第2話 彼女の秘密を知ったらしい
クリスマス会は盛り上がった、というか普段通りだった。元々仲がいいところが集まれば、適当に食べながら話しているだけでも楽しい。
細野は王様ゲームのくじを用意してきたと取り出したが、結局それはチキンとケーキの好きな部位を取る順番決めにしか使われなかった。スマホのゲームは長瀬が疎いのでやめて、結局トランプだのでアナログに遊んだり、戸張先生の物真似大会をしたり、そんな泣けるほど健全な会だった。トランプも、途中からもっぱらタワーを立てるために使われていた。真剣な顔でバランスを取っている伴をいかに笑わせるか、が僕と細野の課題で、でものんびりした伴の前に横で見ている長瀬が吹き出してしまう。彼女は珍しく大きく口を開けて大笑いをしていた。
途中、事務所の方から物音がして、呉さんが一度顔を覗かせた。呉さんは不機嫌そうに、はしゃぎすぎんなよ、と言って飴の袋を置いていってくれた。本当に、何もかもどうでもいいことばかりして、楽しくて、こんなに幸せなクリスマスってもうないんじゃないかとすら思った。暖房で頭はぼんやりして、笑いすぎてこめかみが少し痛かった。
そんな会が夕方にちょっと小休止して、みんながそれぞれにだらけたポーズで壁やクッションに寄りかかっている時だった。僕は烏龍茶をボトルから紙コップに注ごうとしたが、三分の一くらいのところでちょろりと中身が終わった。見回すと、飲み物は全部切れてしまっているようだった。
「なんか外の空気吸いたいし、買ってこようか」
立ち上がると、机にもたれてぐんにゃりしている長瀬が顔を上げた。
「事務所のキッチンの方にお茶のボトルがあるよ。勝手に持っていっても大丈夫」
「いいの?」
「本数控えておけば。元々あっちとこっちとで適当に飲んでるしね」
ごめん、私今ちょっと腹筋が鍛えられすぎてて、と長瀬はさっき大崩落したタワーについて思い出し笑いをしているようだった。僕は軽く手を振ってドアを開けた。
事務所らしく廊下にもエアコンは通っているようだが、スイッチは切ってある。ちょっと空気の悪くなっていた部屋の中が嘘のように、外の冷気は僕に襲いかかる。
早く帰ろう、とも思ったし、ちょっと換気した方がいいな、とも感じた。ドアを細く開けておく。全開だと寒いかもしれないから、とりあえずはこれで。
廊下を少し進んで、事務所に繋がるドアのところまで来たところで、ふと声が耳に入った。
「……じゃねえか。こないだは……」
呉さんだな、と思った。事務所との間のドアはストッパーが引っかかったのか軽く開いていて、そこからぼそぼそと声がしていたのだ。
そうすると、ちょっと出て行くのはまずいかな、と思う。来客なら見咎められたら邪魔でしかないし、電話でも気を散らせてしまうかもしれない。明確に仕事の迷惑になってはいけない、ということくらいはわかる。僕はひとまずドアの前で様子をうかがっていた。
「だって、久しぶりにふたりきりだから」
電話ではないらしい。相手の声が聞こえる。女性だ。ちょっと年齢がわからない感じの声で、なんだか妙に親しげな甘い響きをしていた。呉さんの方もいつもと変わらない、仕事とは思えないぶっきらぼうな話し方をしている。個人的な知り合いだろうか。
呉さんに、女性の、個人的な知り合いが?
