残響シェイプシフター
第1話 もう一度話を始めようか
三日後。僕はどうにか快癒して登校すると、教室でまだ少し調子の悪い鼻をかんでいた。四限目のチャイムは先ほど鳴って、みんながガタガタと立ち上がり好きなところに移動する。
あの日、僕の姿になったままの余市は僕らを部屋から押し出した。四人だから抵抗できなくもなかったが、気迫に押されてしまったし、それ以上無理強いすることもできなかった。がらんとしたリビングで少し待っていたが、余市が外に出てくる気配はなかった。
仕方がないので、明日また学校で、と声をかけた。出てけ、と繰り返された声は余市自身のものだったので、少しは安心して一度帰宅したのだ。
でも、今日も余市は教室に姿を見せない。同じく風邪ならまだいい。あの後戻れなくなっていたら、と思うとぞっとする。僕みたいに別のものとして生きていけるならまだましだ。余市は誰にもなれない。
窓際の席の長瀬が、軽く手を振って僕を呼ぶ。僕は席を立って弁当を手にそちらに歩いていった。
なんで僕だったんだろうな、と考えながら。
窓に薄く映った僕の見た目は、大した特徴もない。細野みかげに対してあれこれ言っていたのが恥ずかしいくらいに影が薄い。黒猫の時の方が目立つくらいだ。
そろそろ切ろうかというくらいにもさもさしている髪の毛。背は百七十センチちょうどで、どちらかといえば痩せている方。顔はあっさりした感じで華もない。困るくらい不細工ではないが、逆に目立つ顔立ちでもない。中学の頃に一度だけ、当時入っていた書道部の後輩にバレンタインのチョコをもらって浮かれていたら、違うんです、お礼だけなんです、と本気で抗弁された。それ以来浮いた話はない。本当になんでもない高校生だった。
「余市くん、来てないね」
「僕も治ったし、また家に行く?」
「どうなのかな、刺激しすぎても良くないのかな……」
長瀬は少し自信をなくしたような顔でしょんぼりとしていた。伴がちょっと見に行ったところ、夕方には明かりがついて、誰かが生活している気配はあったそうだ。ダンベルをくくりつけられたみたいに気が重いが、とにかく様子だけでも見に行こう、と提案すると、長瀬はこくりと頷く。それから、彼女は関係ないけど、と鞄からビニール袋に入った薄い何かを取り出した。
「……これ。この間借りたアルバム。面白かった」
僕は袋から中身を取り出した。かわいい熊のぬいぐるみが映ったジャケット。ホフマンズという、インディーズのちょっと変なバンドのアルバムだ。曲調は明るいのに歌詞は地面にめり込みそうなくらいつらいものばかりで、逆に笑ってしまう。
「うち、プレーヤーも私のパソコンもないから、取り込むのに末明さんのパソコンを貸してもらった」
「呉さんの?」
「そう。だから末明さんも聴いてるよ。おかしいの。『あいつこんなんばっかり聴いてて大丈夫か』とか言いながらリピートしてた。結構気に入ったみたい」
「四曲目とかひどい歌詞だよな」
気を紛らわすように話しながら、僕はこのアルバムを余市に貸す話をしていたことを思い出した。また彼を訪ねる気持ちのとっかかりになるかな、とも思う。ポストに入れてきてもいい。
僕も鞄から、長瀬に借りていたファンタジー小説を取り出す。僕の読書スピードは早くはないが、昨日熱が下がってから暇で一気に読んでしまった。長瀬の趣味は僕よりちょっと難しめだけど、僕が興味を持てるようにアクションとか派手なシーンが多めの本を貸してくれる。
「あれ、三田村ずっと教室いた?」
二の二
「いたけど。倫理こっちだし」
「そっか。さっき廊下で見かけたけどやっぱり人違いか。こっちに気づいてなかったみたいだしね」
僕は長瀬と顔を見合わせる。
「あ、そういや三田村さ、休んでた時学校来てたよな?」
傍の席の男子、
「休みは休みだけど」
「俺、昨日見かけたよ。体育館の辺で。来たけど具合悪くなったとかじゃないんだ」
「行ってない」
顔が青ざめる音が聞こえるようだった。僕がもうひとりいる。それは、それはどう考えてもあいつしかいない。余市卓、あいつ、また僕の姿になったのだ。あ、俺も見た、なんて奴が他にも三人くらい出た。
「俺話したよ。イヤホンしてるから、何聴いてるんだって言ったら、なんとかズの2ndとか言ってた」
「気分悪そうではあったかも。保健室連れてけばよかったかなって思ったけど、あれ三田村じゃないんだ?」
