第11話 マンドラゴラ
庭で草むしりをしていると、地面から見慣れない植物が生えているのが目に入った。地中には大根のような太い根が埋まっているらしく、その上から幅の広い深緑色の葉が何枚か飛び出している。庭の景観を整える上で明らかに邪魔な位置に生えているので抜こうと思ったが、どうにもただの雑草には見えない。とりあえず冨田に聞いてみることにした。
「抜かなくて良かったですな」
葉を仔細に観察しながら冨田は言った。
「これはマンドラゴラですぞ」
「どういうものなんですか?」
「地中の根が人の赤子の形をしています。その特徴的な形と薬効ゆえ、古来から呪術や魔法、病気の治療まで、様々なところで使われていました」
要は薬用植物ということだ。
「しかし困りましたな。こんなところに生えてこられては」
冨田はいつになく難しい顔をした。
「マンドラゴラはとんでもない生態をしておりましてな。過去に何百人もの人間がこれを採集しようとして死んでいるのです」
「本当ですか」
そう言われると、鮮やかでみずみずしい葉も危険なものに見えてくる。
「この植物は痛みを感じることができます。踏まれたり、引き抜かれたり、食べられたりすると、この世のものとは思えないほどの泣き声を発するのです」
「泣き声ってどれくらいのものなんですか?」
「通常の人間であれば、一撃で鼓膜が破れ、五秒聞くだけで脳震盪を起こします」
私は思わず耳を押さえた。
「そしてもっと厄介なことがあります。マンドラゴラは痛みを与えたものに向かって致死性の毒を放出します。揮発性で、吸ってしまうとこちらも五秒と持ちません」
なんとも恐ろしい話だ。
「しかしそんな物騒なものが庭の真ん中に生えているのも良くない。特に庭掃除をしていただくたびに、あなたを猛毒の危険と隣り合わせの環境で働かせるというのは、雇用主として避けたいところです」
それは私も嫌である。しかし排除するにしても誰かが手を下して犠牲にならなければならない。
「そもそもなんでそんな毒草がこの庭にあるんですか?」
マンドラゴラという名前を聞くからに日本の植物ではない。元からこの庭に自生しているはずがないのである。
「以前これの鉢植えを、とある筋から譲っていただいたことがありましてな。その時はうっかり枯らしてしまったのですが、枯れる前に種をつけていたのです。おそらくそれが私の知らぬ間に飛んで・・・」
元凶はやはりこの人だった。
「人間には毒でも、妖なら影響を受けずに引き抜くことができるのではないですか?」
昔の流行歌の通り『おばけは死なない』のである。
「うーむ」
私の提案に冨田は渋い顔をした。
「しかしあなた、これをどうしますか?」
そう言って上の方を指差した。釣られて目線を上げていくと、そこには窓、窓、窓。そうだ、紅廊館がビルの谷間にあることをすっかり忘れていた。
「もちろん簡単な術で上から見る人たちの目を欺くことぐらいは容易いのです。しかしマンドラゴラの泣き声は強力ですからな。防ぎきれなかった時、万が一にも巻き添えを出すわけにはいかんのです」
「そうですね…」
私たちは再び足元を見下ろして黙り込んだ。
束の間の静寂は、「お茶が入りましたよ」というやや気の抜けるような声で破られた。振り返ると台所の番人、悦子さんが縁側から呼んでいる。
「ありがとうございます。いただきます」
冨田は返事をすると「では、あなたも一緒に」と私を促した。悦子さんはいつも、雇われの身である私の分まできちんとお茶を用意してくれる。
もちろん異論は無く、私は冨田の後ろに従った。
「悦子さんのお茶は相変わらず美味しいですな」
湯呑みから一口啜ると老人は満足げに言った。
「そう言っていただけると私もやりがいがあります」
悦子さんは嬉しそうに笑った。ところがそう言ったばかりの冨田は、二口目を飲もうとせず、湯呑みを手に持ったまま動作を停止させた。
「どうかされましたか?」
「いえ」
冨田は悦子さんの方を見つめたまま動かない。
「悦子さん。このように立ち入ったことをお聞きするのは誠に気がひけるのですが、貴女にはお子さんがおられましたかな」
「ええ、おりますよ。息子が二人。二人とももう家を出て、年末年始ぐらいしか帰って来ませんけど」
「そうでしたか」
冨田は孫の近況を聞く祖父のような和やかな笑顔になった。
「それがどうかされたのですか?」
