第3話 犬の城
*
温暖な気候である列島の中央に位置しているだけに、四季と気候には富んでいた。
「良きかな」
賑わう城下町を楽しげに眺めながら、天守閣の濡れ縁に座ったまま、城主・
秋の訪れで山は実り、豊かになる。収穫の時期になれば市場は賑わい、町が潤う。寒くも暑くもない時期というものは、実に良いというものである。
犬江城主は次に、城下に建てた社と、その広場に目を移してみた。
広場では社の神主が落ち葉を集め、その傍らで町の子らが屯し、鞠遊びに興じているのが見えた。
「ええのう。わしも混ざってみるか」
平和な町を眺めて、犬江城主も気分が良くなる。
うんと背伸びをして、立ち上がった。
「たまには子どもに交じって遊ぶのも、大人の務めというものよ」
うんうん、と自分で頷くや、犬江は踵を返して天守閣の屋内に入った。
そのとき、
「殿」
涼やかな声が、どこからともなく降ってくる。
犬江が天守閣の濡れ縁に視線を戻すと、その視線の先では、白い陣羽織を纏った男が立膝を突き、頭を下げている。
「む、
犬江は快活な面差しになると、男に向き合ってその名を呼ぶ。
「ここのところ “
鬼城なる男は頭を下げたまま、伝えた。
長い濡れ羽色の髪が、耳の横から流れんばかりに垂れている。後頭部で髪を丸く結い上げた特徴的な髪団子が、鬼城を見下ろす犬江の視界に映った。かしこまって頭を下げるその様が、犬江には気に入らない。
「むむむ」
童のごとく頬を膨らまし、犬江はすねた。
「そう畏まるな。そう接されては、むしろ気を遣ってしまうと、日頃より言うておるだろうに」
「一家臣にすぎぬ私が、城主に軽口を叩くなど、場外の者に見られれば侮られるやもしれませぬ」
「よいよい。恐怖と威圧で縛っていては、民も家臣も良い暮らしはできぬというもの。なんなら、父上と呼んでもいいのだぞ?」
父上と呼んでもいい。
博愛主義を至上とする犬江の、決まり文句である。
こう言いだした殿は、聞かない。
鬼城は城外の者がいない天守閣にて、とうとう折れる。城下町でもあればまだ粘ったが、城の中でまで城主に威厳を強いるのは窮屈だ。
「では、お言葉に甘えて」
正確に言えば、城主の言葉に従って、鬼城は顔を上げた。
あげられたその顔は白く、刃で切ったが如く目尻が鋭い。すました眉毛も含めて、憎らしいまでの眉目秀麗。その眼の奥で鋭利な三白眼が光る。鼻先までもが鋭く、美男子であった。
名だたる名刀を人に化かせば、きっと、この男のようになるのであろう。
この男の名を、
狛犬城の城主・犬江家に仕える
日ノ本の列島を巻き込んだ戦国乱世の時代が終わり、今では幾千の時が経った。ことのほか、戌ノ国は泰平の世が長い。所によっては戦も起こりうるが、幾千も昔のように、どこもかしこも争っているということはない。
乱世の終わりに伴って、乱世期にはどこの大名もが使役していた “忍び ”は、徐々に用いられなくなった。
諜報員としても、暗殺者としてもその力を発揮した忍びであったが、乱世も終わり仕事が減ると、そこかしこに存在していた忍びも、徐々に姿を消している。
いまではその忍びの末裔たちが、細々とその腕を生かして、少数で大名家に仕えることとなった。
やがて、忍びは “御庭番 ”に名を変え、今なお忍びの役割を担っている。
乱世期のように兵の足しとして扱われるのではなく、御庭番は大名の家臣となり、名を与えられ、現代では大名の側仕えとなることが許された。
この鬼城という男も、父の代より犬江家に仕えた、いわば二代目である。
天守閣から下の階へ続く階段を下りる城主について歩き、鬼城は周囲に気を配った。
乱世の世でないとはいえ、どこの国も少なからず謀反浪士はいる。そういった人間が稀に、国を潰そうと隠密を遣わし、大名暗殺を目論むことがある。ゆえに、鬼城らを含む御庭番の役目は、城主及び城の警護と、諜報であった。
「
犬江が前を向いたまま問いかけた。
「城下の社におります」
鬼城の答えを聞くと、
「ははは」
と、声高に声を上げ、大笑した。
「福の神は、忙しいのう」
犬江は陽気に言いながら、階段の最後の段差を下りる。
四つの階と石垣下の蔵で構成された狛犬本丸は、頂上の天守閣が四階、三階には城主の部屋である上段の間をはじめとし、軍議や政務に用いる部屋が連なっている。
二階には武具、兵法、その他の文書を置いた部屋を武者走りの大廓で囲み、一階は石垣の中にある。かつてはその横にもう一つ、牢が増築されていたが、それは遠い昔に焼け落ちている。
本丸は城の外に出れば開けた庭があり、そこから棚田のごとく下へ下へと、弐の丸、参の丸と続いているのであった。もともと小さな丘の上に建つ城だけに、斜面は緩く、登りも下りも苦労はしない。
大山の上に建つ城とは違い、豪雨や豪雪で山が崩れ、城がその影響を受けることもない。
丘の麓には広場があり、その隅には、狛犬城の別名である “
犬江城主の言う “福間”なる男もまた、鬼城と同じ御庭番だが、城の中を見回る鬼城とは違い、福間はもっぱら、その神社に腰を据えている。
犬江は上段の間に置かれた座布団を飛び越え、鴨居の小棚を開ける。
「この間、郷里から帰ってきた膳番が、小豆を手に入れたようでな。大福を作ってくれた」
おそらく、つい先ほどの昼下がり。早くても今朝、膳番が作って配ったものであろう。
大福と聞き、鬼城がわずかに目を見開いた。刃の如く鋭利な容貌の鬼城であるが、その実、この城内でも無双の甘味好きだった。
それを、犬江も知っている。
大福が二つ包まれた笹の包みを手に取り、犬江は鬼城の前にそれを差し出して見せる。
「福間の様子を見てきてはくれんか。ついでに、この大福を分けて食えばよい」
甘味でつられては、鬼城は抗えぬ。
御庭番は暇があれば城下を好きに歩くことを許されるが、福間はもっぱら、広い城内にとどまらず、神社の敷地内までを行き来している。鬼城のように、常に城主の傍に付いていることはないのだった。
「……は」
鬼城は大福を受け取るや、かしずいて踵を返した。
拳一つ分はある、大ぶりな大福である。
歩く鬼城の胸は高鳴っていた。
*
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