第10話

 お七さん――

 よもやあなた様と文を交わせる日が来ようとは思いませんでした。

 顔を合わせずとも、一字一句を読むだけであなたのお姿が蘇ってくるようです。

 あなたのいない円乗寺はひどく寂しいものとなってしまいました 。もう一度お会いすることを夢に見ていますが、今は坊様方の目があり、とても自由に動けそうにありません。

 どうか今しばらくは、こうして文を交わし続けることができたらと願うばかりでございます。

 佐兵衛――


 まさしくお七が想い描いていた通りの優しい細やかな文であった。お七は八度も九度も読み返し、しまいには堪らなくなって文を胸に抱きしめることしかできなくなってしまった。

「佐兵衛さま、ああ、佐兵衛さまっ。わたしは、わたしは……っ」

 逢いたい。一目顔を合わせて、もう一度あの夜のように話すことができたら。文を読むだけで切なさが蘇り、居ても立っても居られなくなってしまう。

「佐兵衛さま……わたしもずっと、あなたさまと文を交わしとうございます……」

 たとえ叶わぬ恋であるのだとしても、せめて夢を見ていられる日々が続いてほしい。一日でも長く、彼と心を通わせていられる日が。

 ささやかな望みに密かに胸を焦がしながら、お七は筆とすずりを取り出した。




 ――佐兵衛さま、ああ、佐兵衛さま。

 この文をあなたさまが読んでくださっているということがどれほど嬉しいことなのか、一体どれほどの言葉を綴れば伝わるのでしょう。

 わたしはあなたさまのことを想うだけで夜も眠れません。空に浮かぶお月さまにあなたさまのお姿を思い出して、胸が苦しくなってしまうのです。あの日からずっと、あなたさまを想わなかった夜はございません。あなたさまがいなくなってしまったら、きっとわたしは死んでしまうでしょう。

 どうか、どうかいつまでも文を交わし続けましょう――


「くくっ、初心うぶなこった。死んじまうと来たかよ」

 お七から受け取った文を鼻で笑いながら吉三郎は徳利を傾けた。小娘が書いた恋文は酒の肴にするには少し甘ったるい。

 大火の後のごたごたに乗じて住み着いた棟割長屋の一角。すっかり日も沈んだ夕闇の中、行灯と月明かりを頼りに安酒を煽る。あとは煙管があれば上々なのだが、あの時に失くして以来気にいる物がなかなか見つからない。多分、煙草の葉ではなく、あの吸い口の形を吉三郎は好んでいたのだろう。

(あれは確か、いつかの賭けの分け前の代わりに分捕ってきたんだったな)

 摩訶不思議な文様が彫り込まれた舶来品だった。いつもならばきっちり銭で出せと暴れるところだったが、その煙管が自分でも不思議になるほど気に入ったのだ。吉三郎が煙草を吸うようになったのもそれからだった。

(まあ、そのうちもっと良いのが手に入るだろ。賭場もまた開きだしたしよ。それに何より、今はがある)

 畳に無造作に転がした銭に目をやって、吉三郎は含み笑いをした。散らばっている銭は全てお七から巻き上げたものである。実際、笑いが止まらない気分であった。

 いくら裕福な商人の娘とは言え、百文は気軽に出せるほどの小金ではないだろう。最初はわざとふっかけて、向こうが怖気づいたら情を見せたようなふりをして適当な値に下げるつもりだったのだ。それがまさか、あっさりと頷いてしまうとは。しかも毎回毎回渋ったり値切ろうとするそぶりも見せず、きっちり百文払い続けている。お陰で吉三郎は朝夕の飯に困らぬどころか酒を煽りだす始末だ。あまりに上手く運びすぎて恐ろしいくらいだった。

(俺は飯にありつける。お七の嬢ちゃんは恋文ごっこを楽しめる。持ちつ持たれつ、どっちも得のまったく良い取引だぜ)

 濡れ手に粟とはこのことだ。酒に酔ったのもあり、吉三郎は気分良く大笑いをした。

「おっと――とはいえ俺も、何もしねえって訳にはいかねえ」

 ほろ酔い吉三郎はもう一度お七の手紙を読み返すと、やっぱり鼻で笑ってから紙と筆を卓袱台に広げた。そうして、ごろつきには似合わぬほどの達筆さでさらさらと字をしたため始めた。

「拝啓、お七さん――っと」

 もしもこの場にお七その人が居合わせていたなら、驚きと落胆でその場にくずおれてしまっていただろう。

 吉三郎は、お七が佐兵衛からの文と思い込んでいた筆致でお七に宛てた文を書いていた。

「しかし、あのお嬢ちゃんはどんなことを書いたら喜んでくれるのかね。こちとらもお嬢ちゃんには夢を見続けてもらわにゃならん」

 が続けば続くほど、俺ぁお嬢ちゃんからたんまり搾り取れるんだからよ――と呟きながら筆を動かす。

 お七は若く、純粋でもの知らずであった。まさか自分の恋心に付け込んでこのような詐欺を目論まれるなどまるで思いもしていなかった。まして、粗暴なごろつきが読み書きができて、美麗な若衆と見まごうような筆遣いで文を書けるだなんてまったく想像もつくわけがない。

「こんなに女をぞっこんにしちまって、佐兵衛さんよ。手前も罪作りな野郎だぜ、ええ」

 くつくつ笑いを抑えながら、吉三郎は行灯の明かりを頼りに次にお七に渡す『佐兵衛の文』を書きあげた。

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