第5話 経凛々

「ちょっと手伝って頂けますかな」

 庭仕事をしていると、冨田老人に声をかけられた。

「なんですか?」

「裏の倉庫から荷物を出したいのですが、なにぶんこの腰なもので」

 どうやら力仕事をやれということらしい。

「分かりました」

 老人に言われて運び出したのは、大きめの桐の箱である。何が入っているのかずっしりと重い。蓋を取ると中には汚れた紙が何枚も入っていた。

「これは?」

「古い経典です。不完全なものであったり、書き損じて捨てられてしまったものであったり。中途半端でありながら色々な思念が込められていたものも多い。こうしたものには魂が宿りやすいのですよ」

「なるほど」

 老人は紙を一枚つまみ上げた。するとそれはクルクルと一人でに丸まったり開いたりしながら宙に浮かび上がった。

「たまにはこうして外の風に当ててやるのも大切なのです」

 蝶のようにひらひらと飛ぶ紙を眺めながら老人は言った。

 いつの間にか私たちの周りは紙の蝶たちでいっぱいになった。

 夏の足音が聞こえてくるような日には、それがとても涼しげに見えた。

「彼らは経凛々きょうりんりんと呼ばれております。なかなか可愛らしいでしょう?」

老人が手を差し出すと、そこに一匹の経凛々がすっと留まった。

「この子たちは古いお寺で大掃除の際に発見され、危うく捨てられるところでした。そこで私は彼らをこの紅廊館に連れ来たのです」

「そんな、捨てるなんて」

 目の前を飛ぶ経凜々の姿はとても美しく、捨てるなんて考えられなかった。

「調べてみたところ彼らはどうやら昔、長い一本の経典で、ある山寺で写経が行われていたときに生まれたようです。この経典は終盤ごろになって書き損じられ、そのまま焼き捨てられそうになりました。そこに命が宿り、経凜々という妖へと変化したのです」

 つまりこの蝶のような姿になる前、経凜々はもっと大きかったのだ。

「焼かれまいとした経凜々は必死になって暴れ回りました。その結果、山寺ではたくさんの死者を出すほどの事態になってしまいました」

 不完全な形に紡がれた仏の教えが、歪な命の宿った妖を生み出した。そして生みの親である人間は、それを焼き捨て、存在を抹消しようとした。

 経凜々はそのとき、何を感じたのだろうか。

「結局力の強いお侍と山寺の和尚とが協力し、経典を細切れにして箱に封じ込めることに成功しました。その箱がこれです」

 冨田は桐の箱をそっと撫でた。よく見ると、蓋の表面に糊を剥がしたような跡がある。

「よかったんですか、封印を解いてしまって」

「彼らは、ただ持っている命で精一杯生きようとしただけです。それを阻まなければ、案外折り合いよくやっていけるものですよ」

 空中をのびのびと飛び交う経凜々は、確かに人を害するものには見えない。

「妖を保護した、ということですか?」

「左様、ただでさえ今の世では妖は生きにくい。ここぐらい彼らの安住の地になればと思った次第でございます」

 冨田老人は微笑みを浮かべて言った。

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