第2話 渦中の女(2)



 


 しかし、実際に鴉の傘下に加わってみれば、それ以降の日々は凄惨だった。


 図体ばかり大きく、殺しもできぬような男など、殺しを生業とする鴉の衆にしてみれば木偶の棒である。


 殺しの仕事をしくじるたびに、萬國には “躾 ”と称した暴力が与えられた。殴り、蹴るのは当然のことで、酷い時には煮えたぎった熱湯を浴びせられたことがある。おかげで萬國の顔と体には、癒えぬ火傷が残っている。


 その時はたまらず、鴉の拠点である山奥の小屋を飛び出し、山中を転げまわった。


 それほどに惨い虐待を加えていても、萬國の強面と巨体は、敵を威圧するにも、囮にするにも使えた。故にかろうじて、銭が出ている。それは作物を売った僅かな銭と比べれば、うんと高い額だ。


 そうして萬國は鴉の衆に加わって以来、昼は百姓、夜は鴉の一員として働く二面の生活を送っていた。


 重い足取りで家路を急ぐ萬國にも、雨は容赦しない。


 萬國が殺すよう命じられた国主・犬江隆直の膝元には、城下町が広がっている。萬國の家は、鴉の拠点である山小屋と、城下町の間。すなわち、町の外れにあった。


 轟々と降りしきる雨に打たれながらも、萬國はよろよろと家の戸口をくぐる。


「おかえりなさい」


 獣でさえ寝静まり、あと一刻もすれば夜が明けるであろうに、戸口をくぐると、妻の声がした。


 家の中は行燈と囲炉裏の火の灯りでわずかに明るく、囲炉裏の傍では衣が座り、夫の帰りを迎えている。


「寝ていなかったのか」


 萬國は色白で華奢な衣のそばに腰を掛けると、その様子をうかがった。

 具合が悪い時は決まって顔色が青ざめているが、今日は一日を通して体調が良かったらしい。


「私が先に寝ていてばかりでは、なんだかずるいと思って」


 衣はそう、すまなさそうに笑う。

 病弱な身ながらに家事をこなしているのだから、夜早く寝ても、悪いことなど一つもない。


「ありがとう。だが、夜更かしは体に毒だ。寝ていてくれ」


 萬國は衣を気遣い、家の隅に敷かれた布団まで促した。

 衣は儚げに微笑んだまま、夫の促しを受けて布団に歩み寄り、腰を下ろす。


「万蔵さんこそ、お疲れでしょう。夕餉を食べたら、ゆっくりとお休みになって」


 稼ぎの少ない夫にも、衣は優しい。


 鴉での仕事で得た金を、急に見せては、さすがの衣も怪しむ。萬國はそう案じて、夜の仕事で得た金は秘密裏に、家の中に隠していた。必要な時にだけそれを出し、普段は、作物を売れ残して帰ってくる、稼ぎの悪い夫の姿を続けていた。


「ああ……」


 囲炉裏の脇に添えられた夕餉に手を伸ばしながら、萬國は力なく答える。

 眠りにつく衣に背を向けながら、囲炉裏の中の火を呆然と見つめた。衣を守るには、この身を捨ててでも人を殺さねばならぬ。


『城主の首を取るのは、次の満月の夜だ』


 鴉の頭目・源右衛門はそう言っていた。

 人殺しなど、すべきではない。したくもない。


 しかしそれだけが、萬國が衣を守ることのできる、最後の砦なのだ。


 囲炉裏の中で揺らめくこの色が、衣とこの家を焼き尽くす前に、己の情を捨てねばならぬ。


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