第23話 古籠火


「では、よろしくお願いいたします」

 老人の笑顔に見送られながら、私は紅廊館を出た。両手に提げた風呂敷包みの重みがズシリと強く感じられる。中身は先日書斎と物置を整理した時に出てきた品々で、大半はよく分からない壺や皿や一輪挿しである。冨田は妖に関係するものならほぼ即座にどの時代に作られた何に関するものかを当てることができるのだが、そうでないものにはいささか関心が薄い。

 しかも冨田ほどの人物となると、自分が欲しくもないものを他人から贈られることも多々あるらしく、今回の風呂敷包みの中身もそういった「貰ったが扱いに困るもの」がほとんどだった。

 そこで彼の代わりに私がそれらを古道具屋に売りに行く運びになったのである。

 先方はどうやら冨田の昔馴染みの店らしく、事前に彼が連絡を入れてくれたので、私はただ荷物を持っていくだけで良かった。


 冨田に教えてもらった場所に赴くと、そこにはいかにもといった構えの店があった。

 店の前には古い椅子や箪笥が道にはみ出しそうになりながら並べられている。そしてそれらの上にも、古い花瓶や皿がところ狭しと並べられている。のみならず軒からは古い提灯や照明器具や風鈴や囲炉裏の自在鉤がずらりと吊り下げられていた。

 私はそれらの下をくぐり抜けると、半開きになったガラス戸の向こうを覗いた。明かりが点いていないのか、店の中は非常に暗い。そしてそこにも骨董品が山と積まれているため、奥が全く見えない。

「いらっしゃい」

 突然、入り口の横あたりから丸い顔が洗われた。

「何かご用ですか。まあお入りくださいよ」

 どうやらこの店の主人らしい小柄な男は、下駄を土間でカンカンと鳴らしながら私を店内に導いた。

「冨田という者の遣いできたのですが」

「ああ、冨田さんの!ご連絡はいただいてますよ。さあどうぞ」

 男はそう言いながら店のさらに奥へと進んでいった。私は足元にあった古い傘立てに風呂敷を引っかけないようにしながら、彼の後を追った。

「いやあ、冨田さんはお元気ですか?最近はめっきり会うことがなくなってしまって心配してたんですよ。よく言うでしょ最近。独居老人の孤独死が増えてるって。いや、冨田さんはむしろ殺しても死にそうにありませんがね。おっとこりゃ失礼。あなたの大事なご主人でしたね。いやあ、それにしてもあなたみたいな若い人を雇ってるなら一安心だ、はっはっは」

「はあ・・・」

 店主はこちらの返事も碌に聞かず、ただひたすら自分のペースで話し続ける。

「うちにも昔はよく足を運んでいただいて。変なものをいっぱい買って行かれましたね。でも専ら買うばっかりで、自分の持ち物を売るっていうのが、ちょっとあの人らしく無いなあ。やっぱりあれなんですかね。なんていうんですかほら。人生の最後にむかってやる身辺整理を、もっとこう小洒落た言葉で最近は」

「・・・終活、ですか」

「そう!それですそれです。終活。あの人ももうそんな年なのかあ」

 まさか通いの家政婦にこっぴどく叱られたのが理由だとは、夢にも思っていないようだった。

「さあ、それではお品物を拝見いたしましょうか」

 店の最奥にしつらえられた台の前に立って店主はいった。台の上に拡大鏡やら年季の入っていそうなペンやらが乱雑に置かれているところを見ると、どうやらここで鑑定を行うらしかった。

 私は中身が壊れないよう、そっと風呂敷包みをその上に置いた。

「鑑定にはお時間少々いただきますので、その間は店内をご覧になってお待ちください」

「よろしくお願いします」

 私は彼の言葉に従い、棚に置かれている骨董品の品々を眺めることにした。

 

 骨董品というのは全くもって深遠な世界である。素人目には価値が分からない小さな皿や湯飲みに、法外な値札が貼られていたりする。うっかり当たっただけでも私の貯金が瞬時に蒸発してしまいそうだったので、通路の真ん中を両肩をすぼめるようにして歩く。ふと誰かに見られているなと思って顔を上げると、大きなキジの剥製がガラスの目玉でじっとこちらを見つめていた。 きっとこの中には既に付喪神になっているものもあるんだろう。しかし店主と私の息づかいが微かに聞こえる以外、物音は何もしなかった。 

