第26話 その後



 狛犬城の昼下がりは、再び、和やかな時を迎えた。

 財政管理にあたる者、検地に行く者、武技を磨く者。


 それまで張り詰め、団結して武具を手入れしていた者たちが、元来の職務に当たっている。


「ふッ」


 狛犬城下境内の裏で、萬國が横殴りに木刀を放った。

 轟音を立てた木刀が風を起こし、宙を荒々しく引き裂く。


 しかし、福間が悠々と息をつき、下段に避けるほうが早い。木刀は勢いのままに福間の影をつんざき、そこかしこから生えた竹の一本を、ばしりッ、と叩き折った。


「うわっ」


 萬国の何倍も高い竹が、他の竹に寄り掛かりながら倒れる。それに驚いた萬國が、慌てて駆けだし、倒れかけた竹を受け止める。常人ならばその重みに耐えきれず、膝を突くところ、萬國はびくともせず、竹をゆっくりと地におろしてやる。


 そんな萬國の背後から、福間はそのまま、木製の短刀を、萬國の腹に軽く突き付けた。


「はい、突いた」


 福間は優しく微笑むと、木の短刀を下におろす。


「すごいや、萬國さん。木刀で竹を割っちゃうなんて」


「ありがとう……。すまない、竹を一つ、駄目にしてしまった」


「いいんだ。おかげで丁度いい腰かけができたし。一息つこう」


 福間は短刀を下げると、倒れた竹に腰を掛ける。


「僕は力が弱いから、萬國さんみたいな力持ちじゃないんだ。萬國さん、身のこなしが良くなったら、きっと強くなるよ」


「福間殿の、稽古が良いおかげだ」


「福間でいいよお」


 礼儀正しい萬國に、福間は破顔する。


「そういえば、あれから奥さんどう?体調とか」


「ああ」


 萬国は意識せぬうちに、顔をほころばせた。


 鴉から狛犬城の御庭番となったあの晩から、萬國は狛犬城にほど近い空き家を貸してもらい、その家で衣と過ごしている。


 以前に住んでいた家に残しておいた銭が助けになり、衣の薬代には困っていない。そのおかげで、衣の体調も、薬を減らす以前のように、快調になりつつある。


「元気に暮らしている。殿と、皆のおかげだ」


「ふふっ」


 福間は女人のように肩を上下させながら、しとやかに笑うと、


「よかった」


 と、可愛らしく小首を捻った。


 朗らかな昼下がりの、竹林は美しい。陽光を受けた笹の葉が、その新緑を滲ませた萌黄色の灯りを地に届ける。耳をすませば、ここから離れた神社の境内で遊ぶ、子どもたちの楽しげな声が聞こえた。


「僕もこうやって、鬼城さんに稽古をつけてもらってたんだ。僕が教えるのは初めてだから、正直、わくわくしてるんだけどね」


 んーっ、と背を伸ばし、気持ちよさげに吐息をつく福間は、自身の握っていた短刀を手の内で転がしながら、宙に投げる。短刀は宙で何度も回転を繰り返しながら、福間の手へと舞い戻ってきた。


