第23話 許して


 *


 狛犬城本丸の庭は、閑散としている。


 ただひたすらに、鋼が打ち付けられ、交わる、耳障りな音だけが、虚空に響き渡っている。


「ふッ」


 鬼城と、道法の斬り合いは、長引いている。

 致命傷とは言わぬものの、両者の服は血に汚れ、装束も醜く引き裂かれている。


 接戦であった。

 どちらかが追われ、どちらかが追うこともない。


 互いに隙あらば、その首を掻っ切らんとし、進んで敵の刃圏に踊り出る。


 東の口の様子を案じ、城影に隠れてやってきた他の家臣ですら、息を飲む戦いだった。


 鬼城が今一度、斬撃を放つ。

 銀の一閃が、松明ひとつ燈らぬ夜闇を走り抜け、道法の影を突く。


 が、道法の太い喉笛を前にして、道法の影が消える。道法が膝を折り、鬼城の斬撃を避けたのである。


 鬼城も容易く逃しはしない。


 しゃがみこんだ道法に足を斬られるよりも早く、自身の刀の重みに身を任せ、そのまま身を翻す。ひらりと宙を舞うや、地に降り立って構える。


 休む間もなく、道法が下段より刀を放った。


 こちらから刀で受け止めれば即座に、道法は刀を斬撃から突きの形に切り替え、重心を前においてそのまま刺し殺しに来る。


 そう判断するなり、鬼城は後方に飛びのいた。


 間一髪、道法の凶刃から逃げ延びた鬼城が、くるりとひとつ体を捻り、横殴りに刀を放った。


 刃風が吠える。


 一閃を描いた刃が走った刹那、飛びのいた道法の付けていた面が、かちりと音を立てた。


(掠めた程度か)


 鬼城は舌打ちをする。

 その肥満体からは想像もできぬほど、道法は俊敏だ。


(くそっ)


 父と肩を並べ、最期には父を討ち取ったほどの男である。


 年を重ねようと、肉が付こうと、御庭番であった日に身に付けた業というものは衰えを知らなかった。容易く討たれるはずもない。


 それでも、怨敵が生きて、ちょこまかと逃げ延びるさまは、鬼城をじらした。

 一刻も早く、この男を討ち取りたい。


 鬼城の中の怨念が、甲高く叫んだ。憤怒とも、快感ともつかぬ、身を焦がさんばかりの激情が渦を巻く。


「くくっ」


 己のその、筆舌しがたい激情を感じ、鬼城は自嘲した。


 構えた刃に映った己の姿に、心の奥底では戦慄していたのだった。その眼は爛々と光り、口の端が歪に歪んでいた。あたかもそれは、虎狼の形相だ。


「……何がおかしい」


 鬼城が己に向けた笑声が、道法の気に障ったらしい。


「この生と死の瀬戸際で、何を笑うことがある」


 言われて、鬼城は無言のまま対峙した。

 正眼より低めに構えた刃の先で、道法の眼が面の下より鬼城を睨みつけている。


「いいや、お前にはわからん」


 激情に呑まれ、怪物へと成り果てかけた、その恐ろしさなど、すでに怪物に身を落とした道法に話すまでもない。


 道法が反旗を翻したその理由は、大方、耳にしている。


 父の才能を妬み続け、恨んでいた。さらに遊幻町の花魁である蘭に入れあげたが、蘭の心は父にあり、妬みに狂った道法は、両親を殺して間もなく、蘭の命も奪った、と。


 道法が狂うその思いも、鬼城には汲み取れぬことはない。鬼城とて、自身が美貌を失い、自身より強いものが現れれば、誰もが自分に見向きもしなくなるだろう。しかし、人には超えてはならぬ一線、許容の利かぬ一線がある。


 少なくとも鬼城の中では、道法は既に許されざる一線を踏み越えている。

 同情こそすれ、容赦の余地などなかった。


「そうだな。わかるまい」


 材木を粗く削るような、醜くかすれた道法の声が、鼻先でせせら笑う。


「ある女郎も、そうだ。おのれの想った男の死を聞かされようと、刃先を喉笛に向けられようと、穏やかに笑い、自ら命を絶った……」


 蘭の話を、しているらしい。


 鴉の面を被っているがゆえに、道法の表情は何ひとつ掴めやしないが、その声色は吐き捨てんばかりである。


「死すら恐れぬおのれらの腹の底なぞ、わかるものか。わかりたくもない」


 道法が話すほど、鬼城は苦しくなった。

 鬼城には、道法が度を失った化け物に見える。


 しかし道法から見れば、鬼城や他の連中が、感情のない怪物に見えるのだ。


「……どう見えた」


 鬼城は震える声を鎮めながら、問う。


「お前の殺してきた連中は、お前には、どう見えた」


 鬼城の問いに、道法はすぐには答えなかった。


 暫時、考え、思い起こすように深い吐息をつく。


「理解しがたい、人ならざる、別の生き物、だ」


 暫時おいてから、道法はそう、唾を吐いた。




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