第7話
江戸の町は火事が多いが、その分大工の仕事も早い。
大火から七日程経ち、焼けた八兵衛の店もすっかり再建され、八兵衛一家は円乗寺を引き払うことになった。他の檀家達も少しずつ新しく建った我が家へと戻っていく。
しかし一人娘のお七は相変わらず上の空、恋の熱は一向に下がらぬ様子だった。八兵衛夫妻はきっと寺で悪い風邪でも貰って来たのだろうと考えて、しばらく店には出さず家の中で休んでいるように言いつけた。
無論、恋患いが早々治るはずもない。円乗寺から離れ、愛しの佐兵衛を垣間見る機会すら失ってしまったお七はますます塞ぎ込むようになり、寝ても覚めても佐兵衛のことしか考えられないような有り様になっていたのだった。
ところで、八兵衛の店には以前から厄介なごろつきが出入りしていた。金が欲しいから仕事をくれ、と口では殊勝なことを言うのだが、
ごろつきの名は吉三郎。賭博や強請り集り、時にはスリなど、一通りの悪事に手を染めている根っからのならず者である。
このところの吉三郎の目下の悩みは金策であった。
十六、七の頃に勘当され早十余年。頼れる親類もいない彼は災禍に見舞われなかった宿を転々としながら食いつないでいた。元々職も貯蓄もなく、博打で得たあぶく銭もすっかり使い果たして、気づけば今日の夕餉にも困るようなざまである。顔なじみに拝み倒してなんとか銭を借りても、博打狂いは後先考えず賽子を振ってすっからかんにしてしまう。こりゃいけねえ、なんとか金のアテを探さねばならん、と吉三郎は八兵衛の店の近辺をうろついていたのだった。
(おい、ありゃあ八兵衛のところのお七じゃあねえのか)
そんなある日、いつものように吉三郎がふらふらしていると、店の裏口から若い娘がこれまたふらふらとおぼつかぬ足取りで出て行くのを見かけた。ほっそりとして今にも折れてしまいそうな華奢な
吉三郎はお七のことが好きではなかった。以前からかったときに手ひどくやり返され、恥をかかされたことを根に持っていた。いつか懲らしめてやりたいと思っていたが、下手な手出しをすれば八兵衛が黙っていないだろう。だからお七とはあまり顔を合わせないようにしていた。
しかし、お七の様子はどうも妙であった。人目を忍ぶようにこそこそと物陰を歩き、時折立ち止まっては胸にしっかと抱いた紙包を見つめる。逡巡しては後戻りしようとし、また心を変えたか前に進みだす。お七は流行り風邪を引いたのだと聞いていたが、どうもそれとはまた違った様子に見えた。
(逢引にでも行くのかね。お高く留まった七姫さまにも好い人ができたってわけか)
こりゃ面白い、あとで強請りのネタにできるやもしれぬ。そう考えた吉三郎はお七の後をこっそりついて回った。お七は自分の用事にすっかり夢中で、後をつける不届き者が居るとはまったく思いもしていない。
若い男女の逢引場所といえば雪隠や
(けっ、一体どこの何様に
やがてお七が足を止めた。物陰に身を潜めながらお七が見つめているのは寺の門――つい数日前まで一家で世話になっていた円乗寺である。そんなことなどつゆ知らぬ吉三郎は、逢引と寺の取り合わせの珍妙さに大いに
お七は長い逡巡の末、ようやく一歩足を踏み出した。しかし門から誰か出てくるのを見るや、大慌てで引き返して物陰に隠れ直す。ああ、焦れったくてとても見ていられない。堪え切れなくなった吉三郎はお七に近寄った。
「嬢ちゃんよう、こんなところで何してるんだ」
「きゃあっ」
お七は飛び上がり、その拍子に握りしめていた紙包を落としてしまった。吉三郎が拾い上げて
「なんだ、恋文かよ」
「返してくださいッ」
文を開こうとする吉三郎にお七は顔を真っ赤にして手を伸ばす。もう白状したも同然だ。お七はこの寺に居る佐兵衛という男に懸想をしているに違いない。
「この佐兵衛って男を訪ねてきたのか」
「あなたには関係ありませんッ」
つんとした顔で吉三郎を拒むが、図星であることをまったく隠せていない。ちらちらと吉三郎が持つ文と寺の方を気にしている。
おいおい、こりゃあ使えるぞ――吉三郎は内心でにんまり笑った。
「まあまあ、そんな怖い顔しなさんな。話してみろよ、何か力になれるかもわからんぜ」
文をしっかり掴み、話さなければ返してはやらんと言外に伝えながら吉三郎は言った。お七はきゅうと唇を噛み、しばらく考えたのちにぽつりぽつりと事情を話し始めた。
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