第26話 タピオカ


 冨田は知る人ぞ知る甘党である。

 私も彼からよくこんな質問をされる。

「あなたはお若いですから、最近の甘味などご存知ではないですか」

「そうですねぇ・・・」

 そうは言っても、私とてそこまで流行りに敏感なわけではないので、聞かれて咄嗟に思い浮かぶものがない。

「あ、でも」

 1つあった。

 街を歩いていると、今やどこでも目にするあれが。

「タピオカミルクティーって知ってます?」

 

 タピオカはキャッサバという芋から取り出したデンプンを、水で溶いて粒状にしたもののことである。独特のもっちりとした食感がくせになるのか、元号が変わった辺りから世間では若い女の子を中心に爆発的な人気を誇っている。

 通常タピオカは甘い飲み物に入れて楽しまれることが多い。

 その中でも最もポピュラーなものが、ミルクティーの中にタピオカを沈めたタピオカミルクティーなのである。


「なんと・・・」

 冨田に頼まれ、とりあえず手近な店に赴いた私は絶句した。

 小洒落たピンクのシェードに覆われた窓口の前には、想像を遙かに超える量の人が並んでいる。列に沿って歩いてはみるものの、どこまでいっても人、人、人。

 しばらく歩いてやっと、最後尾の札を掲げている店員らしき人物のところにたどり着いた。ところが、

「すみませ~ん。もう売り切れそうなので、ここまでとさせていただいてるんです~」

 と札を持っていた可愛らしい女性店員は申し訳なさそうに言った。

「そうですか・・・」

 私は仕方がなく他の店に行くことにした。


 ところが私はどうやら巷に渦巻くタピオカ旋風を舐めていたようだった。どこの店の前も行列と品切れの連続。

 とても今日中には手に入れられそうもない。

 頼みの綱のコンビニエンスストアですら、タピオカ飲料の並ぶ棚は空っぽになっていた。

 結局何の成果も得られないまま、私はとぼとぼと帰路についた。


 その晩のこと、いつものように美味しい夕食が終わった後に、悦子さんがお盆に乗せたデザートを持ってきてくれた。

「久しぶりに作ってみたのでお口に合うか分かりませんが」

 そう言いながら悦子さんは器を私と冨田の前に置いた。

 器の中には白い液体がなみなみと湛えられていて、そこに半透明の球体がいくつも浮かんでいる。

「これってもしかして・・・」

「タピオカとココナッツミルクです。私が若い時分にも流行ったんですよ。最近また人気になってるんですってね」

「ほう、これがタピオカですか」

 冨田は目を細め、しげしげと見つめる。

「どこで買ったんですか?」

 その日何枚見たか分からない売り切れの看板を思い出しながら聞いた。

「知り合いに輸入食品の販売をされている方がおりまして、少しお裾分けをして貰いました。冨田さんが食べたいと言っておられたので、私の知っていたレシピで作ってみました」

 老人は浮いているタピオカをそっとスプーンで掬い、口に運んだ。

 そしてゆっくりと顎を動かして味わい、言った。

「なんとも変わった食感ですな。噛めば噛むほど味が出る、という訳でもないようですし・・・しかしなぜか癖になりますな」

「私も初めて食べたときは、同じことを思いました」

 悦子さんも自分の分を食べながら言った。

「でもこれを食べると、昔のことを思いだすんですよ」

 悦子さんが初めてこれを食べたとき、その周りにはどんな世界が広がっていたのだろう。

 タピオカはその思い出を閉じ込めたタイムカプセルなのだ。


 私もスプーンを握り、タピオカの粒を拾う。

 食べようと顔に近づけると、仄かに癖のある甘いココナッツの香りがした。

 口に含む。

 舌で転がす。なるほど、確かに珍しい食感だ。

 モチモチでもない、パフパフでもない。

 敢えて言うとすれば、モッモッモッ、といったところだろうか。

 なかなか潰れないので思わず舌で転がしてしまう。

 表面のココナッツミルクがいつの間にかはげ落ち、淡泊な味の塊だけが残った。


 タピオカ。

 その本体は、なんとも説明し辛い、奇妙な物体だ。

 永遠の脇役でありながら、主役の座に登り詰めた。

時を超え、世代を超え、いろんな人に愛される。

一方でその歯ごたえには、まるでいぶし銀の舞台俳優のような、どこか無骨なものすら感じる。

 ただ、それ自体の味を語ろうとすると、適切な言葉が見つからない。

 モッモッモッ、モッモッモッ。


 私たちは無心になって口を動かし、噛み続ける。

 その、言い表せない味の本質を求めるように。

モッモッモッ、モッモッモッ。

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