番外編:天羽伊周
*
戌ノ国より山をいくらか超えた先には、
犬猿というのを仲の悪いものとして例えるように、この猿山家の城は、質素な犬江家の城とは逆の絢爛な佇まいだ。貴族が戯れに作った宝飾品のような城は、その中身でさえ豪奢なものだった。
わずかな芥も落ちていない厳格な廊下を進み、たどり着いた先の寝間で跪く。
黄金の御簾の先に向かって、頭を下げた。
「道法源右衛門が討ち取られましてごさいます」
こめかみの横にかかった白銀の髪が、黄金の御簾を透かした灯台の灯かりを孕んで光る。
各国を渡り歩いては名だたる大名の暗殺を担ってきた隠密衆『鴉』が頭領もろとも滅びた。となれば、それまで『鴉』の存在によって鳴りを潜めてきた別の破落戸どもが、国主の首を狙うようになるだろう。
大きな毒が消えたおかげで、それまで制されきた小さな毒たちが湧いて出てくるのだ。
否。すべてをまとめて毒と称するのは語弊である。
国主の中には、独裁的な体制で政治を担い、民の不満を買っている者もいる。悪しき国主を討ち果たし、政治の改善……すなわち国盗りを考える者の存在もあるのだ。
「道法亡きあとの、領地の様子はどうじゃ」
「は。まだ目立った動向はありませぬ」
白髪の御庭番・
これまでは、国主の良し悪しに関わらず、依頼さえ受ければ大抵のところ『鴉』が始末したが、彼らがいなくなったことで、一揆を企てる連中が蜂起するかもしれない。
「道法を討ち取ったのが、犬江家の者というのが憎らしいのう」
御簾の先で、ひょろりと狡猾に痩せた影が、忌々しげに呟いた。
城主・
『なぜ、お前が先に討ち取らなかったのだ』
憎らしげに呟いた猿山城主の言葉には、このような本音が隠れている。
(無茶を言うな)
無言の圧力に、伊周は頭を垂れていながらも腹の底で舌打ちをした。
『鴉』は大人数だ。犬江家でさえ手練れの御庭番二人と大勢の武士をもってようやく討伐したのだ。伊周ひとりで討ち取れというのは、いかに腕の良いといえど難題だった。
逃げのびた鴉の残党を始末しただけでも、伊周の手柄というものだが、この城主には結果しか見えていない。
「道法を討ち取ったのは、御屋形さまがお気に召しておられた、鬼城なる男でございます」
伊周は話題を逸らすことにした。
この猿山という男はたいそうな男好きで、城に召し抱える男はいずれも美男子だ。美しい男であれば見境がない。自分の息子でさえ、美しければ小姓にしてしまう男だ。
そんな男狂いの城主は、隣国の御庭番である鬼城京之介を所望し続けている。叶わぬ恋ほど燃え上がるのか、ここのところは熱を増して、
「鬼城はまだ連れてこられんのか」
と、せかすのだ。
「ふむ、やはりあの男か。美貌も才覚も持て余しておるとは、まこと、神に二物を与えられた男よ」
「道法がいなくなった今、また各国が動き出すことでございましょう。他国の城へ忍び入る頻度も」
「鬼城がここへ来るかもしれぬ、と申すか」
「左様。今後の犬江家がどう動くかを探らねばなりませぬが」
「無論じゃ。引きつづき任せたぞ、伊周よ」
「は」
いまいちど、慇懃に頭を下げてから、伊周は音もなく寝間を去った。
「兄上」
静まり返った真夜中の廊下をゆく伊周を呼び止めたのは、弟の
「おかえりなさいませ」
「ああ。お前は、いまから殿の……」
「はい」
頼周は暗闇の中にいてさえ分かる艶やかな黒髪をなびかせて、重苦しくうなずいた。
この天羽兄弟、どちらも同じ母の腹から生まれ、猿山城主の血を継ぐ、いわば国主の血筋にある者だ。
母に似て容姿の美しい頼周は猿山から寵愛を受けたが、猿山に似た伊周はと言えば、兄でありながらひどく冷遇されていた。
兄でありながら冷遇されるたった一つの理由は、
『醜い』
それだけだった。
(道法の気が狂うのも分かる)
道法と同じように、容姿ひとつで虐げられる、そんな命運に身を置いていた伊周には、彼が極悪人の道に走った心情が痛いほど分かる気がした。
否、弟の頼周とて、寵愛という名目で父の相手をさせられるのだからたまったものではないだろうし、伊周に弟の痛みは分からない。分かりたくもない。
だが、それは弟の頼周とて同じだ。兄のように戦いに明け暮れることなく、見ただけで虐げられずに済んでいるのは、美しく、寵愛を受ける資格を持っているからだ。頼周も内心では、兄の味わった痛みなど知りたくもないだろう。
醜いものの苦痛は醜いものにしかわからないし、美しいゆえの苦痛も、美しいものにしかわからないものだ。
だが、
(鬼城京之介……)
道法が討ち取られた晩の鬼城の姿が、伊周の頭に焼き付いて離れない。
鬼城は道法に両親を殺されているはずだ。ならば、道法のすべてを否定し、虐げ、無残に討ち取ったに違いない。
だが、確かに伊周の目には、鬼城が道法の苦痛を知り、理解しようとしたように見えた。誰からも愛される美しさを持ちながら、道法の立場をわが身に置き換え、共感した。
共感したうえで、自らの憎しみと向き合い、堂々と討ち果たしたのだ。その姿はまるで、父から軽蔑されてきた伊周が、鬼城に理解され、共感されたように感じた。
(鬼城殿は拙者の心を分かっている)
鬼城に対して抱いていた好感が、徐々に膨れ上がっていくのに時間はかからない。
それまではただの美男子でしかなく、犬江家に行くのも苦痛でしかなかったが、今はあまり苦ではない。
「兄上、どうなさったのですか」
刹那、頼周の白い顔から血の気が引いた。
「どうした」
「いいえ……兄上が笑うなど、珍しいことでしたもので」
伊周はふと、普段は山なりに曲げている口元に触れてみる。本当に、頼周の目から見て笑っていたのだろうか。
「拙者も笑うことはある」
「左様ですか」
「また近いうちに犬江家へゆく。帰るときに、土産でも買ってきてやろう」
それだけ言い残して、伊周は再び廊下を歩み進めた。その歩調は、どことなく陽気に弾んでいる。
*
御庭番福事始 -鴉編- 八重洲屋 栞 @napori678
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