第2話 できると思えば届くらしい
ちょっと横道を覗いてみると、同じ境内にまた別の、木に囲まれたかなり小さな神社の建物があるようだった。向こうの建物とは規模が比較にならないが、混雑を避けて小さい方に行っている人もちらほら見える。
「あっちも神社だ。みんなが帰ってくる前にちょっと行って帰ってくるのは?」
「別におっきいとこじゃなくてもこだわりないしね。なんの神様なのかもよくわかんないし」
ちょっと罰当たりな会話をしてから、僕らは移動することにした。奥の別の神社に行ってるから、と連絡だけしておいて。しばらくして長瀬から、わかった。こっちはもうちょっとかかる、とメッセージが送られてきた。あれ以上分断されたりはしていなかったようでほっとする。じゃ、行くか、と僕らは歩き出した。
鳥居のところには小さな石の狐がいて、稲荷神社なんだな、と詳しくない僕にもわかった。二礼二拍一礼、とちょっと古い紙に書かれた作法をぎこちなく守って、五円玉はなかったから十円玉を放り込む。
人生万事順風満帆。僕と長瀬と細野と伴と、浦部と黒崎と宮川と山口と、風邪気味だとかいう呉さんと、忙しそうだった余市と、家族と、クラスのみんなと、先生と、塾の友人と、僕が会ってきた人、これから会う人全員分。あと意外と多い悩みを個別に解決してもらえればもっといいんですけども。
頭の中で言葉にすると、案外長くなった。細野は、三田村長くない?と呆れていた。鳥居を潜って外に出るが、スマホにはまだ伴たちの連絡は来ていない。
「終わっちゃったけど、また待つか」
「どっか建物の中に入れればいいんだけどなあー」
すっきりと晴れた空を見上げ、また下を見て、僕らは途方に暮れる。細野に余っていたカイロをあげたら思いのほか喜ばれた。そんな僕らの前を、赤い風船を手にした小さな子供が横切って行った。まだ幼稚園生くらいだろうか。ぶわぶわに着ぶくれて、シルエットがころころしている。なんとなく目で追った。一瞬転びそうになって、風船が揺れた。僕は周りを見渡す。そんな子供の様子を見守っている感じの大人はいない。
「あれ、大丈夫かな」
細野が同じ心配をしたようで、きょろきょろ周りを見回している子供に視線をやる。
「迷子?」
「ぽくない?」
子供はまた向きを変えて、とことこと歩いてきた。僕らの方へと向かってだ。足元近くに来てから、またきょろきょろし始める。
「こんにちはー。はじめまして」
放っておけなかったのだろう。細野がしゃがんで話しかけてみると、んん、とその子は首を傾げる。
「……こんにちは」
子供はもじもじした風に風船を持った手を振った。
「ちーちゃんです」
「礼儀正しいな」
「ちーちゃんかー。今ひとり? 誰か家族の人いる? お父さんとかお母さんとか」
「おじいちゃんおばあちゃんでもいいよ」
僕も軽くしゃがむと、ちーちゃんはゆっくりと首を横に振った。
「おとうさん、まいご」
「迷子はちーちゃんの方……」
「三田村そういうの今いらないから。そっかー。はぐれちゃったねえ」
細野は、迷子センター的なやつってないのかな、と首を傾げる。
「あってもあっちの、社務所とかの方じゃないかなあ」
「そしたら動くと余計危ないね。みんなとか、探しに来た家族の人と入れ違いになるかも」
「連れ歩くと事案になるかもしれないしな」
話が終わったと思われたのか、またとことこと移動しようとしたちーちゃんを、細野はコートのフードを引っ張って止めてやる。僕は伴に電話をかけた。
「そっちどう?」
『お参り終わった。まだ人は多いけど、もうちょいでそっち行けると思う』
「その辺に迷子センターとか案内所ない?」
『えー、あー、なんか入り口ら辺にあったかなあ』
「迷子見つけちゃって、動くとややこしそうだから、まず親が来てないか確認頼みたい」
『オッケー。どんな子?』
「幼稚園くらいで、赤白のニット帽被ってる。上着は紺色。赤い風船持ってて、名前はちーちゃん」
伝え終わって足元を見ると、細野はちーちゃんとジャンケンをしていた。面倒見のいい奴でちーちゃんも安心だろう。
「風船、
「わんわんさんかった」
