第4話 あいつは戻ってきたらしい

 それから、余市は授業に出て、珍しくぼんやりして先生に叱られていた。次の日はまた一日だけ学校を休んで、あとはちゃんと登校してきている。彼の扱いをどうするかは僕らの中でも割れた。伴はまだしこりが残った顔をするし、長瀬も積極的に付き合おうとは思っていないようだった。細野は逆に、言葉通り勉強を教わりに行っては微妙な顔をされていた。でもちゃんとわかりやすく教えてくれたよ、だそうだ。


 僕は迷う。友達だとは思う。話はしたい。でも、できれば長瀬に近づいては欲しくない。伴に無理に仲良くしろとか言うつもりもない。余市がたまにあの日みたいな暗い目をしているのも、気がかりでもあるし、気詰まりでもあった。そんな感じで、あの後はなかなか声がかけられなかった。CDの感想も聞けずじまいだ。


 余市はあれ以来、愛想のいい仮面を捨てたように無口になり、クラスのみんなに心配をかけていた。


 しばらくして、十四日のバレンタインデーが来た。僕にとってはおこぼれにありつける日という程度のものでしかない。細野たち五人と長瀬は友チョコ交換とかの話で楽しそうにしていたので、甘いものには困らなそうだな、と思った。


「……伴くん伴くん、その紙袋は何?」


 休み時間、僕が席に近寄って声をかけると、え、とどこかの服屋のピンク色のショッパーを取り出していた伴が戸惑ったような顔をする。


「今日、貰い物が多いから……」

「出たよこいつ、顔がいい奴はこれだからさー」


 別に嫉妬とかしているわけではないが、ランクの違い的なものを感じた僕は、ちょっと大げさに騒いでやった。


「別にみんな面白がってるだけで、本命とかほとんど貰ったことないよ……」

「ほとんどってなんだ」


 知らない子から貰っても困るしさ、と眉を八の字にする。といって、突っ返すこともできないのが伴礼央だ。話している間にも廊下から呼び出しが来て、奴はへろへろとドアの方に歩いていった。


 長瀬は、きっと誰かに特別にあげたりはしてないよな、と賑やかにしているところを眺める。わざわざ確認するのも彼女を傷つけそうで怖い。細野はクッキーをたくさん焼いたとクラス中に振舞っていた。余市の席にも置いていた。僕はまだ無口なその背中を眺めていた。


「三田村くん、伴くん、来て来て」


 長瀬が呼ぶので、僕は窓際の前の方の席へと移動する。女子たちがわいわいと迎えてくれた。伴もかわいいリボンのついた包みを机にしまうと、いそいそこちらに来る。


「あれ本命じゃないの? いいのか?」

「いや、本人じゃなくて中三の妹さんが俺のファンなんだって」

「年齢問わずかよー」


 だから、別に付き合ってって言われたわけじゃないってば、と手を振る。


「言われても、俺今はそれどこじゃないし。もっとちゃんとしっかりしてからじゃないとって思うよ」

「伴くんはしっかりしてると思うけどな」


 長瀬は、机の上のブラウニーが入ったタッパーとは別に、もうひとつ箱を取り出した。中には袋分けされたシンプルなカップケーキが入っている。


「特別。三人と自分用に作ってきたの。うちキッチン狭いし、オーブンないから、あんまりすごいものは作れなかったけど」


 長瀬ー、と僕は半分冗談、半分本気で嬉しくなって涙を拭くふりをした。なんというか、こういう日はモテない奴のキャラでいる方がウケるよな、というようなふわふわした判断だ。でも、その演技はすぐ止まった。


「……五個あるよ?」


 ひょいと後ろから覗き込んだ細野みかげが、不思議そうな顔をする。伴と僕も同じだった。僕らの分なら四個でいいはずだから、呉さんの分まで持ってきちゃったのかな、とか思った。でも、長瀬の返事は違っていた。


「うん。私はこれを他の人にあげるつもりはないから。三人のうち欲しい人が持っていけばいいと思う」


 僕は頭上に?マークが浮かぶのを感じた。


「貰った人が誰か他の人に渡すのは、別にいいと思うよ」


 僕は、目をぱちぱちさせて長瀬の顔を見た。相変わらず涼しげな顔の彼女は、僕を真っ直ぐに見返していた。


 彼女は、自分が理不尽な好かれ方をしていたことを知らない。そのはずだった。確かめる勇気はない。ただ、僕は。


「……じゃあ、僕が貰う」

「どうぞ」


 ラッキー、とか言いながら、ふたつケーキを取る。伴と細野は止めなかった。ひとつをすぐに食べようかどうしようか迷ってから、僕は両手に袋を持ってまた移動する。三人の視線を背中に感じる。


 これが長瀬の選んだ距離感なんだな、と思った。僕らは一緒にいるけどバラバラで、みんな違ってる。性格も、好きな物も、興味も、多分、進む方向も。


 きっと、それでいい。僕らは僕らにしかなれないのだ。たとえ何に変わろうとも。そして、僕は僕のやりたいようにする。そう決めた。


「余市」


 席の間を縫って、僕は眼鏡の学級委員に声をかけた。


「ハッピーバレンタイン」


 ぐいと差し出したケーキの袋を、余市卓はちらりと見る。少し離れた席にいる、長瀬と伴と細野を見る。ゆるゆると彼は受け取る。


「……聴いた。アルバム」


 ぼそぼそとした声だったが、余市は僕にそう言った。僕がうん、と答えると、奴は続ける。


「四曲目の歌詞がひどい」

「ひどいな」

「2ndの方が良かった。ちょっとマンネリになってる感ある」

「僕は武器を自覚した感じがしてわりと好き」

「ああ、ラストとかわざとやってるっぽさあったな」

「あのジャーンで締めるのいいよな」

「やっぱりアクが強すぎるから、どうやってもホフマンズの音になるっていうか……」


 余市は言葉を止めた。そこから何か言おうとして、三田村、とだけ僕を呼んで、息を吸って、止めて、また吐いた。


「ごめんな」


 余市卓にしかなれなかった少年は、眼鏡を外して軽く眉間をつまんだ。三田村真也でしかない僕は、うん、とだけ言ってその顔をちらっとだけ見、またすぐ目を逸らした。


 彼の姿がまた誰かに変わることはあるかもしれない。僕らはそこに帰る場所、しっかりとした錨のようなものをちゃんと繋ぐことができたのだろうか。


 でもさ、余市、と僕はアルバムを受け取りながら思う。それでも、やっぱりほんのちょっと楽しかったよ。お前の本当の気持ち、その少しだけ後に尾を引く残響と、追いかけっこして遊ぶのはさ。

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