第20話 疫病神




 かつては、焼き討ちだの、皆殺しだのというものは、常なることであった。


 戦乱の世ともなれば、領地に踏み入ればまず、百姓町民から斬り捨てる。それが基本ともされるほど、戦乱の世というものは歪な世だった。


 しまいには、城に逃げ延び、籠城した敵方の家臣と、民を、生きたまま城ごと焼き殺すような怪物まで、戦乱の世には生まれている。


 とにかく、乱世の人間はそれほどまでに、心がない。

 乱世を統べた天下人が総じて、冷徹な人間ばかりだったのだから、撫で斬りなどという非情の手段が横行するのも仕方がない。


 そのような、非情な人間から民を守るために作られたのが、狛犬城下に網羅する、地下道だ。


 城の蔵に敷き詰められた石垣には、いくつか、特定の石に隠した隠し扉がある。そこから、狛犬城の敷地内から、城下の隅々にいたるところに、出入り口が仕掛けてある。無論、その地に住まうものしか知らぬ、隠れた出入り口だ。


 そうやって犬江家は、幾度もの戦乱から、地道に民を守り抜いた。

 この地下路はいわば、先人の、民を守らんとする志の成した砦なのだ。


 乱世が終わり、もはや使われることもほとんどなくなったこの地下路を、福間と萬國は通ってきた。


 参拝者でもある萬國の妻の、その家庭の事情を案じた福間が、一度、萬國の家まで偵察に来たことがある。その家の立地はちょうど、


「水が枯れて使えもしねえ」


 と、近隣の者が口々に言う井戸の真隣にある。

 水が枯れて使えぬ、というのは、累代に継がれる暗黙の了解だ。


 かつて敵に、避難先を知られぬよう、町の井戸や馬宿、果ては厠を、城につながる地下路への出入り口に作り替えた。


 つまり、萬國の家の裏にあるその役立たずの井戸は、いま通っている地下路の、いわば出入り口。


 地下路のそこかしこに空いた穴は、町や村に置かれた脱出口に繋がっている。


「ここから、岩に手を置いて登って」


 萬國のほうなど振り返りもせず、休みなく地下路を走り続けた福間は、ふと止まった。自分の腰から顔にかけて開けられた、大きな横穴に身を潜らせる。そのまま這って、穴の中へと消えていった。


「早く」


 穴を覆う闇の中から、福間は背後にいる萬國に声をかける。


 穴の中には形を整えられた石が一列になって出張り、手すりの役割を果たしている。その手すりを掴んで、次第に傾斜面になっていく穴を上る。福間が行き着いた先は、井戸の口だった。


 井戸から顔を出し、足音を殺して地に降りる福間に続いて、萬國も井戸から頭を出した。


 その刹那、甲高い殴打の音が、萬國の家にこだました。

 家の中から、萬國の妻のものでない、男の怒号が聞こえる。


(まずい)


 幸いにも、敵は表の戸口にいるのか、裏口に人の姿はなかった。


 しかし、非力な民が“鴉”の爪に掛けられる、目前の瞬間であるのは、福間にも想像ができる。


 走り出し、裏口の小さな引き戸に手をかける。つっかえ棒でもつけられているのか、引き戸はわずかに動いても、人が入れるほどまで開けることはできない。


(表から攻め込んで、正面から戦うか)


 そのような覚悟もした福間であったが、瞬間、福間のすぐ横を、大ぶりな影が掠める。


「ふんッ」


 韋駄天の如く駆け出した萬國が、その薄い戸口に身を当て、打ち破る。その勢いに身を任せたまま、萬國の巨体が家の中に転がり込んだ。


「うわ」


 家をも壊さんばかりの萬國に、福間も圧倒される。


 しかし、呆気に取られているのも束の間、すぐに我に返り、己も続いて家の中に飛び入った。


 開けられた寝間の襖の先から見えたのは、床に倒れ伏せる女の影と、暴漢の影ふたつ。一人は、女の襟首をつかんで持ち上げ、今にも襲い掛からんばかりである。


「衣!」


 萬國が吠えた。


 一足飛びで寝間を駆け抜け、妻の倒れている居間に飛び込むや、萬國は暴漢の顔めがけて、その手を放った。熊の手と見紛う大きな手は、鴉の面越しに男の顔を掴み、そのまま、頭を床に叩きつけた。


「てめえ、万蔵!」


 萬國の謀反を受け、一撃で気を失った仲間を見た別の男が、声を荒らげる。

 男が、腰から携えた刃を抜き放つ。


 高らかに掲げられたその刃の脇を、籠手を巻きつけた腕の甲で弾く。その太い腕に弾かれた衝撃で、男がよろめいた。刹那、空いた懐の鳩尾めがけて、萬國は忍ばせていた懐剣を突き入れた。


「ぎゃっ」


 短い悲鳴が上がり、萬國はますます、懐剣を強く押しあてる。


 あれほど恐れていた鴉の一人が、萬國の耳元でかすかな吐息をつき、息絶えるのを見届ける。


「おい、なにを……」


 外で見張っていたもう一人が、家の中の異変に気が付いたらしい。勢いよく表の戸口を開けるや、家の今まで土足で歩み寄った。


 まだ刀を抜いていない、その無防備な隙を、福間は見逃さない。


「ふッ」


 短く息を吹くや、小袖に潜ませていた手裏剣を打つ。


 平らな鋼の刃が宙を裂き、弧を描いて、鴉の残党の頸に到達する。頸の皮に刃が滑り込んだ刹那、残党の男の頸が青ざめた。手裏剣が勢いを失っても、もう後の祭りである。頸の肉に達する。男は声を上げる間もなく絶命し、そのまま手裏剣の進行方向に向けて倒れこんだ。


「あなたは……」


 窮地にやってきた夫と、福の神を名乗る青年の登場に、萬國の妻も呆気に取られている。


「助けに来たの」


 福間は緊迫でひきつった顔を緩ませ、そう言った。


「もう大丈夫、笑っていいよ。じゃなきゃ僕は、福の神じゃなくて、疫病神になっちゃうよ」


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