第3話 人には悩みがあるらしい
何がなんだか全然わかんないんですけど、と伴は顔を青ざめさせる。そんな友人を僕は先導した。僕もそうだった、とか言うのが、なんだか先輩のようで少し気持ちが良かった。
呉さんの事務所は今日も煌々と明かりを灯して僕らを迎えてくれた。探偵って言ってもだいたい逃げたペットを探したり、清掃を手伝ったりとかしてるみたいよ、というのが長瀬の説明だ。その日の事務所では鳥籠に入った黄色いインコが一羽、ぴるぴると羽繕いをしていた。多分、探して捕まえたのだろう。呉さんの指には絆創膏がいくつか貼られていた。
伴は、呉さんの鋭い視線に少し怖気付いているようだった。そして私服のグレーのパーカー姿の長瀬夜子を見つけて目を丸くする。
「え、なんで長瀬さん?」
「私の家だから」
彼女はこともなげに答える。正確には、住居部分はキッチンよりさらに奥の扉の先にあるのだそうだけど。
「ふたり、最近結構話してると思ったら、家にまで来てたんだ」
「いや、家の方には入ってない」
「付き合ったりはしてない」
弱気な僕の否定に対して、長瀬の方はバッサリだった。僕はその後ろに続ける。
「……してない」
伴は、お前もっと頑張れよ、という目でチラリと僕を見ると、話を戻した。
「意味不明なことが急にあったから、よくわかんなくて……。三田村に話聞いてくれるとこがあるって聞いたんで、来ました。なんか変なセミナーとかじゃないですよね?」
「変なセミナーはな、そう聞かれてここは変なセミナーですとは言わねえ。覚えとけ」
ほんとだ、と感心顔の伴に少し心配になる。
「第一、俺がどうこう治したりできるもんじゃねえぞ。まずは場所貸してやるからお前らで話してろ」
相談料三千円からするとずいぶん優しくなったものだ、と思う。やっぱり知り合いの情というのはありがたいものだ。
「場所代、一時間千円。あとは適宜」
なんとなく、変だな、とは思っていたのだという。
街中で知り合いに会っても、伴の方から声をかけるまで気づいてもらえなかったり。突然大学生くらいの男ばかりのグループに声をかけられたり。少し遅い時間にひとりでいたら、年配の人に妙に心配をされた、なんてこともあったのだとか。
「鏡とか見てわかんないものかな」
「全然意識してなかった。三田村はすぐ気がついた?」
「僕はほら、あれだよ……」
すぐ気がついたし、全然平気だったし、とまた先輩ぶろうとして、長瀬の面白がるような視線に負けた。
「……言われるまで、全然でした。はい」
僕の猫の姿のことは簡単に説明してある。さすがに目の前で見たのだから、すんなりと飲み込んでもらえた。とりあえずそういうこともあるんだと思ってほしい、という
「心当たりとかはあるの?」
長瀬が聞くと、伴は頭を抱えた。毎年親の証明書が必要なのだという茶色い髪が、手の中でくしゃくしゃになった。
「あ、私聞きにくいやつ……? 向こう行く?」
「いや、この際だからいいよ、言うよ。長瀬さんはあんまり人に喋る系じゃないと思うし」
喋る友達がそもそもいない、と彼女は呟く。伴はどうもいっぱいいっぱいだったらしく、じゃあこれから百人目指せるね、とかよくわからないフォローを入れた。
「俺、彼女がいるじゃん」
「
長瀬に説明をする。三駅離れたところにある、わりと真面目な進学校だ。制服はうちよりもかわいい、と女子には羨ましがられている。長瀬も、あ、いいなあ、と素直に声を上げた。僕は、長瀬にはうちの学校の黒のセーラー服が一番似合っていると思う。
「付き合って三ヶ月とか経ってて、そんで、まあ、デートとかするじゃん。こないだキスをした」
「おう」
なんだか生々しいというか、別にそんなに聞きたくもない報告だったが、まあ、良かったな、と思う。でも伴は、良かった、という顔はしていなかった。
「その時、なんか違うんだよなー、って思っちゃって」
「相手のこと、あんまり好きじゃなかったってこと?」
長瀬が当然の疑問を挟む。少し不機嫌そうに見えたから、そういうところは結構潔癖なのかもしれない。気をつけたいな、と思い、何に気をつけるのだろう、と首をかしげた。それはいい。問題は伴の方だ。思ったより好きじゃなかったというのは不幸だけど、そういうこともあるよな、というくらいの話だ。だが、彼は首を横に振った。
「そうじゃなくて、めっちゃ好きだよ。でも、俺の方がなんか違うって思った。このままだと良くないって思って、でも向こうはすごく満足そうだし……」
そんな折、夢を見たのだという。
「夢の中で俺は女の子で、彼女と一緒に手を繋いでふわふわ楽しそうにしてた。こういうのがいいなって思った」
消え入りそうな声で、伴は続ける。
「でも、起きたらいつもの俺だ。俺ん
「道歩いてる時、車道側に行くと彼女がちょっと喜ぶんだ。キスだって、絶対俺の方からしなきゃって思ってた。服とか一緒に買いに行くのは向こうに断られた。見ててもつまんないでしょって。俺、女の子のひらひらした服見るの好きだよ。自分じゃ着られなくたって。でも、そういうの似合わないだろ。変だろ。だから……」
