第9話 遊幻
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狛犬城の隣を流れる大河からは、いくつもの分岐点で川が流れている。
その川がもたらす水が、豊かな土地を育てている。その川の一筋が城下町を、縦一文字に流れている。城下町にかかるその川から、船で下ってゆけば、その先には別世界が待っている。
戦乱が終わった直後より存在する、大遊郭であった。
昼は出店が立ち並び、暇を持て余した客らが美しい女郎を眺めに来る。そして夜になればそこかしこに妖艶な朧灯りがともり、朽ち果てぬ春を求めて男たちが女郎を買いに来る。
男にとっての極楽。
そう言ってしまえばそれまでである。
しかしその傍ら、この遊郭には、平たい貧乏人から、長者、高位の侍、果ては隠密稼業のものまでが、客として出入りする。
人の口は、快楽に包まれると軽くなるもの。
この遊郭では、高い地位に就く遊女ほど、洞察力に優れ、話もうまく、なにより、聞き逃しがない。人が口を滑らせて喋ったことを、いつまでだって覚えているのだ。
平たく言えば遊郭を兼ねた、膨大な情報の行き交う城なのだ。この遊郭において、女は、ただの女ではない。身や芸を売る傍ら、情報ですら売り物にしている。
格子の外から女を眺める男らにとっては、女郎など春を売る下人にしか見えぬであろう。女たちから見れば、男は金と情報を落とす餌としか、映らない。
(食えない連中だ)
鬼城は格子の奥で怪しく微笑んでいる女たちを横目に見て、苦笑する。
食えない女たちである。
しかし、その強かさが、鬼城は嫌いでない。
「あら、鬼城様」
「今日も麗しいことで」
「たまにはこっちでも遊んだくださいまし」
美形の鬼城が大門をくぐってくると、格子の内側からこぞって、女郎たちが声をかけた。
「いや、今日はいい」
涼やかにあしらった鬼城に、当然、女たちは頬を膨らませる。
「もう、今日はいい、って。いつもじゃないのさあ」
「あんた客なんだから、女は何人だって抱いてっていいのよう」
常連である鬼城には、女たちも口が軽い。
自室も持てぬ下級遊女であれば、たしなめられもしたであろうが、格子戸の奥で見世物となっている遊女らは、遊郭の中では最高格の “太夫 ”に次いで、高位である “格子 ”と呼ばれる遊女なのだ。
遊女は下人の類であるが、より多くの客を持ち、より稼ぐ遊女は、時に喜助から遣り手まで顎で使うこともあるという。高級な遊女ともなればそれほどに、この遊郭においては力を持つ。
遊女たちが多少の軽口を客に叩いたところで、たしなめられることはない。
遊女らの苦情を背に受けながら、鬼城は飄々と足音も立てず、遊郭大路を一直線に進んでいく。
以前、この大路から外れて、『切り見世』と呼ばれる下級遊女の通路を通ったことがあるが、当時のことは忘れもしない。
下級遊女が顔のいい男客を取ろうと次々に手を伸ばし、男に負け劣らぬ力をもって引こうとする。それはさながら地獄絵図のような光景であった。
上を見れば、遊女が生んだと思しき若い娘が、虚ろな眼で、見世のそばで鬼城を見ていたことがある。
ここは遊郭。
男にとって娯楽ではあっても、女には生死のかかった日々の戦場だ。ゆえに、遊郭で生まれた子供は、幸福な人生を歩むのは難しい。理解していたことだが、何度でも見られる光景ではなかった。
大門から入ってまっすぐに直進すると、巨城のごとき妓楼が聳え立っている。
妓楼の絢爛な門をくぐると、馴染みの客の来店に気づいた妓楼の婆が、
「おやっ」
と、貌をほころばせた。
「これはこれは、鬼城の旦那」
馴染みである上に、毎度 “太夫”を指名する鬼城は、遊郭側からしても、大金を落としていくありがたい客である。そのうえ、狛犬城に直属する家臣ともなれば、その扱いは別格であった。
「本日も “
「ああ、頼む」
いつもの、やり取りだった。
妓楼主自らが、
「あい」
と口の端を吊り上げた。
かつては美しい女であったろうに、今は老け故か、皺が刻まれ笑みも卑屈になりつつある。この妓楼主の老婆は、鬼城の元服時よりこの遊郭に勤めていたが、鬼城から見ても、妓楼主が着々と老いていっているのが分かった。
いかに美しくとも、遊郭から出られない女も多い。
妓楼主の姿が、それを語っているようであった。
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