第13話 白の鴉


 *


 煌々と光る望月は、意地が悪い。昼の陽光に成り代わり、その月光で、周囲のものの形を浮かび上がらせる。


 萬國とて、例外でない。


 そこかしこから突き出た木々が、騒々しく揺れるその合間を、萬國の巨体が駆け抜ける。成る丈、月光を浴びぬよう、木の葉の影に隠れて地を蹴る。


 隠密活動に慣れないうえ、大岩の如き肉体の萬國が走れば足音が立つ。


 朽ち葉の割れる音。

 小枝の折れる音。

 土を踏みしめる音。


 丘を切り開き築城したと言われる城だけに、草木も多い。ゆえに、嫌でも足音が立つ。しかし足音を隠せぬ萬國に対して、その後ろを走っているはずの佐吉からは、虫の羽音ほどの足音もしない。


(手慣れているのか)


 萬國はその、佐吉の気配のなさを不気味にも思う。


 しかし佐吉が手練れであることより、佐吉が不慣れな萬國に対して何の不満も漏らさないことが、不穏である。足音を立てるなとか、御庭番に見つかるとか、そういった文句の一つや二つ、出ていてもおかしくはない。だが萬國が佐吉に気を取られ、木の根に躓いても、佐吉は何も言わない。


 ただ後ろから、萬國をじっと見ているのみ。


 萬國が用済みであると判断すれば、悲鳴を上げるよりも早く、佐吉にその首を狩られるのであろう。


 月の灯りを浴びる社の階段を横目に、萬国は整備された階段を囲む林を進んだ。傾斜面を駆け上がると、城までの石畳の並ぶ階段が、二の丸、本丸へと繋がるようにして伸びている。その石畳みに沿い、塀が狛犬城の建造物を、石畳と隔てている。


 塀と対になって並ぶ林の中は、傾いている。


 林の中には川も流れ、上に登るにつれ岩石が多くなり、道が険しくなる。彫りが深く谷底のような形状になった川を飛び越え、萬國は岩から岩へと飛び移る。


 雑木林の中を動けば音が立つ。音の立たぬ岩を踏んでゆくことを、萬國なりに考えついたのだった。


 仄かな宵の光を頼りに雑木林の中を進んでいくと、やがて、その薄闇の先に白い塀が見えた。


 その塀に体を添わせ、できるだけ、体重を殺す。こわごわと地に足を突き、雑木林の外から、石畳の道の行きつく先、終着点を見た。


 萬國のいる地点から見ると、雑木林の外には、門が見える。


 大きく、堅牢そうな大門だった。そこらの屋敷とは比にもならない。萬国が全力で身を当てても、びくともしないであろう。


 しかし、幸運だ。


 門番を担っているのであろう兵が二人、門の左右を守っているが、当の二人は、松明の灯りの下で胡坐をかいてその場に眠っている。その上に、堅牢な門もわずかに開いており、その隙間から、夜にそびえる城影が垣間見えた。


(しめた)


 わずかに開いた大門の隙間は、萬國一人が通ることも易いと見える。


 念を入れて目を凝らしてみれば、門の先には人影どころか、人の動く気配もない。松明の炎ひとつ、門の先には見えることはなかった。


(故あって開けられているのか、それとも、罠か)


 門番が眠り、その上で門があいている。


 しかも、門の先には人の影も見えない。そのあまりの都合のよさに、萬國も懐疑心を覚える。


 嬉々として門をくぐった先で、大勢の兵に囲まれ、捕らわれて袋の鼠。そのようなことは、百姓の萬國でも考え付く。


「佐吉……」


 どうも、妙だぞ。

 そう言わんとした萬國の胸中を、佐吉も顔色から察したらしい。


「無防備で当然だ」


 萬國がすべてを言い終える前に、佐吉が唸った。


「鴉の襲撃なんぞ、狛犬城の連中が知るはずもない。この先で兵が待ち構えているというのならそれこそ、俺たちの企みが、敵に知れていたということになる」


「しかし、門が」


 戸惑いを隠せぬ萬國に、佐吉は、


「もはや、戦乱の世ではない。城主の首だの国盗りだの、そんなことは滅多に起きんだろう。平和呆けの成れの果てが、こうなのだ。今時、一晩くらい城門があいていたって、国なぞ滅びやしない。だから、無防備など今時珍しくもない」


 そう言及した。

 根拠などないであろうに、妙に説得力がある。


 その言葉に呑まれて、結局、萬國は何も言えなくなった。

 どのみち死にゆく萬國に、敵の有無など関係ない。


 死ぬのが遅れるか、早まるか。

 門の先に待つ塀の多さが、萬國に及ぼす影響など、その程度にしかならない。


「分かったら、さっさと行け」


 佐吉が冷徹に命じて、萬國の背中を突いた。


 促されるまま、萬國は一歩踏み出す。かすかな草の音に怯えながら、歩み、石畳まで到達する。眠りこける門番の動きを伺い、体の向きを傾けるや、かすかに開いた城門を潜り抜ける。


