第26話:竜滅の刃③

 ふいに、背後で鈍い音がした。

 人混みに流されて、誰かが屋台にぶつかりでもしたのだろうか。しかしリーゼの目に映ったのは、予想を大きく裏切る光景だった。

 「……え、私!?」

 何気なく振り返った先にあったのは、なぜか自分自身の姿だ。不自然にゆがんだそれは、冷気を発する透明な物体――突然出現した巨大な氷の塊に映り込んでいる。

 「な、なんで」

 「――リーゼ!」

 状況がわからず、その場に立ちすくんだリーゼの腕をライトが思い切り引いた。勢いあまって抱きすくめられるような体勢になったが、それを恥ずかしがるより早く新たな氷塊が降り注いだ。

 目と鼻の先をかすめた冷気のせいだけでなく青ざめる耳に、地を這うような唸りが触れる。抱えられたまま目だけを向ければすぐ右手、店の軒が途切れたスペースに路地の入り口があった。夕暮れのほの暗さの中で、一際濃い影がゆらりと動く。

 ――そうだ、今は黄昏時。夜との境の薄闇に紛れて、襲撃は行われたのではなかったか。いやでも、こんな人目の多いところで、まさか。

 嫌な予感を打ち消すさなか、路地裏から巨大な影がぬぅっと現れた。小山のごとき体格にいわおの皮膚をそなえ、丸太のように太く氷の鎧を纏う四肢には力が漲っている。

 それが表通りに現れた瞬間、にぎわっていた市場が水を打ったように静まり返った。直後、

 「――な、なんだあれ!?」

 「氷獄鬼トロールだっ」

 「いかん、すぐ逃げろ! あれは人を食う!」

 いち早く我に返った人々の叫びに、その場の時間が再び動き出す。人を食う、の一言が引き金になったのか、買い手も売り手も関係なく怒濤の勢いで逃げ出したのだ。あちこちでお互いにぶつかり合い、あるいは押されて転んで、悲鳴と怒号が飛び交った。

 いっそ暴力といっていいくらいの人混みの中、ライトに掴まっているおかげで流されずに済んでいたリーゼはぞっと総毛立った。逃げまどう人々にはまるで無関心だった氷獄鬼が、ゆるりと頭を巡らせて――あろうことか、真っ直ぐこちらに視線を向けたのだ。

 「やっぱりこっち狙ってる……」

 「だな。用心してたんだけど……甘かったか」

 すぐ頭上から聞こえる、普段より硬い声に緊張しつつもうなずき返したときだ。突如天を仰いで雄叫びをあげ、氷獄鬼がこちらに突っ込んで来た!

 「わ、わっ……!」

 「掴まってて!」

 またもライトに抱えられ、近くのテントの屋根に逃れた目の前で、突進して来ざまに放たれた白い呼気のようなものが無人の屋台を直撃した。音を立てて凍り付き、たちまち分厚い氷に閉じこめられる。振りおろした豪腕が氷塊をいともたやすく砕いて、飛び散った破片があたりに降り注いだ。……なるほど、さっきの氷塊はこういう経緯で出現したのか。

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