第12話 ろくろ首

 ある日、紅廊館の郵便受けに入っていたものを整理していると、地域の夏祭りを知らせるビラが出てきた。

「あらあら、もうこんな季節。早いですねえ。昔は子供とよく行ったものだわ」

 悦子さんは懐かしそうに、その手作り感満載なチラシを見ていた。

 私も子供の頃、家の近くの神社でやっていた夏祭りに毎年のように行っていた。いつもは日が暮れると薄暗い境内が、屋台と提灯の黄色っぽい明かりで満たされているのが、なんだか違う世界に迷い込んだようでとても魅力的だったのを覚えている。

「ほう、今年もやるのですか」

 冨田がやってきてチラシを覗いた。

「ここのお化け屋敷はなかなかの出来ですぞ」

「そうなんですか?」

「はい。まあ、日々本物の妖を見慣れているあなたなら、怖くも何とも無いでしょうが」

 冨田の言葉にはいつになく挑発するような響きがあった。

「一度行ってみるのもまた、良い勉強になるかもしれません」

 何の勉強になるのかは全く分からないが、いつの間にか私はそのお化け屋敷に行く運びになってしまった。


 当日、日が暮れてから会場に行くと、もう既に浴衣姿の人々が集まっていた。屋台で売られている食べ物の匂いもあちらこちらから漂ってくる。

「それで、あの爺さんの口車にまんまと乗せられたってわけ?」

 足元から辛辣な意見が聞こえるが、敢えて無視する。猫又は、どうやら紅廊館を出た私の後をつけて来ていたらしい。理由を聞くと、

「なんか旨いものが食えそうじゃないか」

とのことだった。まあ、化け猫なんだから食中りはもう気にしなくて良いらしいが。

「ねえ、人間。私は焼き鳥が食べたいよ」

「ちょっと待ってよ。今日は別に食べ物を食べに来たんじゃないから」

 そう、今夜の目的はあくまでもお化け屋敷である。

「どうせ人間が中に入った着ぐるみだろ?お金払うだけ無駄だって」

「まあ、そうかもしれないけど・・・」

 確かに夜店のお化け屋敷に、高い完成度を要求するのは間違いな気もする。しかしそれにしては冨田の押しが強かったのも気になる。

「とりあえずその辺で待ってなよ。食べ物は出てきてから買おう」

「分かったよ。焼き鳥、約束だからね」

 そういうと猫又は人の足の間を器用にくぐり抜けて姿を消した。悪ガキに捕まっていじめられなければ良いが、と思ったが彼女なら多分大丈夫だろう。

 私は浴衣を着、綿飴を持った子供たちと一緒にお化け屋敷の列に並んだ。どうやら混雑を避けるため、一度に一、二グループしか入れてもらえないらしい。

 しばらく並んだ後、私の番が回ってきた。受付で四百円を払い、中に入る。一緒に入ったのは小学校高学年ぐらいの女の子のグループだったが、彼女たちは入った途端に走って奥まで駆け込んでしまったので、私はまだ目の慣れない暗闇に取り残された。

 前のグループは早くもお化けに遭遇したらしく、時々悲鳴が聞こえてくる。

 それを聞くとなぜか私も妙にしゃちこばってしまった。ここは年長者の風格を見せねば、などと思いつつ、やや生ぬるい空気の流れる中に足を踏みだした。


 結論から言うと、良くも悪くも予想通りのお化け屋敷であった。蓄光塗料や懐中電灯で演出した不気味な絵が光っていたり、いきなり足元がふかふかの布に変わって足を取られそうになったり、通路の曲がり角にこんにゃくが仕込んであったり。

 出てくるお化けも人間が中に入っているのは丸わかりだし、こちらが大人だと分かると「あっ」とか言ってしまって、変に気を遣ってくるので、なんとも反応に困る。冨田はなぜ、私にここを勧めたのだろうか。

 そんな疑問も解消されないまま、気がつくと出口の近くまでやって来てしまった。

『出口はこちら』と書かれた看板を、発泡スチロールの骸骨が掲げ持っている。

「なんだ、もう終わりか」

 そろそろ出ないとうしろがつかえそうなので、私は出口の扉を開けようとした。

 その時、突然誰かに肩を叩かれた。

「はい?」

 もう後の人が追いついてきたのかと思い、私は振り返った。

 振り返ったところに、いつの間にか女性が立っていた。黒い上品な着物に、暗い中でも分かるほど、鮮やかな赤い帯を合わせている。先ほど列に並んでいた記憶が無いのだが、彼女も客なのだろうか。

「もう、お帰りになるのですか」

 濡れた唇が場所に似合わず艶っぽい。

「ずっと、あなたのことをお待ちしておりましたのに」

 そう言われても、こちらは初対面なのだが。

「寂しかったです」

 彼女が私を見つめてニヤリと笑う。

 その瞬間、室内の温度が急に下がった気がした。

 常に妖と触れ合っているから、私には分かる。

 これは子供だましの張りぼてなどではない。『本物』だ。

「あら?まだ私のことがお分かりにならなくって?」

 笑顔を固定したまま、彼女が聞く。

「は、はい」

 必死の思いでなんとか声を絞り出す。そこで、いつの間にか自分の体が言うことを聞かなくなっていることに気付いた。彼女はそんなこちらの様子を見て、くっくっくっ、と高い声で笑った。

 本能的に危険を察知して、私は体中の毛が一気に逆立つのを感じる。

「じゃあ・・・これなら?」

 その言葉と共に、彼女の首がするすると伸びた。蛇のようにそれが波打つ。先にくっついている顔はまだ笑い続けながら、宙を舞っていた。そしてそこにつながる体がそのまま普通に立っていることが、よりいっそう不気味さに拍車をかけていた。


 もう、限界だ。


 私は久しぶりに心の底から悲鳴を上げた。

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