第27話 スライム



 それは突然現れた。太陽が燦々と照り輝く夏の日に。


「ねー」

 悦子さんを手伝って廊下の拭き掃除をしていると、庭で遊んでいるメリーさんの声が聞こえてきた。

「ねえってばー」

 どうやら私を呼んでいるらしい。

「どうしたの?」

 私は掃除を一時中断すると、声のする方向に歩いて行った。

「見て、なんか変なのがいる」

「変なの?」

 喋って動くフランス人形以上に変なものとはなんだろうと思いながら、縁側から庭に下りた。庭の真ん中あたりでやや装飾過多なドレスを着た少女がしゃがんでいる。

「これなんだろう?」

 メリーさんは手に棒きれを持って、足元にうずくまっている何かをつついていた。

 私は彼女の肩越しにそれを覗き込んだ。

 

 それはなんとも名状しがたい不思議な物体だった。

半透明で淡い黄緑色をしている一応意思というか自立したなにかがあるらしく、メリーさんがつつくと全身を縮めるようにぶるんっと揺れる。

「これ何?」

「さあ」

なんだか夜店で売っているスライムみたいだ。

「スライム?」

「知らない?黄色とか青のドロッとした塊。子どもの頃、夜店の景品で当たったんだよね」

「何それ」

「知らないか。あのフィルムケースみたいな入れ物に入った」

「ふぃるむけーす?」

「 …まあとりあえず、こんな風にむにょむにょしたおもちゃだよ」

フィルムケースが通じないのは若干ショックであったが、人形のメリーさんが触れる機会がなかっただけだと思うことにする。

「どこから来たんだろう」

「さあ、昨日庭掃除をした時はなかったけど」

「見て、ぷるぷるしてる。おもしろーい」

彼女は指先でそれの表面を押しながら、楽しそうに言った。未知の物体に対する恐れがないのは、流石メリーさんといったところだが、様子を見ているとどうやら危険なものではなさそうだ。

「そろそろ戻ってきてくださいな」

悦子さんが縁側から顔を覗かせた。

「はい、すぐ行きます」

私はメリーさんとそのスライムのような物体を残し、紅廊館に戻った。


「ほう、これは」

 冨田は興味深そうにゼラチンの塊のような物体を見た。

「一体何でしょうな。私も見たことがありません」

「スライムのスラ太郎って言うんだよ」

 すさまじく雑なネーミングだが、メリーさんは自信たっぷりだ。

「スライム、ねえ」

「私が歩くとスラ太郎はついてくるの」

 そう言うとメリーさんは、私たちの周りを歩いて見せた。するとその後を追うようにスラ太郎もズズ、ズズズと体を引きずって動くのだ。

「何かしら感覚器官はあるようですな。しかし見たところ目も鼻も耳も無いのに不思議です」

 彼は懐から取りだした拡大鏡でスラ太郎の体表をつぶさに観察した。スラ太郎は特に動揺することもなく、ただメリーさんに撫でられるままじっとしている。その様子はまるで飼い主と忠実な犬のようだった。