「そういえば、今度冨田さんがいらっしゃったら是非見ていただこうと思っていた品があったんですよ」

 鑑定中の古い壺から目を離さずに店主は言った。

「その棚の下あたりにあるはずなんで、もしあれだったら、今日帰るときについでに持って帰ってもらっていいですか?」

「棚の下あたり・・・どこですか?」

 私はしゃがみ込んで、足元の暗がりを覗き込んだ。きちんと掃除がされていないのか、置かれている花瓶はうっすらと埃を被っていた。

「その中国の花瓶を除けた、奥あたりです」

 彼の言うまま花瓶を脇に押しやると、その奥に突然ぽっちりと赤く光るものが現れた。

「この光ってるやつですか?」

「そう。それです。上の部分が把手になってますからそこをもって引っ張り出してください」

 手で探ってみると確かに金属製の輪のような部分があった。握ってみるとひんやりと冷たい。私はぶつけたりしないよう気をつけながらそれをそろそろと引っ張り出した。

「何ですか?これ」

 金属で出来た直方体の枠に、ガラスが張られている。

「イギリス製のカンテラです。日本でいうところの提灯みたいなものですな」

 ところがこのカンテラには、まるでガラスの部分を塞ぐかのように、何枚もお札が貼られていた。お札には赤いインクで鳥居の形や崩し字でやや読みにくい漢字が書かれている。そしてお札の隙間から、先程の赤い光がチラチラと漏れ出ていた。

「なんでお札が貼ってあるんですか?」

「それがね、どうやら何かを封印しているようなんですよ」

 店主はやってきて私の手からカンテラを取ると、ひっくり返して底を示した。

「ほらここ、封印て書いてあるでしょう。それにこのカンテラ私が買ってから消えたことがないですからね。明らかに何かがおかしいんですよ。この中にはきっと何かとてつもない化け物が封印されているんです」

 ランプの中に化け物というと、私はどうしてもアラビアンナイトに登場する煙みたいなランプの精を想起してしまうのだが、まさかそんな奴がこの中には閉じ込められているというのだろうか。

「でもなんでそんな物を買ったんですか?」

「正確には買ったと言うより押しつけられたんです。実は私がずっと欲しかった明朝の壺を持っていたコレクターがいまして、それを譲る代わりにこれを引き取ってくれと言われたのです。向こうがこれを入手した経緯は知りませんが、とにかく壺が欲しかった私はこれも一緒に引き取ったんです。それにいざというときには冨田さんを頼ればなんとかしていただけるかと思っていたので」

 冨田が聞けば喜びそうな話である。

 私は自分の居住空間である紅廊館にこんな危なそうなものを持ち込むことにはいささか抵抗を覚えたのだが、店主の強い押しに負け、結局荷物を包んできた風呂敷で、今度はカンテラを包んで持って帰ることに鳴った。


「ほう、それはまた興味深い話ですな」

 案の定冨田は興味深そうに、畳の上に置いたカンテラを四方から眺め回した。

「中でずっと火が点いているということは、何か火に関する妖が封印されているのでしょうな。西洋のカンテラですからもしかしたらサラマンダーかもしれません」

 サラマンダーは西洋の伝承に登場するトカゲの形をした火の精霊である。

しかしもしそんなものが封印されているとしたら、ここでは絶対開けない方が良いだろう。紅廊館は築百年を越す木造である。長年封印されていた火の精霊がその溜まっていた鬱憤をいきなり吐き出しでもしたら、おそらく中にいる人間もろとも更地になる。

「しかし、お札が日本語ですからな。封印が行われたのは日本なのでしょう。そうなるとサラマンダーより寧ろ鬼火とかそういったものたちの可能性が高くなってきますな」

 鬼火は紅廊館の庭でも夜になるとたまに見られるので、私も知っていた。青白い炎が空中をふわふわと漂っているのだが、別段何かを燃やしたりすることもなく、こちらが敵意を持たなければ安全な存在だ。

 しかしこうして封印されているということは、人間にとって何か悪い出来事を引き起こす存在である可能性が高い。

「それにしては妙ですな」

「何が妙なんですか?」

「本当に人に害を成す妖であれば、このように簡単に解けそうなものに封印するでしょうか」

「そういえば、確かに変ですね」

 強力な妖を封じたいのなら、地面の中に閉じ込めて、上に大きな石でも置いておけば良い。場所もどこか山奥の深い部分にでもしておけば、間違って開けてしまうこともないだろう。

「わざわざ持ち運びの出来る容器であるということは、単に封じる以外に何か目的があったのではないかと思うのです」

 持ち運び可能な入れ物に火を操る妖。それが何に使われていたのか、少し考えればおおよそ想像がつく。

「妖を閉じ込めて、その力を利用するためですか」

「そう考えるのが妥当でしょう」

「でもなんでそんなことを」

「理由はいくらでも考えられますが、やはり一番は争いごとへの利用でしょう。さながら陰陽師の式神のようなものです。妖や霊といった人間にとっては超常的な存在を用いて敵を倒したり、目的の物を手に入れたりするという逸話は昔からたくさん残っていますから」

