第四章:

第24話:竜滅の刃①

 春の黄昏が好きだった。

 何かにつけてのんびりとしている春は、夕暮れもゆっくりとやってくる。茜色に染まる空がきれいで、空気も穏やかで。家々には家族の帰りを待つ暖かさが満ちていて、歩いているだけで幸せな気持ちになれる。そんなひと時が好きだったし、これからもそれは変わらないのだろうと思っていた。

 それは、何も暮れ方の風景に限ったことではなく。自分の愛するものはすべて、これからも変わらずにそばにあるのだと、そう信じていたのだ。

 ――変わらないでいるものなど、何一つとして存在しえないのに。



 「――あ、鐘が鳴ってる」

 茜が差し始めた空に響いた重厚な低音に、リーゼは無意識につぶやいた。そろそろ家路に着いたほうが良さそうだ。

 黄昏迫る首都マルモアの中心街。生活必需品を取り扱う常設の市場があり、日中も常ににぎわっている界隈だ。夕方ともなれば、夕飯の食材を求めて繰り出してきた人々や務めを終えて帰路に着く騎士などで大変な混雑となる。

 先ほど王城を辞してきたリーゼたちも、徐々に勢いを増す人垣と戦いながら歩いていた。ついでに周りにならって夕食の買い物も済ませてしまおうと、道沿いに立ち並ぶ店を覗き込む。

 店先の品を眺めながら、リーゼは務めて明るい声で後続へ話しかけた。

 「こうして見てるとみんなおいしそうだね。何にしようか迷っちゃう」

 「あー、確かになぁ。あちこちからいい匂いもしてくるし」 

 「だよねー。今日はちょっとだけ涼しいから、揚げたり焼いたりよりは煮込み系がいいかな? それとも久しぶりにおかゆにしようか、今日は父様が泊り込みらしいし!」

 「そうだなぁ……」

 話しかけながら顧みると、同行しているライトは柔らかく笑みを浮かべていた。いつもと全く変わらない、ように思える。

 (……気にしすぎなのかな)

 人の流れをさえぎらないよう気を配りつつ、こっそりため息をつく。

 王城で、突然凍りついたように動かなくなったライト。本竜いわく『むかっと来た』とのことで、何か思い出しかけたのではと期待が高まったことは記憶に新しい。

 しかし、よくよく考えてみるに、本当に思い出していいことなのだろうか。ライトは無意識だったというあの一瞬、何が彼の心に去来していたかは知る由もないことだ。しかし記憶をなくしてから、ほんの数日とはいえ生活を共にして、多くの時間を共有したリーゼは、少なくとも彼の持つ穏やかで濃やかな性質についてはよくわかっているつもりだ。その彼をして、微量とはいえ人のいるところで放電を起こすなど、尋常な反応とは思えない。

 (でも覚えてないんじゃ聞きようがないし、第一ただの同居人がつっ込んでいいとは思えないし……)

 仮に父が事情聴取するのであれば、まぁ合法的といえようが、自分は何の権限も持たない一般市民だ。自分では友人と思っているが、これとて付き合いはわずかに数日。下手をすれば心の最奥に触れるような話題を振って許される立場とはどうも思えないのだ。これが終生を誓い合ったパートナー同士なら、堂々と聞いたり調べたりできるのに。

 (ライトはやっぱり、撰竜の儀に呼ばれてきたのかなぁ)

 もしもそうならば、残された時間はあとわずか。三週間後に迫ったそのときまでに記憶を取り戻してはっきりさせねば、儀式に出ることはかなわない。竜族としての自我は、誓約において最も重要なものの一つなのだから。上手く歌えるかどうかなんて、すごく瑣末なことに思えるほどに。

 そこまで考えて、ふいに息苦しさを感じた。どこかでぶつけたとか食べ過ぎとか、そういう物理的な要因からくる痛みではない。

 「……嫌だなぁ」

 吐息と一緒に、無意識にこぼれ出た言葉にはっとする。さりげなく、かつ大急ぎで後ろに視線をやると、同行者は店先の果物に気を取られていて、今の声を聞きとがめた気配はなかった。内心で胸をなで下ろしつつ、ほんの少しだけ寂しいようなつまらないような、妙な気分になる。

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