第13話 異獣
「みんなしてどうしたんだい?この暑い中」
いつものようにフラっとやって来た猫又は私たちを見るなりそう言った。
確かに、見た目がてんでバラバラの人間二人と人形が一体、縁側で仲良く座っている光景はなかなか異様だ。
「実は冷房が故障してしまいましてな。室内にはとてもいられたものでは無いのでこのようなことに」
冨田が状況を説明した。
「業者が来るの明後日になるって…死んじゃう」
メリーさんは後ろに倒れこむように寝そべり、ぐちぐちと憎まれ口を叩いた。
「あーあ、こんな所来るんじゃなかった」
「まあまあ」
正直なところ、思ったことをストレートに言ってしまうこの娘の扱いには、紅廊館の面々も若干手を焼いていた。
「逆にこの環境でも変わらず働いている悦子さん、強すぎですよね」
縁側で伸びている私たちを尻目に、悦子さんは今日もせっせと台所に立っていた。
「昨日までは快調に動いていたのですがな。どうしてしまったのでしょう」
冨田は首を傾げた。
「考えたって仕方がありません。とりあえず業者の人が来るまでは、この暑さをしのぐ方法を先に考えましょうよ」
私は言った。
その時、玄関の方で声がした。
「ごめんくださーい」
「はーい」
私は声の主を迎える為、縁側を立って出て行った。
玄関に立っていたのは見たことも無い毛むくじゃらの生き物だった。色は濃い茶色をしていて、特に顔があると思われるあたりの毛が長い。そして背中には昔ながらの柳行李が背負われていた。
「あ、どうも初めまして。僕はイジュウと申します。異なる獣、と書いて異獣です。よろしくお願いします」
人間離れした見た目とは裏腹に、よく通る若い男の声で毛むくじゃらは言った。
「どうも…」
「冨田さんはいらっしゃいますか?僕、冨田さんにお届けものがあって来たんですよ」
「お届けもの?」
異獣がせかせかと背負った行李をおろして荷を解いていると、冨田がやって来た。
「これはこれは異獣さん。遠方よりよくお越しくださいました」
「冨田さん!今年も良いものを持ってきましたよ。暑いので集めるのが大変だったんですが」
そう言って異獣は藁で包まれた何かを取り出した。
なぜかぐっしょりと濡れている。
「おお、素晴らしい。丁度今、冷房の調子が悪くなってしまいましてな。涼を求めておったのですよ」
冨田は嬉しそうにそれを受け取った。
「なんですか?それ」
「万年雪でございます。彼は全国の山を行脚しておられて、このように毎年万年雪を暑中見舞い代わりに持ってきてくれるのですよ」
「へえ」
藁の間からは半透明の塊が覗いていた。
異獣は私たちの会話を満足気に聞いていたが(顔が毛で見えないので正確なところは分からない)、ふと何かを思い出したように聞いた。
「そういえば冨田さん。前回お持ちしたもの、何か分かりましたか?」
「前回?」
冨田は額にしわを寄せて考えこんだ。
「すみませんな。最近物覚えが悪くなってきたもので。前回は何をいただきましたか?」
「覚えてないんですか?ほら、これくらいの卵ですよ」
異獣は両手を三十センチぐらいの幅に広げて大きさを示した。
「ああ、あれですか。あの黒っぽい金属の」
思い出したのか冨田はポン、と手を打った。
「そうですそうです。北海道で拾ったんですけど、冨田さんが好きそうだったので持ってきたんです」
「そうでしたな。いや、申し訳ない。後で調べようと思ってどこかにしまったのですが…」
冨田はそう言いながら後ろの廊下を振り返った。彼の種々雑多な収集物は最近書斎から溢れ出し、廊下を侵食しつつある。
「あなたどこかで見ませんでしたか?」
「いいえ」
私は首を振った。
「うーん、参りましたな。せっかくいただいたものなのに」
「別にいいですよ。また拾ってくればいいし」
異獣は冨田の様子を見て、慌てて言った。
「冨田さん」
その時背後から別の声がかかった。
「金属の卵って、もしかしてこれじゃありませんか?」
振り返ると廊下に悦子さんが立っていた。手には黒っぽい金属の塊を持っている。
「ああ、それです!それ!」
異獣が興奮しながらそれを指をさして叫んだ。
「悦子さん、これはどちらに?」
「少し前、書斎をお掃除した時にこれが足元に転がってきて、踏んで転んでしまったんです。危ないと思ったので外の物置に入れてたのを、話をお聞きして思い出したので持ってきました」
「そうですか。ありがとうございます」
冨田はほっとした顔をして卵を受け取った。悦子さんは自分の役目を終えると、そそくさと台所に戻って行ってしまった。
「というわけで無事に見つかりました。お騒がせして申し訳ない」
冨田は異獣にそれを見せながら言った。
「いえいえ、見つかって良かったです」
冨田は大事そうに卵の表面を撫でていたが、ふとその手が止まった。
「どうしたんですか?」
「いやヒビが…入っていましてな。悦子さんが踏んだ時にできたのでしょうか」
彼は卵を回して私たちにもそれが見えるようにした。
「本当ですね、ヒビから中が見えています」
異獣は顔を近づけて中を覗いた。
「でも、空っぽですよ」
「そもそもこれは何なんでしょう?」
私も割れ目に目を当てて中を覗いたが、冷たい鉛色の壁が見えるばかりだった。
「ここに何か呪文のようなものが刻まれていますな。だいぶ消えかけてはいますが」
冨田は卵の表面の一部分を指差して言った。
確かに薄っすらとアルファベットのような文字が白いインクで書かれているのが見えた。
所々擦れているので全部は読み取れなかったのだが、一応残っていた分だけでも、ここに記しておこうと思う。
…To Bpe…T…Moe… apM… C…… …ecb
「なんでしょうな。これは」
しばらくそれをじっと見ていた冨田だったが、やがて顔を上げた。
「何か分かりましたか?」
「色々と分かりました。この卵の正体も、そして紅廊館の空調が壊れた意味も」
冨田は意味ありげに頷き、少し微笑んだ。
私たちは昨日から動作を停止しているエアコンの前にやって来た。その前に仁王立ちになると、冨田は静かに、しかし力強く言った。
「異国よりのお客人。そこにいるのは分かっているのです。さあ、出て来てください」
一瞬、部屋は静寂で満たされた。何も起きないかと思われたその時、バチバチバチッと音を立てて機械から何かが飛び出した。
「うわっ」
驚いて思わず尻餅をついた私の横をそれは凄まじい勢いで走り抜けていった。そして、廊下の向こうのほうで再びバチバチと音を立てた。
「あっちに行きました!」
逃げた方向を追いかけたが、すぐに姿が見えなくなった。
「どこに行ったんでしょう?」
冨田は周囲を見回していたが、やがて一点に目を留めた。
「あそこです」
彼が指差す先には骨董品の黒電話があった。
「電話の中、ですか」
私が言うとそれに応えるようにベルがけたたましく鳴った。冨田が無言で促すので、私は恐る恐る受話器を取った。ザザッというノイズに混じって、獣が喚くような不気味な声が聞こえる。間違いなくこの中にいるようだ。
しかしどうしたら追い出せるだろう?
