第4話 追いついてしまった

 僕と女の子姿の伴礼央は、ゆっくり姿を変え続ける『誰か』の後ろを、付かず離れず歩いた。言葉は怪しまれないようにほとんど交わさなかったが、それでも一緒に歩くのは心強かった。駅前に続く大通りは冬の空気に凍えながらも、夕焼け色に染まって賑やかだった。


 さらに後ろをちらりと振り向くと、長瀬夜子と細野みかげがしっかりとついてきている。細野は万が一戻れなくなった時が僕らよりよっぽど大変だし、長瀬は変身した姿を見せることを嫌がっているようだった。だから普通に追いかけてもらった。二の二5ファイブの残り四人が駅の近くの店にいるらしく、何かあったら即呼ぶから、と細野は張り切っていた。


 多分、今回一番怒っているのが細野で、一番傷ついたのが長瀬だ。僕は、どちらかというと不安を感じている気がする。伴はどうだろう。いつもよりはずいぶん線の細い可憐な横顔は、何かの決意に満ちているようにも見えた。そうでなければ、自分からこの姿に変身をしたりはしないだろう。


 歩きながら考えた。あの状態を見ていると、僕らに対する悪意は本当にあったのかよくわからないな、なんてことを。もしかして、廊下で会った時も勝手に変身してしまったから少し混乱して……とか。でも、先生に化けていた時は口調がなりきっていて、しかも逃げ出したし。それも混乱? わからない。話を聞きたい。


 駅に着く前に、『誰か』は道を右に折れた。ここから少し行けば、マンションが連なる比較的新しめの住宅街がある。僕の家がある方向だ。長瀬の事務所兼自宅は駅すぐで、伴の家は反対方向の古めの住宅街、細野はさらに駅を通り越して向こう側になる。こいつ新地こっち側か、とか思いながら、僕は道の脇の植え込みとか、塀の上の方を歩いていく。すれ違った人に、あっ猫だ、なんて指を差されたりもした。猫ですよ、という顔でひたすらに進む。


 五分くらい歩いたところで、伴が少し怪訝そうな顔をしてこちらを見た。僕も小さく頷き返す。ひたすらに見覚えがある光景だ。生まれた時から住んでいる、僕の家の近所だった。伴も何度も遊びに来たことがある。大きめの公園があって、赤い煉瓦っぽい塀があって、似たような戸建てが並んでいて、くすんだ感じのマンションが何棟もあって、そのうちの一棟の三階に僕の家がある。狭い玄関から飛び出して、何度も夜の散歩をした。長瀬に出会って、伴や細野に関わって、そうして今、ここにいる。


 まさか、僕の家に偽物として帰ったりはしないよな、とよぎった不安は、幸い現実にはならなかった。『誰か』はうちのマンションの下で一瞬立ち止まってちらっと上を見て、でも中には入らずそのまま去ってしまった。


 ほっとするが、疑問もある。僕の家を知っていた? それは、クラスの誰かなのだろうから呼んだことがある奴もいくらかはいるし、妙な手出しをするくらいだからそれくらいの繋がりはあってもおかしくはないのだが。あるいは調べたとか。クラスの比較的仲のいい奴とか、高一以前に遊びに呼んだことのある連中に聞けば簡単だろうし。


 その時、僕の頭の中でまた猫がゆっくりと緑色の目を開けるのを感じた。錆びた扉が開くような、なんとも嫌な感じがした。僕の家を知っている。同じ方向に家がある。遊びに来たことがある。最近ではなくても、例えば中学時代とか、あるいは一年の頃とかに。近所でばったり会ったり、なんてこともあったかもしれない。あったかもしれないのだ。もしかすると……正月の三が日とかに。


 まさか、とぷかりと浮かんだ考えと名前を消すため、頭を振った。そうだ、前の『誰か』を見ていればいい。そいつの姿が現れれば、変な疑いは晴れる。僕は目を凝らしてじっと斜め後ろから見ていた。クラスのいろんな奴がいた。男子も女子も。先生だったりもした。もちろん知らない姿もあった。……僕が、一年の時に同じクラスだった奴の顔もあった。


 やめろよ、と思った。そっち行くな、と長く伸びだした影が道を曲がった時に念じた。意味はなかった。


 認める。僕はこの辺りに去年、何度か来たことがある。比較的新しめの家の中でもわりと小綺麗で大きめの、いわゆるいい家がいくつも建っているところだ。緑も多い。十年少し前に大きい開発があって、ここからだと歩いて五分ちょいくらいの隣駅にでかいモールや小学校が建った。その頃に引っ越してきて以来ここに住んでいるのだと、そいつは言っていた。スーパーも近くて超便利。最近モールにビレバン入ったから、よくわかんないCDいっぱい買ってるんだ。なんか聴く? 三田村。ホフマンズとかどうよ。


