第4話

 とりあえず借りた小袖を着てみたものの、お七はどうにも落ち着かないでいた。

 本音を言えばあの振袖を着てみたかったが、両親に見られたらなんと言われるか。着もしない服をいつまでも借りているわけにもいかないし、早く返そうとさっきの部屋まで戻ってみる。しかしまだまだ人でごった返していてしばらく近寄れそうにない。一旦諦めて行李にしまったものの、どうにも浮き足立ってしまう。

(何か手伝いに行こうかしら。掃除とか、繕い物ならできるわ)

 居ても立っても居られず部屋を出る。あの大火から二日経ったが、円乗寺はまだまだ避難民で騒がしい。暇を持て余した子供が走り回ったり、はぐれた親類を探し歩く人とすれ違ったりする。普段は修行に勤しむ僧侶達も、ここのところは避難民の世話にかかりきりのようだった。

「誰か、目の良いものは居らんかね」

 あてもなく廊下を歩いていると、そんな声が聞こえてくる。見ると、庭で何やら人が集まっている。僧侶達の中に自分の母親の姿を認めたお七は、草履を借りて庭へ出た。

「おっかさん、何かあったの」

「ああ、お七や。丁度良いところに来てくれたね」

 母お峰は手に毛抜きを持っていて、人だかりの真ん中にいる男の手を掴んでいた。

「この方の指にとげが刺さっちまったって、取ってやろうとしてるんだがね。これがいやに小さくて、男の指じゃあ上手く捕まえられないってのさ。あたしもやってみたんだが、このところ遠目になっちまったから」

「わたしの為に、面目ありません」

 指先の痛みに顔をしかめながら、若い男は申し訳なさそうに頭を下げた。お七ははっとして男の顔を見た。

 僧侶ではない。髷の形を見るに若衆であるようだ。その顔のなんと美しいことか。眉は細く形が整っていて、切れ長の瞳にはつややかな長いまつ毛。すうっと通った鼻筋の先には紅で染めたように赤い唇があった。

 ――こんなに綺麗な人、生まれて初めて見たわ。

 男もお七に見惚れていた。自分を見つめるぱっちりと大きな瞳は螺鈿のように輝いているし、赤みがさした頬は桃の実のようだ。結い上げた黒髪は瑞々しく、きらきらと陽の光を跳ね返している。

 二人は互いに相手の目を見つめ、どきどき胸を高鳴らせた。周りに人がいなければ、きっといつまでも見つめ合っていたことだろう。

「どうだい、お七。お前なら抜けるんじゃないかい」

 お峰が毛抜きを手渡してくる。青年の周りの坊主たちも口々にお願いしますと頭を下げてくる。

「たかが棘とはいえ、それで佐兵衛さへえの指が腐ったら一大事。どうか抜いてやってください」

 佐兵衛。このお方は佐兵衛ってお名前なんだ。お七はどぎまぎしながら佐兵衛の手を取った。父の無骨なそれとは違い、白くてしなやかな美しい指先だ。

「……よろしくお願いします」

 佐兵衛の囁きに思わず手に力が入る。棘はすぐに見つかった。こんな綺麗な指に刺さるとはなんて憎らしい棘だ。しかし……これを抜かなければ、ずっと彼の手を握っていられはしまいか。棘に目を凝らせば凝らすほど、そんな気の迷いが脳裏をかすめる。

(駄目よ、痛がってるのにそんなこと考えちゃいけないわ。早く抜いて差し上げないと)

 緊張で手を震えさせながらもなんとか毛抜きで棘を掴み、慎重に引き抜く。佐兵衛は無事に棘が抜けた指先を見つめ、ほうっと息を吐いた。

「ありがとうございます。一体、なんとお礼を申し上げれば良いのか」

「あたしらが坊様達にしていただいていることに比べたら、このくらいお返しにもなりませんよう」

 お七を制するようにお峰が言った。しかしお七はすっかりあがってしまっていたので、どの道佐兵衛に口を利くことはできなかっただろう。

「それより、お役目の最中だったんでしょう。あたしらに構わず、どうぞ行ってくださいな。あたしらもほら、洗濯だなんだと仕事が溜まっていますから。ほら、お七や」

 お峰はお七の袖を引き、何やら目配せをしたが、お七は佐兵衛にすっかり目を奪われてまるで気づいていなかった。

「そうですか。それでは……」

 坊主に促されながらも、佐兵衛もお七を名残惜しげに見つめていた。しかし坊主やお峰の表情を見て心を決めたか、切なげな顔になってもう一度お七に頭を下げ、地べたに置いていた荷物を担いで去っていった。

「大した色男だけど、若衆じゃあねえ」

 佐兵衛達が去っていったのを認めると、お峰は嘆息しながら言った。

「下手に手出しをしようものなら、あれとねんごろのお武家に切り殺されちまうだろうよ。良いかい、お七。いくら見目が良くったって、若衆にだけは近づいちゃあならないんだよ」

 そうこぼしながら、お七の手を握って歩きだす。しかしお七はそんな母親の苦言などまったく耳に入らず、佐兵衛が去っていった方向をいつまでも見つめ続けていた。

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