「子育ての経験をお持ちなら是非お聞きしたいのですが、赤ちゃんというのはどのようにすれば泣かないものなのですか?」
「赤ちゃんですか?そうですねえ…」
予想外の質問だったのか、悦子さんは驚いて宙に視線を泳がせた。
「どうしてたかしら。赤ちゃんは泣くのが仕事ですからねえ。泣かないようにすることよりも、いかに早く泣き止ませるか、って考えて世話をしていた気がします。お腹が空いてないかとか、オムツが汚れてないかとか。色々見て、触って判断するんです。赤ちゃんは言葉が話せないですから、こちらが気付いてあげるためにも泣くというのは必要な行為なんですよ」
「なるほど…」
どうやら冨田はマンドラゴラに泣き声を出させないヒントを、人間の赤ちゃんから得ようとしているらしい。
「それに泣かないように努力するより、私は笑わせることを頑張ってました」
「笑わせる?ですか」
「はい、いないいないばぁをしたり、面白い顔をしたり。好きな子守唄を歌ってあげたり…あの頃は毎日大変でしたけど、思い返せば結構楽しかったかもしれません」
悦子さんは懐かしそうに微笑んだ。
「笑わせる…」
冨田は今の話を聞いて何か思い浮かんだようだった。
「良い方法を思いつきました」
「笑わせるんですか?植物を」
私は冨田が何を言っているのか一瞬分からなかった。
「そうです。マンドラゴラが泣き叫ぶのは引き抜く際に痛みを与えるからです。これはマンドラゴラの感覚器官、特に触覚が非常に優れているから発生する事態であると考えられます。実際、食虫植物のハエトリソウのように、鋭敏な触覚を持つ植物も存在します。マンドラゴラは植物ですが妖の一種であり、おそらくは感情を持っています。であるならば、痛みを感じさせないほど笑わせて、泣き声を上げさせないことは可能だと思うのです 」
「なるほど」
しかし笑わせると言っても相手は植物だ。触覚が優れていても、視覚を持っているかどうかは分からない。つまり人間の赤ちゃんのように、顔芸やギャグで笑わせることができるとは限らないのだ。
「でもどうやって?」
「赤ちゃんを笑わせる方法は他にもありますからな」
彼はニヤリとして言った。
地面が突如として盛り上がり、こんもりとした山ができたかと思うと、そこが崩れて尖った鼻が飛びだした。鼻はひくひくと動くと周りの土を押しのけた。そしてその下から狼のように黄色く濁った目が現れた。
「お久しぶりですね、わいら」
冨田はその顔に声をかけた。
「いや、冨田の旦那に頼っていただけるなんて、あっしも光栄です」
わいらは地中で生活する妖である。犬のような顔をしているが体はモグラに似ていて、両前脚には巨大な爪がついている。これで地中を掘り進むのだという。
「それで、ちょっと掘っていただきたいものがありましてな」
そう言いながら冨田はわいらをマンドラゴラのところまで導いた。
「これってもしかして…」
わいらは葉を見てすぐに何かを察したようである。
「そうです、マンドラゴラです。この度手伝っていただくのはこれの移植です」
因みに移植先は、先程私が買いに行かされた素焼きの大きな植木鉢である。
「いや、マンドラゴラはちょっと…あっし前に抜こうとして死にかけたことがあるんでね」
彼の顔がみるみる真っ青になった。基本的に死なない妖が『死にかけた』という比喩を用いるほど、マンドラゴラは強烈な存在らしい。
「ですから今回は引き抜くことはいたしません。ただ、わいらには根っこが表に出てくるように、この周囲を掘って欲しいのです。その後のことは私たちが引き受けます」
私たちとは言っても、実質作業をするのはほとんど私なのだが。
「分かりました。それだったらやりやしょう」
わいらはそう言って、マンドラゴラの近くの土にそっと爪を立てた。
流石に穴を掘ることを専門とするだけあって、わいらの仕事は見事なものだった。慎重に周りの土を除去していく彼は、まるで複雑な手術をこなす脳外科医のようだ。
やがてマンドラゴラの根の全貌が見え始めた。葉の下には茶色く太い根がついていた。本当に人間の赤ちゃんのような形にくびれたり、枝分かれしたりしている。そして顔にあたる部分には、口のように見えるへこみもあった。あそこから死を呼ぶ泣き声を発するのかもしれない。
