第28話 ジャッキー



「ねえ、おばあちゃん。見て見て!」

「どうしたんだい?」

「ほら!」

「あらあらこんなに汚して。カズくんはわんぱくだねえ」

「ねえ見て!」

「なんだい?これは。随分と大きいねえ」

「ジャッキーって言うんだ。とっても強いんだよ」

「ほー、そうかい。確かに強そうだねえ」

「これでおばあちゃん、さみしくないでしょ。ジャッキーがいるから」

「そうだねえ」


「おばあちゃんこんにちわ!」

「カズくんいらっしゃい。よく来たねえ」

「おばあちゃん、僕1年生になったんだ!」

「知ってるよ、お母さんから聞いたからねえ。ほんと、カズくんも大きくなったねえ」

「ねえ、ジャッキーは?」

「奥にいるよ、見ておいで」

「ジャッキー!」


「あら、カズくん。また大きくなったねえ」

「当たり前だよ、僕今度で5年生だよ」

「あらそう。早いもんだねえ。ジャッキーも喜んでるよ」

「もう、来るたびに言うの恥ずかしいよ」

「いいじゃないの。ほら、挨拶しといで」

「えー」


「今日はカズくんは?」

「すみません、お義母さん。カズは部活の練習が忙しくて無理だって」

「あの子ももう…」

「中2です」

「もうそんな…早いわねえ」

「ほんと、あっという間ですね」

「男の子でそれくらいって、一番よく食べるでしょ」

「ええ」

「丁度いいわ。山口さんからお野菜、いただいたのよ。ちょっと持って帰ってちょうだい」

「そんな、いつもいつもすみません」

「いいのよ、カズくんのためだもの」

「お義母さん、これって」

「ジャッキーよ、覚えてるでしょ」

「はい。まだあったんですね」

「当然よ、カズくんが私のために…」


「母さん。あの話、考えてくれた?」

「ああ、そうねえ」

「もうそろそろ、近くにいた方がお互いのためだと思うんだ」

「うーん」

「何かあってからじゃ遅いんだよ。俺たちだってすぐには駆けつけられない」

「それは、分かってるんだけどねえ。やっぱりここから離れたくないの」

「気持ちはわかるけど…俺も心配なんだよ」

「…そういえば、今日カズくんは?」

「予備校だよ。年明けたらすぐ大学受験だから」

「あら、知らないうちにもうそんな…長いことあってないわね。よろしく伝えておいてもらえる?」

「いいよ。でも母さん、こっちに来たらもっと頻繁にカズと会えるよ。」

「そうだねえ…」


「ねえジャッキー、どうしましょう」

「…」

「ここを出て行ったら、あなたはついてこられないわよねえ」

「…」

「でも、カズくん。もうここには来ないかもしれないものねえ」

「…」

「ほんと、歳をとるって面倒ねえ…」

「…」


「あら、何かしら?」


「ちょっと、あなた!何してるの!」


「ジャッキー!」


「ばあちゃん!」

「カズ…くん…?」

「ばあちゃん!無事だったんだね」

「うん、大丈夫だよ」

「よかった…」

「ジャッキー、が」

「え?」

「ジャッキーが、守ってくれたからね」

「ジャッキー…」



「確か以前、その新聞記事は読みましたな」

その不思議な体験を一通り聴き終えた冨田は言った。

「田舎の住宅街で男の死体が発見された。しかしそれは、本人の特定が困難なほどバラバラに引き裂かれていた。警察が捜査を進めると、その男はどうやらその晩、近所の老婦人の家に強盗に入った人物と同一である可能性が高いことが分かった、と」

「無傷で保護された老婦人、いや僕の祖母はひたすらうわごとのように『ジャッキー、ジャッキー』と呟き続けていました」

 私たちの前に座っている青年は、間山一俊まやまかずとしと名乗った。年は20代半ばぐらいだろうか。彼は祖母の遺品整理について相談したいことがある、と紅廊館に電話をかけてきたのだ。なんでも自分の祖母が巻き込まれた出来事について、冨田に考えを聞かせて欲しかったらしい。彼から何か興味深い匂いを嗅ぎ取った冨田は、彼が紅廊館に来るのを快く了承した。