「ふーむ。どうやら体内で液体が循環しているらしいことは分かりましたが、それ以外はなんとも言えませんな」

「じゃあ、スラ太郎。あっちで遊ぼう」

 メリーさんはスラ太郎をポンポンと叩くと走って行った。その後ろを黄緑の塊はズズ、ズズズと音を立てながらついていった。

「いやはや、子どもというのは元気ですな」

 フランス人形とスライムという異常な組み合わせの二人が家の中で好き勝手遊んでいるというのに、のんきな人だ。

「それで、なんなんですか?スラ太郎って」

「私にも分からんのですよ。少し古い文献を見てみますかな」

 冨田はそう言うと書斎に引っ込んでしまった。

 私はメリーさんとスラ太郎が遊ぶ声を聞きながら、庭仕事に戻った。


「なんだか気味が悪いねえ」

 猫又はそう言うと、前足の先でスラ太郎を小突いた。

 スラ太郎はドゥルドゥルッと小刻みに震える。

「いじめちゃだめ」

「別にいじめやしないさ」

 メリーさんを軽くいなしながら、今度は鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いだ。

「なんだかしょっぱくて、ちょっと生臭い匂いがする」

「そう?」

 忘れていたが、そういえば人形のメリーさんには嗅覚が無い。

「なんだろうね。害は無さそうだけど、やっぱり気味が悪い」

 猫又の言葉を理解したのかしていないのか、スラ太郎はヌルヌルと表面をうねらせた。

「私は毛の無いのは苦手だね」

 そういうと猫又はピンと尻尾を立てて向こうに行ってしまった。

「スラ太郎って気持ち悪いのかな」

「うーん、そうは思わないけど」

 メリーさんが少し寂しそうな顔をしたので、私は言った。

「そうだよね。かわいいよね、スラ太郎」

 彼女は自分に言い聞かせるように足元の物体を見下ろし、驚きの声をあげた。

「あれ?」

「どうしたの」

「スラ太郎って、足、あったっけ?」

「え?」 

 彼女の言葉につられて私もスラ太郎を見る。

 すると黄緑色のスラ太郎の体から、四本の短い足が出ていた。

「すごい、足が生えたんだ」

 メリーさんはしゃがみ込んで、そっと新しい足に触れた。

「ぷにぷにしてる」

 彼女は立ち上がって少し離れると、スラ太郎をよんだ。

「おいで」

 するとスラ太郎は出来たばかりの足をちょこちょこと動かしながらメリーさんの方におぼつかない足取りで歩いて行った。

「すごーい!歩けるんだ」

 メリーさんはいつになく興奮して、その場で飛び跳ねた。

「スラ太郎、歩けるんだよ」

 今までは這いずるばかりだったので確かに大きな進歩なのだろう。どうやら不定型な形をしているだけでなく、新しく器官を作ることもできるようだ。しかし足が生えたことにより、いっそうスラ太郎の正体が分からなくなった。

 

 これは一体なんなのだろう。

 

「そうですなあ」

 その晩遅くまで、冨田は書斎で茶色くなった古書やら巻物やらをひっくり返しながら、スラ太郎に繋がりそうな情報をひたすらに探していた。

「古い文献にも、あのような妖は載っていませんな」

 どうやら並々ならぬ知識を持っている冨田ですら、その正体については分からないようだった。

「本当に記録に無いんですか?」

「まあ、あることにはあるのですが」

 冨田は一冊の分厚い革張りの本を取り上げ、そこの挿絵を私に示した。

「これなんかはかなり近いように思えるのですがな」

 挿絵は古い銅板刷りで、目玉の沢山ついた形の分からない怪物が描かれていた。確かに言われてみればスラ太郎にも少し似ている気がする。

「何ですか、これ」

「これはラヴクラフトという人が一九世紀末頃に書き記した書物に登場する怪物、ショゴスです」

「ショゴス」

 私は聞き慣れない単語に首を傾げた。

「はい。なんでもこの地球上に有史以前から存在する『古きもの』によって生み出された生物のようです」

「そんなものが本当にいるんですか?」

「有史以前の地球については諸説ありますが、その時代には人類を超えるほどの知能を持った支配者がいた、という説を熱心に支持している学派がいるのは事実です。しかし現在のところ確固たる証拠が見つかっていないため、あくまでも学説の一つにすぎないのですが」

 しかし描かれているショゴスは人の何倍もの大きさがあり、いかにも人を害しそうな雰囲気だ。私たちの元にいるスラ太郎とは違う。

「それにしてもなぜ足が生えたのか。それも分かりませんなあ」

 冨田は本から顔を上げると、お手上げと言うように首をすくめた。

「まあ、メリーさんの手前もありますし、紅廊館にしばらく住まわせて、生態を地道に調べていく方が先でしょうな。そうすればゆくゆくはスラ太郎が何かぐらいは分かるでしょうし」

「そうですね」


 このとき私たちは知らなかった。

 この新しい居候の変化が、まだ始まったばかりであるということを。

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