第4話 三等星に誓うらしい

 会がお開きになって、すっかり暗くなった駅に向かう道を歩きながら、さて夜どうしよっか、という話になった。なんとなく長瀬は元気がなかったし、慰めてどうこう、という感じでもなかったから仕方なく家に残してきた。玄関のない玄関でしきりに手を振る長瀬がいじらしくて、切なくて、抱きしめたいってこういう気持ちかな、と思った。


「あたしは家に言えばもうちょい大丈夫だよ」

「俺んもそんな感じ。ファミレスとか行く?」

「僕は……」


 綿菓子みたいに白い息を吐いた。空を見上げる。僕が唯一わかる冬の星座、オリオン座はまだよく見えていないみたいだった。代わりにこの辺の道はネオンが多くて明るい。眩しい地上の星のようだった。


「今日は家に帰ろうかなあ」

「なに、長瀬ちゃんとなんかあったの?」


 細野は少し心配そうに僕の顔を覗き込んできた。彼女は長瀬よりは少し背が低い。クラスの背の順では真ん中くらいのところだ。伴も言う。


「なんか上手くやってんのかと思って、ほっといてたんだよな。そしたら帰ってきたらふたりとも元気ないしさあ」


 なー、とふたりは顔を見合わせる。細野と長瀬はわかるのだが、こいつらも変に仲がいい。


「ケンカとかじゃないよ。ちょっと、うーん」


 僕はふと、細野が呉さんを気にしていたことを思い出した。詳細はともかく、余計な傷つき方をする前にそれとなくいろいろ教えた方がいいかもしれない。


「あのさ、細野。呉さんはあんまし狙っても……無理っぽいよ」

「え? ああ、長瀬ちゃんにも言われたし、そんな本気でどうこうとかは思ってないよー。全然知らないし、何歳差だよっていう」


 彼女は明るく笑った。


「ただ、嬉しかったんだよね。あたし、わりと視野がきゅうきゅうになってたから。学校とかの外にいる人っていいなって思っちゃった」


 だから、憧れこそすれ呉さん個人にこだわっているわけではないのだ、という。風穴が空いた、みたいな感じだろうか。それは少しわかるような気はした。


「ならいいんだけど」

「それより三田村だよ。話聞く?」


 僕はまた白い息を吐いて、冷えた空気を吸って、そして言った。


「僕、長瀬のこと好きみたいだ」

「知ってる」

「知ってた」


 ふたりの反応はあっさりしたものだった。


「でも、長瀬は僕とは、ずっと友達でいたいんだって」

「あの子そういうとこあるよねー。めんどくさかわいい」

「それは告ってそういう返事が来たわけ?」

「いや、僕は何も言ってない」


 じゃあワンチャンあるんじゃないかなあ、と伴は楽観的だ。僕は首を横に振った。


「多分、僕からは言わないよ。ずっといい友達でいようと思う」

「三田村がそれで我慢できるならいいけどさ。また猫になっちゃわない?」


 それには返す言葉もなかった。今まさに僕はまた、夜に溶けたい、という気持ちに呑まれかけていたところだ。


 だいたい、もし仮に告白して受け入れてもらえて、それで。手を繋いで歩いて、人目がないところでキスをして、抱き締めて、それからまあ、その先もいろいろとあるわけで。僕にはその辺のビジョンがない。将来が見えない。これじゃ心に大きな傷のある彼女に対して責任が持てないと思う。


「なあ経験者。付き合うって結局どういうことなんだよ」

「なんかその言い方やだな。別に、友達とそんな変わんないよ。ただ、こう、なんて言えばいいかな。殿堂入りになる、みたいな」


 伴は長い腕でゆるく弧を描き、右手を心臓の辺りに当てた。


「花とかでめちゃめちゃ綺麗に飾ってある椅子が、ここんとこにある感じ。横にわーっと友達の椅子が並んでる。並びは同じで、絶対彼女が最優先になるってわけじゃないよ。でも、この椅子は一度にひとりしか座れない。それに、降りちゃっても座ってたこと自体は、俺は忘れない……忘れたくないんだ」