わりと後からずしんと来るショックだった。僕は案外、呉さんの硬派な雰囲気に憧れていたのかもしれない。逃げたインコを追って手に怪我をしたり、素行調査の末に溝にはまって汚れて帰ってきたり、というところに遭遇することはあったが、それでも彼はよく僕らを助けてくれたし、見守ってくれていた。なんていうか、これも長瀬夜子に対するのと同じく勝手な先入観なのだが、女性なんて受け付けない格好いい呉さんでいてほしかった。ましてや、長瀬によれば『恋愛とか嫌』なのだそうだし。
僕は困惑と好奇心との間で、ドアの前でうろうろとしていた。ふたりの会話はゆっくりと続いている。
「今日はちょっと空気が騒がしいね」
「奥に夜子の友達が来てるからな」
「よく来るよね、あの子たち。別にいいけど」
聞いちゃっていいのかな、と思いながら、僕はなんとなくその会話に違和感を覚えていた。口ぶりからすると、女性は僕らのことを知っているようだ。でも、ここで女の人なんか見たことがない。もしかすると。
もしかすると。
僕はそうっと、ドアの隙間に顔を近づけた。好奇心に負けてしまった。すいません呉さん、と思いながら覗く。机に向かっている呉さんの横顔が、半分壁に隠れて見える。その目の前には誰もいないようだった。
それでも、たとえばソファのところに座ってて死角になっているとか、そういうことはあるよな、と思う。思って、じくじくした罪悪感に駆られながら僕は振り返った。
長瀬夜子がそこに立っていた。
「なが」
長瀬はシッ、と人差し指を立てた。そして、なんだか険しい顔をしたままドアのほうを見ている。
「あたし、あの子嫌い。末明くんとふたりで話せないんだもの」
「たまには口を利いてやってくれ」
「嫌。忘れないで水をくれるのはありがたいけど」
長瀬は、ふう、と大きく息をついた。そうして壁にもたれると、ずるずると座り込むように腰を下ろしてしまった。僕は慌てて隣にしゃがむ。何か言おうとしたが、また指を立てられる。
『ごめん。遅いなって思って見に来たの』
やがて長瀬は、スマホのメモ機能を開いて文字を打ち、僕に見せてくれた。細野たちとよく連絡を取っているのか、彼女はずいぶんと文字入力が早くなった。僕も同じように指先で返す。
『呉さんが話してるみたいだから、どうしようかなって』
『女の人ね』
『うん』
『あれ、私のお母さん』
僕は長瀬の顔を見た。彼女は実に真面目な、深刻な、ひんやりした今日の冬の空のような顔をしていた。
『今は、事務所の鉢植えになってる。変わっちゃったの。私のことも忘れちゃった』
だってあの子、なんかいっつも暗い顔であたしのこと見るのよ、と女性の声は続く。呉さんはどこか、返答に困っているようだった。僕はソファ横のベンジャミンを思い出す。
「いい子なんだよ」
「末明くんはあの子のことだけ褒めるのね。ずるい」
『ごめんね。さすがに信じられないよね』
『いや、信じるけど。そっか。僕らくらいの歳の奴だけが変身するわけじゃないんだな』
そういえば僕が初めて猫になった夜、透明になった小学生の話をしていたっけ。同級生に事件が起こりすぎて、少し忘れていた。それなら、信じない理由なんてない。
ただ、そうすると、少し気になることがある。
「あたしも褒めてよ」
「そうだな。葉が緑だ」
「それはいつもでしょ」
呉さんはなんとなく、長瀬の母方の叔父、つまり長瀬の実の母親の弟なのかと思っていた。長瀬と名字が違うからだ。もちろん、長瀬の父親が結婚の時名字を変えた場合だってあり得るから、おかしいわけではないのだが。この会話、なんとなく……とてもむずがゆい。少なくとも姉弟とか親戚同士、という感じではない。
恋人同士みたいだ。
僕がどう書けばいいか迷いながら書いては消しを繰り返していると、長瀬は断片から察してくれたようだった。返事が来る。
『末明さんはね、本当はお母さんの彼氏』
『普段はね、叔父さんって言ってるの。ちょっと面倒だから』
『先生とかはもちろん知ってる。お母さんの事情は知らないけど』
『できれば三田村くんも、黙っててくれると嬉しい』
わかった?という顔で長瀬がこちらを見つめてくる。僕は何もわからず、混乱したままあちらとこちらを見渡した。
「……綺麗なんじゃねえのか」
「ありがと」
長瀬が顔を俯かせた。妙な恋人たちの会話は、ゆっくりと冷えた空気を暖めていった。
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