「おおー。あたしはカットソーとスカート買った」
「ちーちゃんスカートすき」
会話はなんとなく成立していた。泣いたりするような子でなくて良かったが、親の方は早く来てくれないかな……そう思った時だった。
ふわ、と風船が浮いた。ちーちゃんはぽかんとした顔で開いた手を見つめている。パーを出す手を間違えたのだ。細野があ、と呟いた。僕は手を伸ばそうとした。風が吹いた。風船は、思ったより速く高く舞い上がった。
「あ、あーっ、やっちゃった」
伴だったらジャンプすれば届いたろうか、と思いながら僕はせめて走って追いかける。風船は境内の木の一本に引っかかって、ふわふわと揺れていた。糸が絡んだわけではないから、また風が吹けば飛ばされてしまうだろう。
「登れば取れなくはない……?」
「神社の木に登ったりしたら怒られるよ」
そもそも、僕は木登りなんて元々得意ではないし、上の方は男ひとりの体重を支えられそうな枝ぶりでもなかった。
呆然としていたちーちゃんが、ふわ、と泣きのスイッチが入った声を上げた。大声で泣き叫んだり、ぐずるような子ではなかった。ただ、絶望したような顔で肩を揺らしながらひくひくと涙を流し始めた。宝物が永遠に手の届かないところに行ってしまった、という事実を噛み締めている感じだった。
僕はひりひりするような気持ちを持て余して、一歩木に近づいた。幹に触れた。
あれ、登れる、と思った。
木肌は粗くて、爪を引っ掛けるのにもってこいだ。これなら後で跡が残って怒られることもないはずだ。三田村、と細野の声がした。僕はそちらは向かずにゆっくりと、じきに慣れてするすると上に向けて移動していった。
やがて風船の近くにある枝にたどり着く。ここはちょっと細いが、爪を立てて尻尾でバランスを取っていけば、普段の道とそう変わらない。風は少し収まっている。今のうちに取りに行かないと。
赤く丸い風船は、さっき見た時よりもずいぶん大きく感じた。それはそうだ。僕が縮んでいるのだ。僕は、尻尾の先だけちょんと白い黒猫の姿になって軽々と枝を行く。怖くはなかった。風が吹く。枝が揺れる。木の葉のざわめき。匂いが震える。風船が飛んで行く前に、どうにかキャッチを。
小さな牙が生えた僕の口が、細い糸を捕まえた。離さないように気をつけて、僕はまたするすると降りていく。降りる時に油断すると危ないんだっけ。なんだか古文でそんな話をやった気がする。猫だとどうなんだろう。思っているうちに、地面はすぐだ。僕は危なげなく着地した。細野が手を差し伸べて、風船を僕の手から受け取った。ちーちゃんはふくふくの頬に涙の筋を残したまま、目を真ん丸にしていた。
「あ、もう戻ってら。早い」
「みみみ三田村、今のが三田村の……?」
僕が自分の手袋をはめた手を見ていると、細野みかげは大混乱、という感じの顔で僕の肩を揺らした。僕は彼女の顔と、赤い風船と、自分の手と、戻ったはずなのに猫の時よりも高く感じる木と、忙しくぐるぐるとまた見直した。
「……なんで?」
「あたしが聞きたい。なんか辛いことあった?」
「ないよ。強いて言えば、その子が辛そうだなって思ったくらいで……」
そう、僕の変身は気分が落ち込んだり、自棄になったり、そういう時にしか起きないはずだったのだ。今僕は『そうできるから』猫になった、そんな気がした。
スマホが震えた。伴から着信が来ていた。
『案内所で親っぽい人がいたから、そっち連れてく。今向かってるけどどの辺?』
ああ、小さい稲荷神社の鳥居の外の、ちょっと右に外れたとこの……右ってのはこっちから見て右だから、道からだと左、とか教えて電話を切る。
今さらのように不安感が胸のタンクからじわじわとにじみ出てきた。例えば、長瀬と仲良くなったあの夜のこと。例えば、戻らなくなった長瀬の母親。
相談しろ、頼れ、と言われた。呉さんにも、親にも、先生にも。友達だってきっとそう言うだろう。でも誰に言えばいい? この場合、僕の頭にはまずひとりの顔しか浮かばなかった。
長瀬夜子だ。彼女と話したかった。
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