「私にやらせて」
背後から声がした。振り返ると廊下の向こうに赤い服の少女が立っている。
「メリーさん…」
「私なら、捕まえられるわ」
彼女はつかつかと歩み寄ってくると、受話器を渡せとばかりに手を出した。
「暑いのにはもううんざりなの。早い事厄病神を追い出しましょ」
都市伝説のあんたが何を言ってるんだ、とも思えたが、私がチラッと冨田の方を見ると、彼は賛成の意を示して頷いた。
「では、お願いしましょうか」
メリーさんは渡した受話器に顔を近づけると、まだ喚いている相手に向かって囁いた。
「もしもし、私はメリーさん。今、あなたのうしろにいるの」
その途端、彼女の姿が一瞬消えたかと思うと再び現れた。そして彼女の手には、彼女と同じぐらいの大きさで濃い緑色のカエルのようなものがぶら下がっていた。
「すばらしい」
冨田は嬉しそうに言って手を叩いた。
「こいつはなんですか」
異獣が鼻をヒクヒクさせて臭いを嗅ぎながら言った。
「この子はグレムリン。近代になってロシアで発見された妖です。機械に侵入し、故障させるのが特徴なのです。日本にはなかなか入ってこないので、私も実物を見るのは初めてですな」
「Ублюдок!」
グレムリンはまだ不機嫌そうに喚いている。
「なんて言ってるんですか?」
「分かりません。おそらくロシア語でしょう」
そんな会話を交わす私たちを尻目に、メリーさんはグレムリンを投げ捨てると冷たく言い放った。
「とりあえず壊したエアコンを直しなさい」
グレムリンはぐう、と鳴いて地面に突っ伏した。
「まあ、そう虐めても仕方がありません。異国の地に1人で放り出されて怖かったでしょう」
冨田はそう言ってさっきの卵を差し出した。
「とりあえずこの中に戻ってもらいましょうか」
グレムリンは卵を見ると、もぞもぞと動いてその中に這い込んだ。
しばらくするとエアコンから涼しい風が吹き出してきた。
やはり故障の原因はグレムリンだったようだ。当の本人はといえば、卵の中でスヤスヤと眠っている。冨田曰く、慣れない土地でパニックに陥ったので、あのような暴れ方をしたのでしょう、とのことだった。彼もまた、被害者だったのだ。
「どうするんですか、これから」
「そうですな、ここに置いてあげても良いのですが」
大方予想のできた言葉が返ってきた。
「いえ、僕が連れて行きます」
そう言って手を挙げたのは異獣だった。
「元々彼の意思に反してここに連れてきてしまったのは僕です。それに紅廊館では彼の本来の住処である機械が少なすぎます。幸い僕は日本全国を常に行脚しているので、きっと彼にも相応しい場所がどこかに見つかると思います。だから、ここは責任を持って僕が、新しい居場所探しに協力したいと思うんです」
毛の隙間から覗く黒い瞳には強い決意が見て取れた。
「分かりました。では、そういうことにいたしましょう」
冨田は深く頷いた。
異獣が荷物を背負って出て行った後、縁側に座っているメリーさんを見つけた。
「メリーさん」
隣に座ると、彼女は顔を背けた。
「今日はありがとう。助かったよ」
「…そう」
「すごいこと、できるんだね」
「電話をかけた相手の背後は無条件にとれる。あなたのときもそうだったでしょ」
そうだった。初めて紅廊館に現れたとき、彼女は突然背後に現れた。
もし冨田の助けがなかったら私は…
「…どうして?」
彼女はぽつりと言った。
「私はあなたを殺そうとしたのに、あなたは、私がここに住むことになっても文句一つ言わなかった。どうして」
「正直、どうしてかなんて分からないよ」
私は言った。
「でも君をここから追い出してしまったら、君はきっと次の場所で、別の誰かに、また同じことをする。だったらここで、それを止めないといけないと思ったから」
「そう。お人好しなのね、あなたって」
「よく言われる」
ツンとしていたメリーさんの顔が、少し笑った気がした。
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