第25話 犬の愛
*
鬼城が道法を討ち取って間もなく、萬國とその妻を引き連れた福間が、東の口に舞い戻ってきた。
「鬼城さん!」
福間は、独り立ち尽くす鬼城の姿を見るや、子犬の如く弾んだ歩調で、鬼城へと駆け寄った。
福間の貌に余裕があるのは、鬼城のその手に道法の首があり、傍らに首を失った亡骸が見えたからに他ならない。
頭目である道法、および鴉衆の連中はことごとく一掃した。
国と、君主の首のかかった一大事が終わりを迎えただけあって、福間の快活な笑顔も心なしか、疲弊を帯びている。
その背後には、妻を背に守り、警戒を滲ませた顔で鬼城を見ている、萬國の姿がある。
「残る鴉は、お前ひとりというわけだ」
鬼城は最後の一羽である萬國に声をかける。
残る鴉。
聞くや否や、萬國の巨体が強張った。萬國とて、自分の置かれた状況が想像できぬ訳はないのであろう。自身の従属する組織が一掃され、周囲はことごとく敵陣。逃げ場もない状況に置かれれば、斬首が頭をよぎるのは然るべきこと。
「……俺は、いかなる処罰も受ける覚悟でいる」
張り詰めた沈黙に耐えかねた萬國が、とうとう口を切った。
「しかし、妻は、何ら関係がないのだ。どうか、妻だけは見逃してくれ」
萬國はそう言うや、平伏した。
萬國が何を思い、そのようなことを口走るのかは、鬼城にも容易に想像できる。
福間が萬國の女の身を案じ、鴉が襲撃した家から妻を連れ、脱出するように促したのであろう。しかし、敵に促され、城まで連れてこられるという流れは、萬國にとって、良い予感のするものではないはずだ。
妻を貧しさから守ろうとするあまり、鴉のようなろくでもない連中に首を突っ込んでしまうだけのことはある。
鬼城の横では、福間が、
「近隣から、人がいっぱい来ちゃったから……」
と、すまなさそうに舌を出している。
その訳を、萬國には話さなかったらしい。
「万蔵さん」
大きな肉体を縮め、平伏する夫を見て、女はその傍に寄り添うように、膝を負った。
見ればその妻の手にも、赤黒い血が付着している。
「あっ、そのことなんだけれどね……」
福間が、幼子のように高い声で、何かを言おうとした。
が、鬼城は福間の口に手を添え、制する。
「待て」
福間の声を制した鬼城の耳には、さくさくと、砂利と土を踏みしめて歩み寄る、草鞋の音が聞こえている。
悠々として、落ち着いた足音だった。
「殿」
福間が声を上げたとともに、鬼城はその場に膝を追った。
鬼城に続いて、福間もその場に伏せた。
歩み寄ってきた人物が、狛犬城城主の、犬江直隆である。
福間の「殿」の一言からそう察した萬國の妻も、慌てて、その場に平伏した。
「鴉衆、および頭目の道法源右衛門を、討ち取りましてございます」
鬼城が言った。
討ち取った道法の首を差し出すと、犬江は凄絶な死に顔の首を両手に持ち、まじまじとそれを眺めた。
「……うむ、ようやってくれた」
犬江は丁寧に、道法の首を地に置くと、地に膝を突いて鬼城の頬に手を添える。
「斬られたな。城を開け放つ故、他の家臣ともども、養生するとよい」
「は」
一時は命を脅かされてなお、落ち着きを払った城主の気遣いに、鬼城は慇懃に応じる。
下げられた鬼城の頭を撫でるその手つきは、あたかも、愛でるようだった。
「さて、次は福間と……」
犬江の眼が、わくわくと城主を待つ福間に次いで、萬國とその妻を捉える。
「福間が連れてきたのか」
感心した風につぶやいた犬江に、福間は顔を上げて、
「はい」
と答えた。
「そなたも、ようやった。偉いぞ」
家臣に、自分を父上と呼ばせたがるだけあって、犬江は我が子を褒めるかのような口ぶりだ。
城主に撫でられる福間は、案の定、口の端が緩んで満悦の貌になる。
福間の相手を終えた犬江が次に向かったのは、萬國の前だった。
「そなたが、残りの鴉か」
「……は」
穏やかな声で問われてなお、城主を目の前にして、萬國の手は震えている。口からこぼれた応答も、小さかった。
犬江は、袴が汚れることなど構わず、その場に膝を突き、萬國との距離を詰める。
「面を、上げてみせよ」
命ぜられて、萬國は恐々と顔を上げた。
笑っていた子も泣き出すような強面が、犬江の前に上げられる。その強面は緊張で引き締まり、なおのこと、厳めしくなっている。
「ふむ」
そんな萬國の貌を見た犬江は、眉根を寄せるでもなく、恐れるでもなく、ただ眼を丸めて驚嘆していた。
「勇ましい面よ。まるで絵巻の武者のようだ」
犬江はそう言って、褒めた。
「自ら過酷な道に踏み入り、家内を守らんとするその度胸。斯様に勇ましく優しい男を、鴉に属させておくのは勿体ないというもの……」
犬江が称賛する脇では、福間がほくそ笑んでいる。
(わかっていて、連れてきたのか)
鬼城はようやっと、福間の意図を読み取った。
犬江は博愛主義の男である。
謀反人の道法や、その配下の者たちならばともかく、萬國のように、やむを得ぬ事情で反旗を翻すしかなかったものには慈悲を与える。
その者が、自身の配下に下せると思えば、犬江は寵愛をもって迎え入れるであろう。
鬼城からおおかた、萬國の事情を聴いていた犬江ならば、萬國を殺さず、配下に迎え入れることで、救済するであろう。福間はそう考えたに違いない。
(確信犯め)
幼子のような爛漫さの裏に秘めた、その賢さに、鬼城は苦笑する。
福間に、萬國の妻を助け出すよう促したのは鬼城であるが、福間は萬國の妻を救い出す最中に、その上を見越したらしい。
「萬國万蔵、といったか。そなたを、犬江家の御庭番衆に加えたい」
犬江の言葉に、萬國の貌から力が抜けた。
「え」
死罪を覚悟していた萬國にしてみれば、予想もしなかったことであろう。
暫時、唖然としてから、
「なぜ、敵陣にいた俺を」
と、ようやっとのことで訊いた。
いまいち状況を飲み込めない萬國に対し、犬江は歯を剥いて、
「我が犬江家では、身内から従属の者まで家族と思えと、教えられておってな」
と、すぐ脇にいる鬼城と福間に目を配る。
「御庭番が二人だけでは、どうも寂しゅうてなあ。家族は、多いほうが楽しかろう」
犬江が放ったその一言はまさしく、福間の思惑通りである。
その慈悲深さに感銘を受ける、萬國の声に耳をそばだてながら、鬼城は、丁寧にも地に置かれた道法の首を見た。
「……まこと、愛の深いお方だ」
蚊の羽音ばかりの声でそう呟いた鬼城の声は、その場の誰にも聞こえることはない。
優しさと幸福に満ち溢れたその空間で、鬼城は空気を読むのに徹したのだった。
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