「……そういえば、鬼城殿は」


 福間の口から鬼城の名が出たことで、萬國は鬼城の存在を思い出す。

 あの夜から、鬼城を昼に見かけていない。


「ああ、鬼城さんなら、きっと遊幻町だよ」


 福間が考える間もなく、即答する。


「遊幻町……あの、遊郭か」


「そそ」


 悪戯っぽく口の端を吊り上げ、


「鬼城さん、好い人に会いに行ってるんじゃないかな?」


 と、人差し指を唇に当てる。


 鬼城さんには内緒。

 そう告げているらしい。


 *


 鬼城が遊幻町を訪れたのは、また、昼だった。

 燦々と降り注ぐ秋の陽は、肌を傷めず、心地が良い。


「鴉の頭目を、討ち取られたのですね」


 濡れ縁に坐する鬼城に、胡蝶太夫が声をかけた。

 相も変わらず、美しい女である。


 外の天気が快晴から曇天に変わり、しとしとと弱い雨が降り始めても、胡蝶の美貌は色褪せない。


 遊郭の頂に立つ高位の女郎だけに、その美しさたるや、格別のものだった。


 しかし、姐の仇が生きているときと、姐の仇が討ち取られた今とで、表情が差して変わっていないことに、鬼城は違和感を覚える。


 しかし、最高位の女郎が、不安や歓喜を容易く客の前でにじませるのは、禁じられているという。女郎の世界の約束事に、鬼城は口を出すことはできなかった。


 しかし、


「喜ばないのか」


 やはり、鬼城は問うた。


 胡蝶はしばし、眼をぱちくりと瞬かせたが、その後、優しげな微笑を顔に浮かばせる。


「もちろん、喜んでおります。これで姉様も報われましょう。けれど」


「けれど」


「私は、京之介さまが、鬼とならず帰ってきたことが、一番喜ばしいのです」


 胡蝶が滑らかにそう、言葉を紡いだ。


「長きにわたり待ち望んでいた報復を、終えた京之介さまがどうなってしまうか。京之介さまが、抜け殻のようになってしまうのではないかと、私は怖くてなあなかったのです」


「抜け殻、か」


 鬼城はふと、萬國の顔を想起する。


 あの晩、一時は鴉に関わる全てのものを、焼き払い、殺さねば気が済まぬほどに、怨念が募っていた。あれほどの憎しみを湛えたまま、道法を殺していれば、確かに鬼城は、その先の己の人生など考えつくこともできなかったかもしれない。


「大丈夫だ。道法を討ち取っても、まだ、やるべきことも、やりたいこともある。それがあるおかげでまだ、生きたいと思える」


 鬼城の視線は、間一髪とぶれることなく、胡蝶太夫を射抜いている。


 御庭番として、まだまだ世話になった城主に仕えていなければと、思う心は無論、ある。


 しかしそれと同じ丈だけ、胡蝶を身請けし、夜ごと売春の繰り返されるこの場所から、救い出したいという願望もあるのだった。


 その忠誠と願望が、今の鬼城を生かしている。


 もし報復の身に全てをささげていれば、きっと今頃、座って息をするだけの空虚な日々が続いていたに違いない。


 その時、


 ざん、


 と、急な大雨が降った。


 弱弱しかった雨粒が矢玉の如く降り注ぎ、今にも屋根を叩き割らんばかりの勢いである。このような豪雨にもかかわらず、空を仰いでみれば、曇天の合間にちらほらと晴れ間が見えた。


「まあ、通り雨」


 胡蝶は慟哭のような雨音に耳を傾けながら、雅に笑んだ。


 夏と秋は、たまに、こうした昼下がりと夕刻に、短期的な豪雨が来る。叩きつけるような雨とは対照的に、晴れ間から差し込んだ陽の光を受け、艶やかな虹が上っている。


 嬉し泣きか、悲し泣きか、その様はあたかも、堰を切って天が泣いているように見えたのだった。


(あ) 


 轟々と降りしきる雨の中を、大きな鳥が一羽、飛んで行く。

 

 鴉ではない。

 飛び方、羽の形から見るに、猛禽の類のようである。


「……」


 遊幻町の上空を見張るように、猛禽は何度も周回すると、やがて、隣国のある北の方角へと飛び去って行った。


 その去る姿を眼に映し、鬼城は口の端を歪める。


(くく)


 やはり、気になったか。

 鬼城はまだ見ぬ隣国の御庭番たちの姿に思いをはせ、ほくそ笑む。


 鴉衆は暗殺と強盗、偸盗に長け、その業を戌ノ国周辺の国々でも売っていたと聞く。それなりに厄介だが、使いどころも多い組織だった。


 そんな鴉衆が、一晩にして壊滅させられたとあって、周辺の国々の国司が、戌ノ国の様子を探らせに来たのであろう。


 現に今、一国、御庭番が戌ノ国に刺客を放っているとみえた。

 刀を交えねばならぬことも、まだまだ、この先には山ほどあるらしい。


 *



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