第2話 これはもうダメでは
赤い花柄マフラーを巻いた伴礼央は、嫌われた絶対嫌われた、と間違えてループ再生をしてしまったお経のように繰り返す僕を、帰る道々慰めてくれた。その日はわりと教室を出るのが早く、日が落ちるにはまだ時間がありそうだった。
「嫌われた」
「照れてんのかもしれない」
「嫌われてるよもうダメだよ」
「謝ったら許してくれっかもしれないじゃん」
「くれなかったらどうなるんだよ」
「うーん、まあ、ちょっと時間を置くしかないよな」
時間を置くって言っても、と思う。それじゃ春休みになってしまうし、四月にはまたクラス替えがある。もし分かれてしまったらそれきりだ。仲が良くても物理的に会いにくくなるのに、このままでは完全に疎遠になってしまう。
「長瀬さんはいい子だよな」
「知ってる」
「女子の雑誌とか見せてくれるし。さすがに教室でひとりでは読みにくいからさ」
「知ってるよ僕もそこにいたよ!」
アシメがどうとかスクエアなんとかだとか、よくわからない用語が飛び交っていたのをぼんやり聞いていた記憶がある。長瀬の隣でだ。
「三田村もいい奴だ」
伴礼央は、祖父母のどっちかが北欧の人だとかいう、彫りの深い顔をにこりと懐こくさせた。
「春は、俺発表が下手だから困ってたら、いろいろ手伝ってくれた」
「そりゃ同じ班だったから……」
「かわいい服、一緒に見てくれたよな。これは長瀬さんもだ」
「まあ、ほっとけねえし」
「だから、そのうちわかってくれるよ。ふたりともいい奴なんだし。別に無理になんかしたとかじゃないんだろ?」
「そうだけどさあー」
僕は頭を抱える。嫌われた嫌われた絶対嫌われた。また猫になってしまいそうだ。
「そしたら、事務所に行ってみるとか」
「はあ⁉︎」
スマホの時計を見る。まだ午後四時になっていないくらいだ。
「気まずいし、呉さんに迷惑かかるよ」
「裏から家の方に行くとか」
「余計気まずいよ!」
「様子を外から見に行くだけでもさあ」
「ええー」
ごちゃごちゃ言ったが、僕はなんとなく引きずられて駅前まで来てしまった。ひとりよりは伴がいた方が仲を修復できそうな気がしたし、ほんの少し状況を楽観視する気持ちもあったのだ。いきなり両思いになるとかは無理に決まっているが、ちゃんと話せばすぐに友達に戻れるのじゃないかって。これはこれで、後から思えば大きな間違いだったのだけど。
『呉探偵事務所』の近く、雑居ビルが並ぶごちゃごちゃした通りは、なんとなく曇りにくすんで灰色だった。カラオケ屋とか雀荘とか、そういう店が多い。夜になる前にもそこそこ人がいる。もうちょっとで事務所が見えるな、と思った時、視界の端に何かがよぎった気がした。
「三田村?」
立ち止まって来た道を振り向いた僕に、伴が前から声をかける。なんだろう、チラッと気になるものがあった気がするのだが、首を巡らせても特に何もない。虫かなんかかな、と思って僕はそのまま行き過ぎてしまった。
これも、正直失敗だったと思う。僕はこの時、もう少し自分の感覚を気にかけるべきだったのだ。
僕らは少し進んで事務所の辺りまでやってきた。今度は伴が、あれ、と声を上げる。ビルの先の道に、スーツ姿の呉さんがつかつかと早足で歩いていた。当然仕事だろう。事務所の方を見上げると、中は電気が消えているようだった。
「呉さんいないし、事務所はやってないし、てことは、長瀬もなんか用事があるとかじゃないかな」
僕は言う。普段はこういう時は長瀬が留守番をしているのだが、開いていないということは何か事情があるのだろう。勉強中とか、家のことをしているとか、どこかに遊びに行っているとか。……あとは、元気がなくて落ち込んでいるとか、具合が悪いとかだ。
「しょうがないな。今日は帰るか」
