第15話 お前は知ることができない
*
抜き放たれた白刃から、犇々(ひしひし)と殺気が波を打つ。
その殺気に中てられ、とっさに、萬國は後ろの腰に差していた脇差を抜く。その切っ先を鬼城めがけて向けてみるも、その腰は引けている。
護身術の心得こそあれ、積極的に人を斬ることには慣れていない。しかし鬼城は、城壁をも飛び越える身のこなしに、加えて、道法も重用するほどに腕が立つ。となれば、萬國には勝ち目がない。
それでも、
(時を稼がねば)
脳裏をよぎったのは、妻の顔である。
じっと地を踏みしめ、腰をかがめる。鴉に加わっても何の役にも立たなかった萬國であるが、術を学んだことはある。
体格で自分に劣る相手に対して、上段から斬りこめば瞬く間に懐に入られる。そうやって人を殺す、鴉の姿を見てきた。
腕を浮かせ、眼前で曲げ、空いた左手で首を守り、体を斜めに逸らせる。
死ぬことは、たとえ鬼城がいなくとも避けられなかった話。妻を守るには、微々たる分だけでも長く、鬼城の足を止める他はない。
「御庭番を前にしてなお、時を稼ぐ、か」
鬼城の嘲笑が、零れた。
鬼城にしてみれば、弱った小鼠の無駄な足掻きにしか見えぬのであろう。
(それでも)
萬國は腰を低くし、構える。
城主の命よりも、萬國にとっては妻の命である。やすやすと殺されるわけにはいかないのだ。
瞬間、鬼城が手首を、軽くひねらせるのが見えた。
「う」
萬國が言葉を失ったその刹那、鬼城の刀が消えた。
周囲の景色を映し出し、同化した刀は、あたかもその姿を消したように見えた。萬國が我が目を疑ったその間にも、鬼城は動き出している。
尾の如き黒髪をなびかせ、風を切る。
鬼城が萬國の眼前までやってくるのに、一つと数える間もなかった。
「くっ」
眼前に飛び出した、その美しい凶相に、萬國の全身の毛が逆立つ。
鬼城の白刃が光った刹那、とっさに萬國は、右腕を跳ね上げて胸を脇差の刃で守る。鬼城の刀が、萬國の刀とぶつかり、交わり、金切り声を上げた。
「む」
鬼城がわずかに、眉を顰める。
萬國は殺しの術こそ乏しいものの、その巨体に見合った、天性の筋力がある。痩躯の鬼城の刃を受ければ、それを押し返す。力任せに刃ごと押し返され、鬼城の体が一歩退いた。
そのまま軽快に後方へと飛びのき、再び正眼に構える。
(押すしかないのか)
跳ね返されてなお、次の一手に構える鬼城に、萬國は怯えていた。
鋭利な切り口が如き眼が、爛々と光っている。
—―殺される。
萬國の腹の底で、激しく警鐘が鳴らされていた。
手が震える。汗が全身から吹き出し、その汗が体を冷やす。一歩でも近づけば、即座に四肢を切り落とされるような予感さえした。
しかし、鬼城に攻めに転じられれば、今度は防げるとは限らぬ。
萬國は長い脚を伸ばし、飛び込んだ。
鬼城の殺気を前に、萬國はがむしゃらに突くしかない。
*
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