしなのだろう。質屋の番頭はいかにも胡散臭い風貌の吉三郎一行を胡乱そうにねめつけたが、吉三郎が銭をちらつかせると愛想良く応対するようになった。

「煙管ですか。ええ、ええ、先月沢山入りましたよう。女物が多いですが……」

「ほう。こいつぁ幾らだ」

 吉三郎は並べられた煙管の中にお気に入りだったそれとよく似たものを見つけた。色鮮やかで飾りが多く、確かに女が好む意匠なのだろう。

「おれ、着物が見たいなあ」

「あっ、おい犬次、何やってるんだっ」

 気づくと犬次は使い走りらしい小僧を捕まえて持っていた品を覗き込んでいる。慌てて止めに行く益市をよそに、犬次は振袖を手に取っていた。

「きれいだなあ」

「おいっ、そりゃ女子供が着るもんだよ。お前は着るには図体が大きすぎるんだ。買ったって雑巾にしかできないだろうよ」

「ほう……」

 犬次が持つ振袖を見た吉三郎の脳裏には女の顔が浮かんだ。あいつが袖を通したら、きっとよく似合うに違いない。ふと我に返ったときには犬次の手から振袖を取り上げ、さっきの煙管と一緒に番頭に突きつけていた。

「これとこれで幾らになる」

「はあ……」

「兄貴、そんなの買ってどうするんですかい」

「着るんじゃないの」

「馬鹿っ、兄貴が着たら振袖が可哀想になる。もしかして情婦いろでもできやしたか」

 益市の声を無視して番頭に銭を渡す。吉三郎は半ば放心しながら質屋を後にした。

「兄貴、本当にどうしちまったんですかっ」

「なんでもねえよ」

「益市、いろって何」

「犬次お前……情婦ってのはほら、男と女のよう……」

 お七のところへ行こうか、と思った。

 今日は文を預かる日でも渡す日でもない。突然行ったところで不審がられ、八兵衛達に追い出されるのが関の山であろう。しかしどういうわけかそのときはそんなことにはまったく思い至らず、彼女の顔が見たいという一心で八兵衛の店へ向かった。

(あいつもよう、たまには洒落た恰好をすればいいんだ)

(紅差してかんざしつけて、綺麗な振袖着たりよう。女ってのはそういうのが好きなんだろ)

 そうすればきっと――あいつは俺にもあの笑顔を向けてくれるのかもしれない。

 そんな吉三郎の足が止まったのは、他ならぬお七の姿を見かけたからである。逆の方向から歩いてきたお七は手に何やら風呂敷包みを抱え、吉三郎の姿にも気づかず小走りで去っていく。向かっているのはちょうど、先程吉三郎達が出てきた質屋の方向である。

「あっ。兄貴、今度はどうしたんです」

「忘れ物だ。手前らは先に帰ってろ」

「そんなあ」

 呆れた様子の益市達を置き去りに、吉三郎はお七の後を追った。胸騒ぎがしてならない。お七はやはり、質屋の中に入っていく。


「いやあ、お嬢さん。毎度のお越しありがとうございます」


「こちらこそ、いつもありがとうございます。今日はこれをお願いいたします」


 店の中からかすかに番頭とお七の声が聴こえてくる。


「はあ。しかし良いんですかい。こりゃあまだ新しい。まだまだ質入れには勿体ないんじゃあ」


「良いの。今はとにかく入用なんです。引き取ってもらえますか」


「はあ……じゃあ、こちらとこちらで、このくらいで如何でしょうか」


「ありがとうございますっ」


 やがて出てきたお七の姿は、平素よりも幾段痩せているように見えた。若い娘が着るには少しみすぼらしい擦り切れた小袖を着て、銭が詰まった財布をぎゅうっと握りしめては俯きがちに歩いていく。やはり吉三郎にはまったく気づいていない様子だったが、何故だか声をかけるのは躊躇われた。

「佐兵衛さまのためだもの。このくらい、平気だわ」

 吉三郎は抱えていた振袖を取り落とし、しばし呆然とお七の後ろ姿を見つめていた。

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