根がちょうど赤ちゃんの足首のあたりまで見えてくると、冨田はわいらを止めた。そして今度は私に行くよう目で合図した。しかたがないので私はゴム手袋をはめて穴に手を入れ、そっと根に触れた。一瞬どきりとしたが、何も起こらない。どうやら触っただけで泣き叫ぶわけではないらしい。
私はそのまま指をゆっくりと動かした。まだ何も起こらない。だんだんとスピードを上げていく。指がつりそうだ。それでも動かし続けると…
「…キャハッ」
突然甲高い声が聞こえた。
「おっ!」
「笑いましたぞ!続けてください」
私は一生懸命指を動かし続けた。
「キャハハハハハハハハ」
マンドラゴラは笑い続けたが、私の体に異常は無く、耳が潰れることもなかった。問題はここからだ。
「ではそのままそうっと持ち上げてください」
マンドラゴラは足の部分から細く切れやすい根が伸びていて、これを一本も切らずに植え替えるのは不可能である。つまりここが正念場だ。私は本物の赤ちゃんを持つように、マンドラゴラの両脇に手を差し込んだ。
「いきますよ」
私は覚悟を決め、両手にゆっくりと力を入れた。マンドラゴラはまだ笑っている。思い切ってそのまま一気に持ち上げた。
「…キャハハハハ」
「うまくいったようですな」
冨田の言葉に私はほっと肩の力を抜いた。手の中の赤ん坊は元気に笑っている。
「良かった…」
後は新しい鉢に植えるだけだ。私はそっちに向かって一歩踏み出した。
その時、さっきわいらが掘った土に足を取られてしまった。
「うわっ」
ぐらりと視界が揺れ、体のバランスが崩れる。そしてそのはずみに、マンドラゴラが私の手から飛んでいった。
「しまった!」
体勢を立て直した時には既に遅く、マンドラゴラはゆっくりと宙を落下していった。そして植木鉢の端に直撃した。笑い声がぴたりと止まる。そして同時に赤ちゃんがぐずるような音を出しはじめた。
「どうしましょう!」
「もうだめです!早く建物の中へ!」
冨田が叫んだ。私たち三人は慌てて紅廊館に逃げ込もうとした。
「どうしたんですか?」
縁側を上がって部屋に入ったところに悦子さんがいた。
「悦子さん!下がって!」
私は庭に向かって開けっ放しの襖を閉めながら言った。
「一体なにがあったんですか?昼間から騒々しい」
「いいですから!」
「あら、赤ちゃんの声がしますね」
悦子さんはそう言いながら襖に近づくと、閉めたばかりのそれを開けた。
「悦子さん!だめです!」
「あらあら、こんなところに放ったらかして。だめじゃないですか」
その間にも赤ちゃんがぐずる声はどんどん大きくなっていく。
「ダメです戻ってください!」
「いいえ、こんな小さな子を放っておけますか」
悦子さんは手を伸ばすとマンドラゴラを拾い上げた。
「まずい…」
マンドラゴラはもう泣き出す寸前だ。
「ほらほら、お母さんですよ〜」
悦子さんはそれを両腕に抱えて、ゆっくりと揺らし始めた。まるで本物の赤ちゃんを相手にしているようだ。すると驚いたことに、泣く寸前だったマンドラゴラの声が、だんだんと小さくなっていった。
「…すごい…」
抱いている悦子さんには何の異常もみとめられない。そしてあっという間にマンドラゴラは静かになった。
「お三方ともいけませんよ。赤ちゃんは優しく扱ってあげないと」
悦子さんは困ったような顔で、こちらを見て言った。私たちはただ首を縦に振ることしかできないのであった。
その後マンドラゴラは無事に新しい鉢に植えられ、紅廊館の玄関横に置かれた。
「どうしてあんなに素早く対応できたんですか?」
騒動の後、私は悦子さんに聞いた。
マンドラゴラは泣き声こそ赤ちゃんだが人間のそれとは似ても似つかない。それを何のためらいもなく抱き上げた彼女の心境を知りたかった。
「別に冨田様が変なものを持ってこられるのは今に始まったことではありませんし、あのぐらいなんてことないですよ」
「あのぐらい…」
この人はたぶん私の想像を遥かに超えるような体験をここまでしてきているのだろう。
「それに先ほどもお話しした通り、赤ちゃんはいかに泣かせないか、ではなくいかに早く泣き止ませるかが大事なんです。だから私は、あの場合での最善策をとったまでです」
悦子さんはそう言って静かに微笑んだ。そこから溢れ出る貫禄は、冨田のそれすらも凌ぐほどのものだった。
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