「伴」
僕は声を途中で遮った。泣きそうな顔でまくし立てていた女の子は、はっと顔を上げる。自分の小さな手を見て表情を歪める。僕らの目の前で、伴は見る間にあの女子の姿に変わっていたのだ。
「お前さ、実際ずっと女の子になってたいの?」
ぶんぶん、と何度も首が横に振られる。髪が柔らかく揺れた。だって、と声が掠れる。
「だって、そしたらあの子に好きになってもらえない」
(自分で選んでこういうのがいいって格好と、人に受ける格好とが違うと、大変だと思う)
少し、わかった気がした。こいつは多分、ちょっと格好つけたのだ。見た目のイメージ通り、王子様みたいな、ヒーローみたいな、そういうのを目指した。彼女に求められるままに、だ。それが自分にとって結構な負担であったことに気づかないまま。
「彼女と話した方がいいよ」
長瀬も口をきゅっと曲げてそう言う。そうだ、これ以上はきっと、ふたりの問題になってくる。
「だめだよ。話せない」
「なんで」
「前に一緒にいた時、道に見た目男同士のカップルっぽい人たちがいた。しっかり手ぇ繋いでたんだ。片方はピンクのワンピ着てたけど、わりとすぐ肩幅とかでわかる感じで。そしたら彼女は俺の手を引っ張って、道を変えようって言った」
俺、その時半分ほっとして、半分引き裂かれるくらい辛かった。伴は目を両手で覆い隠す。
「なんか言った方がいいと思ったけど、言えなかった。置いてかれて別の道行かれるのは絶対嫌だ」
だからそれを話せっていうんだよ、と僕は立ち上がって怒鳴ってやろうかと思った。長瀬の手が上着の裾を引っ張るので押しとどめる。もう一度、どかりと座り直して腕を組んだ。人に相談をすれば、というのは僕も耳が痛い話だ。他人のことならずいぶんよく見える。自分のことになると、人は信じられないほどに意固地になるのかもしれない。
「三田村、頼みがある。もうこんなの終わりにするから、最後にちょっとだけ手伝ってほしい」
軽く目の端を手のひらで拭って、伴は僕の方をじっと見た。見た目だけはふんわりしたかわいい女子だ。中身が伴とはいえ、少しくらいドキッとしたとしても僕をだめな奴だと思わないでほしい。
「できることならするけど……」
「服、買いに行きたい。めちゃくちゃかわいいやつ買って、それで最後にする」
「それ、僕はなんか役に立てる……?」
ひとりじゃ心細いのだろうな、とは想像がつく。でも、あいにく僕には女子の服のことは全くわからない。
「私も行っていい?」
長瀬がゆっくりと手を上げた。
「それは助かるけど……」
「誰か知り合いと会ったら、ふたり変な噂立てられるよ。でも三田村くんも来てね。伴くんが男の子に戻ったら、今度は私たちが誤解されちゃう。三人いれば普通に友達同士のグループでしょ」
なるほど、と僕と伴は声を揃えた。長瀬夜子は見た目通り、だいぶクールなことを考える。
「とりあえず、今日はこれで帰りなよ。一時間経つし。末明さんからは何かありがたい一言ある?」
おう、半分聞いてなかったけどな、と机の方で何か作業をしていた呉さんが顔を上げた。
「お前、少し妥協を覚えた方がいいよな。お前というか、そんくらいの歳の奴全般なのかね……」
「妥協ですか」
「白黒つけりゃいいってもんでもないということ」
呉さんはこちらに近づいてきて、大きな手をぬっと伸ばした。
「千五百円」
「今の一言で五百円取るんですか!」
「暴利!」
伴はようやく、ほんの少しだけ微笑んだ。
伴が千五百円支払って事務所を出た後、僕は一緒に帰らずに少し長瀬と話をしていた。呉さんはインコに餌をやっている。伴は伴で心配だったが、家に戻らないということはなさそうだから、また学校で話せばいい。買い物の約束は今週末だ。その前に、ぐちゃぐちゃになった頭を少しクールダウンさせたかったのだ。
「あいつ、今の彼女とはあんまり続かなさそうな気がする」
「私もそう思う」
伴はあの大人しそうな子にすごく入れ込んでいる。気持ちは痛いほどわかる。僕だって、もし誰かと付き合ったら終わりなんて考えず、一足跳びに結婚とかのことまで妄想してしまうはずだ。でも、あいつも内心では考え方のずれに気がついているのだろう。そう遠くないうちに別れは来るような気がしていた。
「付き合わせてごめん」
「ううん、人と買い物とか行くの、久しぶり。……ちょっと楽しみ」
やっぱり、寂しいんだろうな、と思う。僕が話すようになって、彼女の浮いたポジションも少しばかり落ち着いたような気もするが、それでも親しい仲の子はまだできていないようだ。
「訂正。友達と買い物とか行くの、久しぶり」
長瀬夜子は遠足の前の子供のような顔で笑った。
「すごく楽しみ」
僕の頭はクールダウンどころか五度ほどヒートアップを始めてしまったのだが、彼女がそれに気づいた様子はないようだった。
やったね、ピーちゃんやったね、と籠のインコは首を傾げながら、繰り返し繰り返し唱えていた。
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