 すん、と鼻が鳴った。また泣くかと思ったが、奴は耐えた。


 伴と彼女の間にあった熱に似たものは、呉さんと長瀬の母親の会話からも感じられた。奇妙な形でも彼らはきっとまだ恋人同士で、お互いを特別な場所に座らせているのだろう。


 娘を忘れた母親には正直腹が立っていたが、でもきっと彼女の中では何よりその椅子が特別だったのだろう、と考えることはできた。なんでこんな現象が起きるんだろうな。僕は今さらのように思いを巡らせた。


 それから僕は自分の中に椅子を思い描く。あまり大きくない白いやつがいい。高すぎないクッションを置こうかな。花よりはキラキラ光る水晶とかガラスとか、青くて透明で、ちょっと硬質なものが長瀬には似合いだろう。


「僕もそこに長瀬座らせてえー」

「三田村はそういうこといっぱい言いなよ。ニヤニヤムッツリしてないでさあ」

「……ニヤニヤしてた?」


 してたー、とまた声が揃った。僕は釈然とせず、もう一度空を見上げる。星はいくつかあるが、皆どこか弱い光を放っていた。サードマグニチュード。僕と長瀬が好きなバンドは、三等星の名を掲げている。具体的にどれくらいの明るさなのかは、ちょっと見当がつかない。


「何? UFOでもいた?」


 僕よりはよほど星に近そうな背の伴が、つられて空を見る。細野も続き、指を上げてカシオペア座、と呟いた。


「何座?」

「あのWの形のやつ。中学ん時に習ったじゃん」

「オリオン座しか知らん」

「呉さんが言ってたから、地学のことちょっと調べたんだよね」


 宇宙と地面が同ジャンルって面白くない? 言いながら、彼女は空を指で測るようにする。


「自然教室でやった。あれが北極星」

「あんまし明るくないね」

「えーと、あ、Wikiに書いてあった。二等星なんだって」


 僕は小さな白い星を見上げる。北極星くらいはわかる。あそこを中心に空が動くのだ。じゃあ、三等星はあれよりももっと暗いのか。さっきのプレイリストにも一曲、彼らの歌は入っていた。『主は来ませり』ってやつのアレンジだ。細野と伴はのんびりととりとめのない会話を続けている。


「あたし、理系に行っておけば良かったかなあ」

「したら俺らとは別クラスで会えなかったよ」

「それなー。5ファイブのみんなとも別だったわけで。ね、礼央ぽんは進路ってもう具体的に決めた?」

「多分専門。服飾とかデザイン……って、親を説得中」

「ははー。納得感」

「決めたのは最近だけどね」


 僕はまだ、秋に提出した用紙以上の進路を決めかねている。時間は流れる。みんなどんどん変わっていく。焦りがないと言えば嘘だ。あとたった一学期で学年が変わって、怒涛の三年生になってしまう。せっかく友達になったのにだ。


『友達は、友達だからいいね』


 長瀬夜子は言っていた。僕は遠い空ではなく、すぐ傍に光る街に視線を移した。


 諦めたわけじゃないぞ、と僕は思った。諦めたわけじゃない。今は退くが、僕は結構しぶといので、一度抱いた感情をなかったことにはできない。ただ、彼女が尊重するものを僕も大事にしたいとそう思った。


 伴が彼なりの希望を見つけたらしいこと。細野の意外に真面目な面を知ることができたこと。長瀬はもこもこが似合って、ちょっと意外な過去があって、見た目凜としているのに時々弱くて、かわいい。僕らは友達で、その事実はちゃんと受け止めていきたい。本当だ。


「ふたりとも、やっぱどっか入ろ。寒いわ」


 僕は大きく声を上げ、冷えた空の下を駅まで走った。何も解決はしていないが、もう少しだけ頑張って歩けそうな気がしていた。いろいろな気持ちを保留にしておこう、決めつけてしまわないでいよう、と思えるようになったくらいには。


 聞きそびれたことがある。彼女が一体何に変わってしまったことがあるのか、だ。いつか、話せる時がくればいいと思う。もう二度と、彼女の変身が起こらなければいいとも思う。




 僕の鞄の中には、長瀬夜子からのプレゼントが入っている。交換で見事当てたのだ。中身はその辺の文具屋のやつよりもちゃんとした紺の表紙のノートと、銀のボールペンと、金属でできた栞だった。一ページ目は空けておいて、次のところに白い椅子の絵を描こう。


 心の中の椅子はまだいくつもあるから、綺麗に掃除して空けておく。好きなところに座れよ、長瀬。できれば、このキラキラ飾ったやつがおすすめだけどさ。

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