 だからこのカンテラも外からなら開けられる仕様になっていたのだ。

「しかし、仮にそうだとすると、この中にいつまでも閉じ込めておくのはなおさらかわいそうだと思われてきますな。やはり解放してあげた方が良いでしょう」

「でも、いきなり開けたら今まで反動で暴れ回ったりしませんか?」

「ですから庭でやりましょう。事前に策を講じておけば、そちらの方が被害は少ないでしょう」


 冨田は縁側を下りると、まずは庭の一角にある池の方に向かった。私はカンテラを提げてその後に続く。

 冨田は池の前に立つと、鯉でも呼ぶときのようにパンパンと両手を打った。実際池にいるのは鯉ではなく金魚なのだが。

 静かな庭に彼の手拍子が響き渡った。しかし池では何かが起こる気配もない。

「おかしいですな」

 冨田は首をかしげ、もう一度パンパンと柏手を打った。

 しかし池は依然として静かなままである。

「近くにいないんでしょうか」

 私がそう呟いたとき、突然水面がコポコポと泡立ち始めた。

「どうやら来たようです」

 泡はどんどん激しくなっていき、ついには池の真ん中から噴水のように巨大な水しぶきが吹き上がった。

 そして、その中から巨大な黒い塊が飛びだしてきた。

「お久しぶりですな。いやはや、来ていただけないかと思っていましたが」

 黒い塊は冨田の横に着地すると、嬉しそうにブルンブルンと鼻を鳴らした。

「あなたはケルピーに会うのは初めてでしたかな」

「いえ・・・」

 私は以前に一度、この水の精に池に連れ込まれかけたことがあるのだ。それを思い出すとつい苦笑いをしてしまう。

「そうですか。では大丈夫ですな」

 ケルピーは濁った水で出来た体を揺すると、私の方に鼻面を近づけてきた。

 撫でて欲しいのかと思った私は恐る恐る手を差し出した。

その途端、至近距離でフンッと勢いよく息を吐いたものだから、私の上半身は飛ばされてきた水しぶきでたちまちずぶ濡れになってしまった。

「随分と仲がよろしいようで、安心しました」

 一体今の何を見てそう感じたのかは知らないが、冨田はにこにこと笑っていた。


「それでは始めましょうか」

 冨田はケルピーを庭の真ん中まで導いてくると、自分の傍らに控えさせた。

「お札を剥がしていただけますか?」

「分かりました」

 私はカンテラを持ち上げると、そのガラス面に貼られている怪しげなお札に手をかけた。

 頑丈に糊付けされているのか、なかなか剥がれてくれない。しかも、私が開けようとしているのが分かるのか、中から時々ゴン、ゴンと体当たりをするような音が聞こえる。

 どうやら封印されている何かは相当機嫌が悪いようだ。

 いくらケルピーが傍らに控えているとはいえ、このまま解き放ってしまうと中から吹き出してくるかもしれない火炎の最初の犠牲者になるのは私だ。

 お札を剥がした後、速やかに離れなければ間違いなく消し炭にされるだろう。

 そんなことを考えながら、おっかなびっくりお札を引き剥がしていった。

 やがて周囲のガラス板に貼られたお札は全て取り去られ、カンテラの中身が見えるようになった。明々と火が燃えている中に、二つの赤い目が浮かんでいて、こっちをじっと見つめている。

「では、底のお札を剥がしてください」

 最後に残った「封」のお札を指さして冨田は言った。

「分かりました」

 覚悟を決めた私は、少々震える手で紙の端を摘まむと、ひと思いに力を入れて引き剥がした。ビリビリッという音と共にお札が外れると、その途端にカンテラの底、ろうそくなどを入れる部分が勢いよく開いた。

 同時に熱の塊が吹き出したような風が私たちを襲った。

「さあ、何が出てくるのでしょう」

 着物の袖で顔を防御しながらも、老人の顔が明らかに楽しんで笑っているのが見えた。

 カンテラから熱風と共に小さな火の玉が飛びだしたかと思うと、庭の松の枝がボッと燃え上がった。すかさずケルピーが口から水を吐き出し鎮火する。

 火の玉は枝や屋根の間を飛び移りながら、あちこちに焦げ跡を残していく。木が燃える炭臭い香りが周囲に広がった。最終的に庭の隅にある石造りの灯籠に飛び込んで、火の玉の乱舞は終わった。

 ほんのりと赤い光を放ち始めた灯籠からは時々シュウシュウという鳴き声が聞こえてくる。

「なるほど。閉じ込められていたのは古籠火でしたか」

「コロウカ?」

「古い灯籠を住処にしている妖です。元々は灯籠に明かりを灯すだけの害のない妖です。しかしとにかく警戒心が強く、巣となる灯籠から引き離されると無差別に相手を攻撃してしまうのです。おそらくこの子も、力を悪用しようとしたものの手によってカンテラに閉じ込められ、利用されていたのでしょう」

 警戒心が落ち着いてきたのか、古籠火の火は小さくなり、色も赤から黄色へと変わった。

「もう大丈夫でしょう。しばらくそっとしておきましょうか」

 冨田はそう言うと踵を返して、館の方へ戻っていく。私も足元に転がっていたカンテラを拾い上げ、彼の後ろに続いた。

 日が陰り徐々に夕闇が迫ってくる中、古籠火の火はいつまでも静かに燃え続けていた。

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