「ひとまず見せていただけますかな、『ジャッキー』を」

 冨田はそう言うと、青年の携えてきた四角い板状の荷物を示した。

「分かりました」

 青年は脇に置いていたそれを冨田と私の正面に置くと、包んでいた風呂敷を取り除いた。

 

「これは…」

 私は思わず言葉を失った。

 中から現れたのは短辺でも70cm以上ある、大きな長方形の額だった。中に入っている白い紙の上には、クレヨンか何かで描き殴られた線がたくさん走っていた。紙の表面に凹凸があるせいで、ひかれている線もガタガタだ。

「ジャッキーです」

「ほう。なかなか力強い線ですな」

 冨田は少し笑って、ガラス越しに線をそっとなぞった。

「これをあなたが?」

「はい、僕が3歳の時に描いたものです。丁度その頃怪獣もののテレビにハマっていて、自分でもオリジナルの怪獣を考えて、よく落書きしていました。ジャッキーもその一つです」

「素敵な絵ですね。子どもならではの、のびのびとした感じがよく出ています。描いた場所についてはどうかと思いますが」

「それについては、まだ子どもだったということで許してください」

 間山は照れくさそうに頭を掻いた。

「でもこれがあるせいで、祖母が家を引っ越す気にならなかったのだとしたら、嬉しい反面、迷惑をかけてしまったなと思います。もっと早くホームに入っていれば、強盗とも出会わなかったでしょう」

 間山は幼い頃、祖母の家で台所の壁に落書きをしたのだという。それがジャッキーだった。

 普通なら叱りつけるところだが間山の祖母は大変喜び、気に入ってずっと消さずに残しておいたらしい。

「結局例の一件以来、祖母はうちの近所にある老人ホームに引っ越すことになりました。でも祖母はどうしてもジャッキーを手放したくなかったようです」

 ジャッキーは自分を守ってくれた。

 事件の後、祖母は何度も間山に言った。

 年寄りの戯言として一蹴するにはあまりにも鬼気迫るものだったそうだ。

「それで専門の業者に依頼し、ジャッキーが描いてある部分だけ壁紙を切り取ってもらったんです。老人ホームの部屋にこの額をかけて、祖母はとても嬉しそうでした」

 間山は話しながら鼻をすすった。

「おばあさまは、あなたのことをとても大切に思っておられたのでしょうね。家に残されたジャッキーはきっと、遠いところにいるあなたの代わりのような存在だったのでしょう。長い年月をかけてその念が移り…」

 冨田は額を元通り風呂敷に包んだ。

「本当におばあさまを守るまでに成長した」

「祖母がいないいま、ジャッキーをどうするべきか。悩んでいるんです」

「そうですな」

 冨田は少しの間、目を閉じて考え込んだ。部屋の中を静寂が流れる。

「ジャッキーはおばあさまのお気持ちをたくさん吸収しました。しかしおばあさまはもうおられない。つまりジャッキーはもう、役目を終えているのです。もしこのまま放置しておくなら、きっとジャッキーの内側に溜め込まれた力は、良くない形で現れるでしょう。あなたやご家族に危害を加えるかもしれません。今でさえ人を殺めてしまうような力を持っているのです。このまま手元に留めておくのを、私はおすすめしませんな」

 間山はそれを聴いて気持ちが固まったらしい。

「冨田さんのおっしゃる通りだと思います。真偽はもう分かりませんが、その強盗を殺したのはおそらく、本当にジャッキーなのでしょう。だったら描いた僕にも責任がある。最後までそれを果たそうと思います。ジャッキーは明日、祖母の棺に入れて焼いてもらうことにします。それで良いでしょうか」

「良いと思います」

 冨田はにっこりと微笑んだ。


 

 その時、風呂敷の中で額がぶるりと震えた気がしたのは、私だけだったのだろうか。



 朗らかな顔で帰路についた間山が、再び紅廊館を訪れることは無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る