第9話 ハンザキ

 ある日、冨田の部屋に呼ばれた。

「お忙しいところすみません。ちょっと気になることがありましてな」

 彼は私を花魄かはくが住むテラリウムのところに導いた。

「これは何ですかな」

 水槽の水の中に、白くて短い虫のような生き物が沢山うごめいている。ナメクジのようにも見えるが、角は無い。

「小さくてよく見えませんね。虫眼鏡とかありますか」

「ああ、それでしたら」

 冨田は近くの机の上から大きなレンズのルーペを取り上げた。私はそれを受け取ると、水槽の中を観察した。

 白い生き物は平たく、頭のほうがやや膨らんだ矢印のような形をしている。そして頭の真ん中には上を向いた目が二つついていた。その特徴的な形と目を見て、私はこの生き物の名前を思い出した。

 プラナリアだ。小学校の時、理科の教科書で見た覚えがある。確か再生能力が高い生き物で、一個体を二つに切ると切れ端がそれぞれ再生して二個体になるという、漫画のような生態を持っている。教科書に「見つけたら切ってみよう」という、他の生き物に対してであれば倫理的に大変なことになるような一文が書き添えられていたのも印象深い。

「ほう、なるほど。それはなかなか奇怪な生き物ですな」

 プラナリアの説明をすると冨田は興味深げにルーペを覗き込んだ。


 調べてみたところ、プラナリアは水やそこに住む生き物になんら害をなすものではないらしい。駆除するのも可哀想だということで、ひとまずは何もせず、様子を見ることになった。

「しかし切り裂いても生き続け、尚且つ再生するとは。妖も驚くような強靭さですな」

 冨田はプラナリアが大層気に入ったらしく、ルーペでずっと眺めている。

「妖にも裂かれても生き続けるものがいましてな。ハンザキという妖はご存知ですか」

「オオサンショウウオのことですか」

 オオサンショウウオは二つに裂いても生き続けるという伝承から「ハンザキ」と呼ばれていて、広島の方にはそれに由来する祭りまである、という話を聞いたことがあった。

「一般的にはそう言われております。しかしその正体は別物である、と私は考えておるのです」

 冨田がそこで窓の方を向いたので、私もつられて外を見た。塀の上で猫又が居眠りをしている。

「あそこにいる猫又は、長年生きた猫が妖に変化したものですが、猫と猫又は同じではありません。猫は動物、猫又は妖です。この二つは異なるものです」

 それはその通りだ。

「私は同じように、オオサンショウウオが何らかの変化を経てハンザキになると考えておるのです。だからこそハンザキは神格化され祀られるようになったとすれば、辻褄が合うのではないでしょうか」

「ではハンザキは妖だと」

「そういうことになりますな」

 荒唐無稽に思える説だが、筋道は通っている。例に挙げられた猫又はもちろん、付喪神や経凛々、メリーさんなども、元々妖でなかったものが変化して妖になったものだ。

「オオサンショウウオがどうしてハンザキになるのか。長年分かりませんでした。彼らは化けるにはあまりにも人間の生活から乖離しすぎているのです」

 物や動物が化けるには多かれ少なかれ人間が関係している。人間によって大切にされたり、逆に粗雑に扱われて恨みを募らせたり。妖になるきっかけを与えるのは人間であることが多い。

「しかし、今日もしかしたらその謎が解けたかもしれません」

「どういうことですか」

「プラナリアです」

 冨田はすっと人差し指を立てた。

「オオサンショウウオは綺麗な川の上流に住む生き物です。そしてプラナリアも、水槽の水にいるということは、そこそこ綺麗な水を好むのでしょう。つまりこの二者は出会う可能性が高い、ということです」

 外の猫又が目を覚まして立ち上がった。二本の尻尾がゆらゆらと揺れている。少し真ん中が膨らんだそれは、こころなしか水にたゆうプラナリアを思わせる。

「オオサンショウウオがプラナリアを大量に取り込むことによって生命力が向上し、ハンザキになる、とは考えられませんか」

 随分と飛躍した説だ。そもそも取り込んだからといって、その生き物の力が得られるようなことがあるんだろうか。

八百比丘尼やおびくにという尼僧は人魚の肉を食べることによって八百歳まで生きたそうです。そのような事例を考えると、あながちありえない話ではないと思うのですが」

 なるほど、それは一理あるのかもしれない。

「しかし、何とも皮肉なものですな」

 冨田は言った。

「何がですか?」

「ハンザキは強い生命力を持っている故に裂かれてしまう。プラナリアは再生能力を持っている故に切り刻まれてしまう。そして人魚は長寿の肉を持っている故に食べられてしまう。彼らの命が他の生き物と同じなら、彼らはそのような目に合わないでしょう。長寿というのも、良いことばかりではないのかもしれませんな」

 おそらく自身も人並み以上生きているのであろう彼の言葉には、不思議な寂しさが伴っていた。

 

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