「誰もいないか」


 城門の向こう側で、まだ門を潜っていない佐吉が問うた。

 萬國は今一度目を凝らし、周囲を見回す。


(奇妙だ)


 人どころか、猫一匹だっていやしない。


 あたりは虫の声もせず、それは異質なほどの静けさでである。その人気のなさは、むしろ、無防備というよりも不自然だった。月光のもとに青白く照らされたその景色に、萬國は呆然とする。


「……誰も、いない。大丈夫だ」


「そうか」


 萬國の報告を聞くや否や、佐吉の声が返ってきた。


 その、直後。


 材木が軋み、地に擦れる音、それに続いて重量感のある音が、ばたむ、と、背後に響いた。


 とっさに萬國が振り返るも、時は既に遅い。 

 その重い音から想像できたままの光景が、眼前にある。


 人が通れるほどには開かれていた城門が、完全に閉じられていた。


「なっ」


 萬國は慌てて門に駆け寄り、強く押してみる。しかし、外から閂(かんぬき)を閉められたのであろう。城門は微動だにしなかった。


(なぜだ)


 萬國は青ざめ、一歩、二歩と後退する。


 佐吉は、へまをした萬國を処分するためにいるのであろう。ならば、萬國を敵地に放り込み、逃げてきてはならぬはずだ。だとすれば、佐吉が起きた門番に捕えられ、門を閉められたと考えるのが妥当だ。


(捕まったのか、佐吉)


 どちらにせよ、閉じ込められた萬國には、どうしようもない。


(どうする)


 萬國は考えた。


 城門の高さはおよそ四丈(約十二メートル)ある。

 とてもよじ登れるような高さではなかった。城門を蹴り破ることもできない。萬國に打つ手はなかった。


 そうして、途方に暮れていた刹那。


「くくっ」


 佐吉が、卑屈に嗤う声がした。

 我に返った萬國が、顔を上げる。


 見上げたその先、高麗門の真上で、望月が照っている。月の灯りを弾き、瓦の屋根が艶めいた。


 その月を背景に、すらりと伸びた痩躯がひとつ、屋根の上に立った。


「佐吉」


 唖然とした萬國を、佐吉は見下ろす。遠巻きで、萬國からは笠の奥にある佐吉の顔がよく見えない。


「犬の城に迷い込んだ、哀れな鴉か」


 そう、佐吉は冷笑すると、被っていた笠と、鴉の面を投げ捨てた。


 その笠と面の下から露になった佐吉の顔に、萬國は息を飲む。


 なんと美しい顔。


 小刀で切り開いたように鋭敏な眼から覗く瞳。風にたなびく黒髪は、遠目からでもわかるほどにきめが細かく、艶がある。濡れ羽色の髪が月の光沢を帯び、さらに妖しさを増す。役者張りに整った目鼻立ちを持つだけに、その冷徹な表情も極まっている。


 その剣呑ながら、魅惑的ともとれる佐吉の姿に、萬國は暫時、言葉が出なくなった。


 萬國が呆然と佇んでいるその間にも、佐吉は動く。


 軽やかに、城門から地へと降り立つや、萬國のそばを横切った。そして城に背を向けると、踵を返して萬國と対峙する。


「ここから先には、悪いが通せないな」


 佐吉はそう、嗤った。


「先には、通せない?」


 萬國は戸惑う。


 ここから通って時間稼ぎをしろと、言ったのは鴉衆だ。その鴉の一味である佐吉が、萬國を止めるとはどういうことか。


「どういうことだ、佐吉……」


 佐吉に、歩み寄った。

 しかし、そんな萬國の視界、縦一文字に黒い一閃が駆け抜ける。


「うっ」


 その一閃を追い、足元を見た萬國は、うろたえた。

 親指のすぐ先に、黒い火箸が突き刺さっている。


 後ずさりをする萬國は、一間先にいる佐吉を、凝視した。佐吉が意を翻した、というよりも、それはまるで、佐吉が別人に成り代わったようだった。


「お前は、鴉の仲間ではないのか」


 佐吉に、その正体を問う。


 佐吉は、答えない。しかし、その顔からは次第に笑みが消え、最後には、冷たい睥睨に変わる。


「狛犬城御庭番、鬼城京之介」


 佐吉はそう名乗ると、静々と抜刀した。


「色を失った鴉とやらの、二代目だ」



  *



 

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