「見た。なんか泣いてたみたいに見えたけど大丈夫だった?」
知らない。僕が知るわけがない。僕は三十八度五分の熱を出してずっと寝ていたんだ。泣いてたってなんだ。僕は人前でなんか泣かないぞ。
「何、三田村分裂したの」
「見かけたら死ぬやつだっけ」
「本人が見なきゃ平気でしょ」
周りはざわざわと無責任なことを言い出す。
「なあ、さっき見かけた僕ってどの辺に……」
浦部を問いただそうとした時、僕のスマホが音を立ててメッセージの着信を知らせた。慌てて画面を見る。
『みたむらやばい』
『校舎裏きて』
明らかに慌てている文字列は、伴礼央から送られたものだった。僕らは教室を飛び出す。焦りすぎて廊下を滑りかけ、移動中の戸張先生とぶつかりそうになった。
「なんだ三田村、もうずいぶん元気だな」
「すいません」
謝ってから、念のために先生に確認してみる。対外的には奴はどういう事になっているのか知りたかった。
「余市もしばらく休みなんですよね」
「ああ、家の人から連絡があって、ずっと寝込んでるんだそうだ。今年の風邪はきついから、ぶり返しには気をつけろよ」
はい、と心ここにあらずな答えを返して僕らは走り出す。何が家の人だ。どうせ化けたんだ。あいつ、言ってたじゃないか。今月いっぱいは親はいないって。
「来たよ」
弁当と鞄を持って、長瀬と一緒に校舎裏の古い物置のところに向かうと、伴と細野がそこにいた。いつもなら手でも振ってくれるところだが、ふたりとも顔は真剣で、そのまま駆け寄ってくる。その後ろから、ゆっくり、躊躇いがちに揺れる人影があった。
確かに人影なのだが、その姿はとても曖昧だ。見ているとすぐに別の姿に移り変わり、どれが本当の顔とも知れない。
「良かった。リスニング終わったとこでバッタリ三田村に会ってさ。二組にいるはずだからおかしいなって思って声かけたら、またこんな風になって逃げたんだ」
「追いかけて、まずいからとりあえずまた話しろってとこまでは言ったんだよ」
「毎日学校までは来てるけど、どうしてもおかしくなっちゃうんだってさ」
「戻り方、わかんないみたい」
伴と細野は口々に状況を教えてくれた。
「余市」
声をかけるが、相手は無言のままだ。よく見ているとその姿の中には他よりも頻繁に現れる顔があった。鏡の中で見慣れた僕の冴えない顔、そしていつも見ている長瀬の綺麗な顔。目の前に現れたからか、それとも。あやふやな姿はやがて厳しい顔をした僕に変わり、しばらくそのままでいた。
困っている、助けてほしい、とは余市は言わなかった。でも、学校に来るだけは来て、結局今逃げ出していないのはそういうことなんじゃないのか、と思いたい。泣いてたならなおさらだ。どうなんだ、という気持ちを込めて僕は呟いた。
「また僕か」
『こうなりたい』
『本当はこうに違いない』
『別のものになってしまえば、いっそ楽だ』
『自分以外の誰かになりたい』
なんで僕なんだろう、とまたシンプルにそう思った。もちろん、他にもなりたい奴はたくさんいたはずだ。きっとそれぞれの姿にそれぞれの理由があるのだろうとは思う。細野と伴なんかは、自分で言っていたからわかりやすい。でも今、彼は僕の姿でいる。僕自身は黒猫になって、夜にふらりと溶けてしまいたかったくらいなのに。
家が嫌。自分が嫌。長瀬が好き。他にも理由があるのか。どれが本当なのか。全部本当なのか。僕は、こいつを知らなければならない。前みたいにケンカ別れじゃなくて、ちゃんと話さないといけない。
「……俺、今も三田村なのか」
ここは外で、二月の風はひどく寒く、鏡になるようなものはない。僕の声で余市は問う。頷くと、彼はしゃがんで首をうなだれた。
「僕になりたかった?」
「そんなんじゃねえよ」
「その、もしかしてこないだの話が理由で?」
長瀬に知られないように、僕は遠慮がちにそう言った。余市は僕が許せなかったと言った。同時に、自分が長瀬の側にいたかったとか、そういうやつかと思ったのだ。なんだ、やっぱり普通に好きなんじゃないか。僕は少し安心しかける。が。
「ないとは言わないけど、違う」
余市は顔を上げる。もうめんどいから教えてやるよ、と目の前の僕は、僕が見たこともないような笑い方をした。
「お前、進路調査用紙、白紙で出したんだろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます