第6話

「ちょっと、そこのあんたッ」

「へぇっ」

 ここのところの円乗寺の僧侶の職務といえば避難してきた檀家達の世話であったが、もちろん僧侶達自身の家事炊事も疎かにはできない。

 若い僧侶が大あくびをしながら庭を掃いていると、突然そこに食ってかかる声がした。目を白黒させながら見ると、若い娘が腰に手を当て不機嫌そうに僧侶に指を突きつけていた。

「な、なんです。どうしたんですか、お嬢さん」

「あんた、佐兵衛って人知ってる」

 町娘――ゆきは神妙な顔つきになって喋りだした。

「あたしの友達がね、お七って言うんだけど、あッ、あたしの名前はゆき。それでね、お七ちゃんの様子が最近おかしいのよ、何してても上の空で、ときどき溜息するし、たまぁに切ない顔して泣いたりするし、それで呟くのよ。『佐兵衛さま、ああ佐兵衛さま』って。絶対変よ。きっとその佐兵衛って人に何かされたのよ。だからあたしその佐兵衛って人を――」

「ちょ、ちょっと、落ち着きなってッ」

 早口言葉のように喋りだすゆきに僧侶は慌てて押し留める。若い娘の喋り好きと言ったら、まるで華厳の滝の勢いのようである。

「ええと、その、なんだ。於ゆきちゃん」

「ゆきでいいわッ」

「ゆきちゃんは、その友達のお七ちゃんって子のために佐兵衛を探してるのかい」

 すっかりですますをつけ忘れている僧侶に「知ってるのッ」とゆき。

「ああ。あ、俺は仁久じんきゅうっていうんだ。本当は仁右衛門って名前だったんだが、坊主になるときに名前を変えさせられたのさ」

「そんなことはどうだっていいわ。佐兵衛よ佐兵衛ッ」

「まあまあ、最後まで聞いてくれよ」

 仁久は握っていた竹箒をさながら講談師の扇子のように振りながら言った。どうやらこの坊主も相当に喋り好きであるらしい。

「俺は元々貧乏旗本の子でな。後が継げれば良かったんだが、生憎次男坊で生まれつきの穀潰しってわけだ。で、『家でぐうたらするくらいなら坊主にでもなれ』って、十つの時分に寺に入れられたのよ」

「へえ、お武家も色々大変なのね」

「おう。で、俺みたいな次男三男ってのは結構いるんだよ。俺みたいに坊主にさせられたり、もっと偉いお侍に若衆として貰われたりな」

「若衆……」

 ゆきが怪訝な顔になる。

「なんだいお嬢ちゃん、若衆を知らないのか」

「し、知らないんじゃないわよ。ただ、ちょっと、聞いたことない言葉だから」

 それを知らないというのである。

「ああ、若衆ってのは、なんだ。衆道ってわかるか。侍とか坊主が、男同士でその、恋仲になって夫婦めおとがやるようなことしたりするわけだ」

 仁久の言葉にその有様を想像したのか、ゆきの顔に赤みが指す。その様子に仁久は慌てて弁明した。どうも娘と話すときの作法はよくわからない。何しろ寺に預けられてから数年、まともにおなごと話す機会など滅多になかったのである。

「お、俺はそんなことしてねえぞ。ただ、やる奴はどうしてもいるんだよ。お江戸には女が少ないし、花街に通うのは大変だ。そうすると、この際女じゃなくても良いや、若いおのこなら具合も変わらん、なんて考えだす奴がな。勿論、衆道がそればっかりってわけじゃないんだろうが。若衆ってのは、だからそういうお偉いさんの相手役をしてる奴のことだ」

「佐兵衛が、その若衆だってわけ」

 若い娘にはあまりに刺激が強い話に、ゆきは頭をくらくらさせながら訊ねる。

「ああ。佐兵衛の家も貧乏だったんだ。それでこの先どうするってなったとき、偉いお侍に見初められたんだ。何しろ佐兵衛と言ったら男もほっとかない美少年だったからな」

「じゃあ、なんで寺なんかに居るのよ。そのお武家さまはどうしたの」

「おう、そこがこの話の肝ってわけよ」

 仁久はすっかり講談師になりきり膝を叩く。

「お侍に貰われてからしばらく、そのお方に面倒を見てもらっていた訳だが、あるときそのお方が松前に出張らなきゃならん用ができちまった。松前ってのは北も北、それも海を渡ったところにある。こりゃ遠いし危ない、可愛いお稚児を連れて行くわけにはいかん。しかし置いていったら、そこらの不届き者に何をされるかわからない。そこで、寺の坊さんならおかしなことはせんだろうって考えた」

 それ以来、佐兵衛はこの寺で雑事を手伝ったりしながらお侍の帰りを待っているんだな――と結んだ。仁久は口こそ軽いが人情はあり、佐兵衛の境遇をどうしても他人事とは思えずよく世話をしてやっているのだ。

「ふうん。なんだかややこしい身の上なのね」

「よく気が利く、優しい奴なんだけどな。きっとそのお七ちゃんって子も佐兵衛に懸想をしちまったのかもしれないな。佐兵衛ったら天女や女神もぎょっとするくらい綺麗な顔をしているから」

「お七ちゃんだって美人なのよッ。江戸中の男が釘付けで、業平様がおわしたら絶対求婚されるに違いないんだからッ」

「へえ、そりゃあ見てみたいなあ。あ、もしかしてあの振袖の子かな。あの子も腰が抜けるほど別嬪さんだったなあ」

 うっとりとした顔で先日のことを思い出す仁久。頭を丸めてはいるが、さっぱり煩悩の抜けない生臭坊主のようである。

 しかし、とても困ったことになった――ゆきは思い悩む。

 あの様子を見るに、お七は本当にその佐兵衛という男に惚れてしまったのだ。だが、佐兵衛にはどうも恋人がいるらしい。それにお七の両親は若衆との恋路なんて許してはくれないだろう。せっかくの親友の初恋、助けてやりたいのはやまやまだが、一介の町娘には武家や商人を説き伏せることや、はたまたふたりを駆け落ちさせる準備ができるほどの力はない。

(可哀想なお七ちゃん。ああ、なんとかしてあげられないのかしら)

 切なげに溜息をつくお七の顔を思い出し、ゆきもまた、深い深い溜息をついた。

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