第7話:竜、北の空より来たる⑦

 振り仰いだ視界に入ったのは、塗りつぶしたようなのっぺりとした漆黒だった。直後、すさまじい風鳴りをともなって遠ざかってゆく。

 「え? 何、今の」

 やや日の傾いた午後の空を、不自然に揺れながら飛んでいく巨大なもの。明らかに雲ではない。あんな低いところを、風もないのに高速移動できる自然現象があったら逆にお目にかかりたい。

 よくよく目をこらせば、ツヤのない黒は何か小さいものが無数に集まっている、らしい。まるで獲物に群がるアリのように、絶えずうごめいているのが遠目にもわかった。

 「うわ、気色悪ーっ」

 「同感……」

 不快感を隠すことなく顔に出すロゼッタに全面的に同意する。こういう系統のものに出遭ったら、即座に気絶するのが正統派のお姫様だろうが、彼女はむしろ積極的に観察して正体を見極めようとするタイプだ。テラスの手すりにつかまって堂々と凝視する彼女に、リーゼも思ったことを正直に口に出してみる。

 「あのねロゼッタ、あの黒いのなんだけど……私、つい最近よく似たものを見たような気がする」

 スケール感といい、進行方向に向かっていびつな円錐形を描くフォルムといい。日頃何かと目にしている、あんまり得意じゃないものと非常によく似ているような……

 既視感にかられつつ目で追っていたら、ふいに一面の黒に亀裂が走った。隙間から激しく電光がほとばしり、おおっているものを吹き飛ばす。その下から現れたのは――

 「あっ、ドラゴンだ!」

 「やっぱり!」

 思わず身を乗り出した二人の視線の先に、苦しそうに咆吼をあげる竜の顔があった。白銀のウロコと黄金の瞳が、西日を浴びてきらめいている。

 翼の先まで黒いものがおおっていて、自由に飛ぶことが出来ないのだろう。何とかギリギリで高度を保って、ときおり電撃で打ち払おうとしているが、いまいち威力がない。長いこと取り付かれて弱っているのか。

 目をこらしてそのようすを見守っていたリーゼが、突如はっと息を呑んだ。椅子に置いていたリュートを引っつかんで身を翻し、さっき使った階段を二段飛ばしで駆け下りる。一瞬きょとんとしてから、ロゼッタも慌てて後を追いつつ問いかけた。

 「どうしたの!?」

 「あのひと、街を気にしてる! 下に雷が落ちないように手加減してるから、全力で攻撃できないのよ!」

 竜族には、いくつか暗黙のルールが存在する。共に生きる人間を出来る限り傷つけない、というのもそのひとつだ。もちろん名誉にかけて遵守すべきものではあるが、自分の命がかかるかもしれないってときまでそういう意識を持っていられるものは、人間・ドラゴン問わずめったにいない。そんないいひと、いやさ、いい竜を死なせてたまるか!

 驚く人々をしり目に廊下を疾走し、エントランスから前庭に飛び出す。とたん、轟音を引き連れて竜が真上を通過していった。あわや王城と正面衝突するという寸前、シッポで舵を取って辛うじて塔の間をすり抜ける。

 鈍い音がして、薄い銀色のものが宙に舞った。外壁でこすれたウロコがはがれ落ちたのだ。

 「危なっ」

 「うわ、痛そう……!」

 命がけの飛行をはらはらして見守るリーゼ達の目の前に、銀の鱗片と共に落ちてきたものがある。拾ってみると、それはペンが作れそうなほど大きな鳥の羽根だった。ツヤのない漆黒は、ドラゴンに付きまとう黒い物体と同じものだ。触れた指先から妖力と、尋常でない冷気が伝わってくる。

 「……あの黒いの、氷鴉クレバインだったんだ。まずいわ、ドラゴンは寒さに弱いのに」

 「って、あれ冬に出る魔物だよね? もう春なのに何であんなたくさん」

 「それはわからないけど」

 確実なのは、このままだったらいつか力尽きて墜落するか、今度こそ城か山かに激突して大惨事になるということだ。

 丘の麓が騒がしい。どうやら、騎士団の方でも異常に気付いたらしい。手近の門から見下ろすと、詰め所の周りで走り回る無数の人影がいた。早くて数分もすれば先行部隊がやって来るだろうが……おそらく、待っている時間はない。

 よし、と腹をくくってひとつうなずく。こうなったら、やるべきことはただひとつ。

 「ロゼッタ、思いついたことがあるの。あなたのおうちを案内して!」

 「まっかせといて!」

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