第21話 夫よ

 * 


 疫病神になってしまう。

 そうくたびれた風に微笑んだ青年の背後で、影がひとつ、盛り上がる。


 青年もその気配に、気付いたようだった。踵を返し、肩を跳ね上げる。後ろを振り返る動作が見えた。


 が、


「うぐ」


 失っていた気を取り戻した鴉が、刀を振り上げたまま、口から血を吐いた。そのまま振り上げていた刀を手放し、力なく床に崩れ落ちる。


「あ……」


 萬國は息絶えた最後の鴉の骸から、その腹部まで、視線を戻してみる。

 その視線の先には、衣がいた。囲炉裏に差していた火箸を握りしめて。


 その手からは、夜闇の中からでもわかる鮮血が滴っている。


 衣は暫時、自分が刺し殺した男の骸を、愕然として見下ろしていた。が、次第に見開かれた眼から力が抜け、最期には、疲弊したように瞼を伏せ、その場に火箸を落とした。


 落ちた火箸は、衣の足元に刺さる。乾ききった木の裂ける音がする。

 直後、衣は大きく一歩を踏み出し、萬國の胴に抱き入った。


 首に手を回し、縋りつく衣は、何かを言おうとして声を震わせている。


「……あな、た、が」


 衣が口火を切ったのは、浅く、早い呼吸を何度も繰り返した後だった。


「良からぬことに、手を、出していること、知っていました……」


「衣」


「もう、大丈夫、隠さなくて」


 衣の声色は、今にも叫び出さんばかりである。 

 それでも、衣はその激情を押さえ、堪えているようだった。


 血脂に濡れ、滑る両手で夫の頭を掻き抱きながら、


「これでもう、あいこよ」


 そう、優しく囁いた。

 衣は病弱の上、華奢だ。無理をさせまいと、萬國が身を粉にして稼いだ。


 しかし、目に見えて衣の無力が分かるその日々は、思えば衣にとっては、不安のつきまとう毎日だったのではないか。


 萬國は、硬くなった喉で息を飲む。

 同じように、黒い血に濡れた手で、妻を抱き留めた。


「すまなかった」


 沸々と沸き起こる、やるせなさと、筆舌しがたい鴉への恐怖が、敵のいなくなった今になって、蘇ってきた。


 手が震える。

 ただ、鴉に殺されかけた妻は、ここに生き延びている。


 その安心感が支えるおかげで、萬國は今、衣を抱き留め、立っていられた。

 すると、


「おい、なんだなんだ」


「どいつが騒いでやがる、こんな夜中に」


 鴉の悲鳴や、大きな物音に目を覚ました近隣の住民が、騒音の元を探しに来たのであろう。


 格子戸の外から提灯の火が燈るのが、萬國の視界に映った。


「人が集まってきたね。見られると、ちょっと面倒だ」


 青年は屈託のない微笑みを浮かべたまま、萬國が打ち破った家の裏口を指さした。


「萬國万蔵さん、だよね。安心してるところで悪いけど、奥さんと一緒に、城まで来てほしいんだ」


 青年は骸を前にしても、住民の騒ぐ声を聴いても、いまは別段、焦った様子もない。


「……」


 鴉の一味である萬國を、犬江家の者が放っておくはずもない。


 萬國は妻を横目に見やると、その手を握り、重い脚を動かした。血だまりを踏みしめた草鞋が、ぴちゃり、と不穏な水音を立てる。


 *

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