「あー、やっぱり嫌われる」
「三田村ん
僕らはその場を離れた。パチンコ屋の音がうるさくて、ちょっと大きな声で話しながら。だから、その時僕らは助けを求める小さな声を聞き逃してしまっていた。
次の日、長瀬は学校を休んだ。試験後なのと風邪がまだ少し流行っていたので、席には空きがぽつぽつあった。僕はまだ嫌われた、余市の時みたいに、長瀬の調子を崩してしまったのでは、とか頭を抱えており、授業は上の空だった。
心配だなあ、とか話しながら、伴は長瀬に軽くメッセージを送っていたようだった。昨日の夕方、僕は勇気を振り絞って『なんか変な態度取ってごめん』と伝えたのだが、そこには既読がついたまま返事はなかった。
やっぱこれダメっすよ伴先生、もう一生僕の椅子ガラ空きっすよ、とかせいぜい絡んでいると、細野みかげが僕らの方へと近づいてきた。
妙だった。いつも明るいあの細野が、硬い表情をして、目をちょっと泳がせて、のろのろと歩いてくる。
細野は軽く頭を掻いて、思い切ったように口を開いた。
「あの、あのさ。ふたりにちょっと相談……ていうか、あの」
大きめのカーディガンの袖口に手を隠して、細野はもごもごと口ごもった。でも。
「長瀬ちゃん、昨日うちにいたんだわ」
やっぱり細野みかげは、ストレートな球が似合う奴なのだった。
別に口止めされたとかじゃないよ、でも、あたしからどこまで話していいのかな、と前置きして、細野は昨日の話をしてくれた。彼女も、ホームルームが終わると強張った顔で即席を立った長瀬が気にかかっていたらしい。なんかあったのかな、とか考えながら帰宅したところ、しばらくして夕方頃に長瀬夜子当人が訪ねてきた。
「家に呼んだことはあったけど、あっちが自分から来たことはなかったからびっくりしてさ。だいぶ落ち込んでたし、とりあえず上げて話を聞いたんだけど、最初はちょっとよくわかんなかった」
わかったのは、家に帰りたくない、というのと、三田村くん、つまり僕の名前を繰り返していたこと。もうやだ、とかも言ってたらしい。
「……だから、三田村になんかひどいことされたのかと思った。誤解だとしてもさ」
「した」
僕は偽らざる本音を吐き出した。僕の主観では、とにかく迂闊でバカな僕が長瀬夜子を傷つけてしまった、ということでほぼ確定だったのだ。
「最後まで聞きなってば。ちょっと落ち着くまでチョコとかあげて放置してたら、三田村から個人メッセ来るじゃん。ごめんね、状況的に見ちゃったんだけど。長瀬ちゃん泣くのよ。『私が悪い』つって」
伴が肘で僕を突いた。僕は目を丸くして続きを聞いた。
「返事する気力はなかったみたいだけど。なんかあっちも態度悪かったって思ってる感じだった。だから、仲直りはできると思う……んーだーけーどー」
細野は誰も座っていない長瀬の窓際の席を見る。
「暗くなってから帰ったのね。家着いたって連絡はあったから安心してたんだけど、今日来てないからどうしよっかなって」
「さっき送ったやつの返事もないね」
既読はやっぱりついてんな、と伴は不思議そうな顔をした。
「まあでも、三田村はそんなへこまなくてもいい感じじゃない?」
「発端は僕なんだから、ちゃんと話をするまではへこんでるのが誠意だろ」
「お湯かけたら治っかな」
ぼこんって、と伴が手を広げた時、前の席で女子がキャー、と声を上げた。芸能人かなんかの話かと思ったら、どうやら違うようだ。
「えー、お化けってなになに」
「昨日の夜、駅前でね」
「こわー」
悲鳴はどうも恐怖方面だったらしい。何かに遭遇したらしい女子、大崎は早口で語り始めた。
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