 親は少し前から海外を飛び回っていて、実質一人暮らしなのだと聞いた。ちょっとした会社の社長なのだ。だからそいつも勉強して、いい大学に行かなきゃいけないらしい。高校受験は体調を崩して進学校に行けなかったから、今度は失敗ができないと笑っていた。笑っていたのだ。


 まあ、僕のような秀才に不可能があるとは思えませんがね。


 人間の姿の三田村真也でなくて良かった、と思った。そうだったら、きっと耐えきれなくて泣くか、声を上げていた。黒猫の形だけが、僕の心を保ってくれていた。僕はあいつに悪意なんてなかったのだ、と自分に言い聞かせようとして、ガラスの壁に爪を立てるような気持ちでつるつる滑って転びそうになっていた。


 柔らかい手が僕の頭に触れた。伴が軽くしゃがんで、いつの間にか立ち止まっていた僕をそっと撫でていた。何やってんだ、あいつ行っちゃうぞ、と言いたかった。でも伴は手を三回くらいすべすべとさせ、おしまいに僕の額をつんと人差し指でつつくと、立ち上がりそうしてまた歩き出した。


 伴があいつの家を知っていたかどうかはわからない。でも、その手は温かくて、どうしようもなく優しかった。それが嬉しかった。


 西の空は渋みのある赤橙に一面染まっていた。『誰か』は僕が覚えている通りの場所、モダンな感じの戸建ての前で立ち止まり、鍵を取り出すと中へと入っていった。


 眼鏡の学級委員、余市卓よいちすぐるの家だった。


 僕は表札の名前を見つめて、しばらくじっと立ち尽くしていた。進むのには勇気がいった。伴は僕の横で同じように立っていてくれた。僕らはいつの間にか元の高校生男子の姿に戻っていた。やがてふたつの足音が近づく。長瀬と細野だ。角を曲がってきた女子たちは、やっぱり表札を見てギョッとした顔をした。


「うそお」


 だって、え? なんで? 細野がきょろきょろと僕らの顔を見回しながら、精一杯抑えた声を出す。長瀬はくぐもった声で呟いた。


「ちょっと、離れたとこに行こう。作戦会議」


 右の道すぐのとこに小さい公園があった、と僕は提案した。ブランコとベンチくらいしかないところだが、知っている。今日だけじゃない。ここに来た時はいつも前を通っていたからだ。




 その日の公園には人の気配はなく、静かだった。細野と長瀬はブランコに座る。錆びた鎖がキイキイと揺れた。僕は、もしかしてあれはこちらの誤解なのでは、という希望的観測を述べてみた。


「まあ、余市ってああいう嫌がらせするキャラだっけなあって気もするけど……」

「その辺含めて、理由、ちゃんと聞かないとだよな。許すとかはまた別の話として」

「それに、とにかくあの状態は絶対危ない。戻さないと」


 長瀬の口調はあくまできっぱりとしていた。


「私たちが誤解していたならもちろん助けないといけないし。余市くんが本当はどんなに嫌な奴だったとしても、それでもあのままじゃ……」

「あたしの時と似たような感じになっちゃう?」

「そういうこと」


 細野は心細そうな声を上げる。伴はじっと腕を組み、目をつぶって静かにしていた。


「三田村くんは、余市くんと仲が良かったんだっけ」

「一年の時な。二年になってからは一度も遊んでない。普通には話すけど」

「私、余市くんとは用事以外ではあんまり口を利いたことがない。どんな人かな」


 少し意外だった。余市はそつがないというか、わりと誰とでも話せるタイプで、輪から外れがちな大人しい奴とかも彼とだけは少し喋っていたり、なんてこともあったからだ。長瀬なんてまさにそんな感じかと思っていたが、確かにあまりふたりが接している記憶はなかった。


 でもそういえば、それ以上——クラスの気さくな委員、という以上に余市と仲がいい奴って、今年に入ってからはあんまり印象にないな、とも気がついてしまった。


「……まあ、見た目真面目だし、実際勉強とかできるけど、中身は意外に楽しい奴、って感じ」

「だいたいそんな感じだよね。あたし、前に数学のノート借りたことある。ちゃんと家で清書し直したやつ。めっちゃ丁寧でわかりやすかった」

「まめだよな。あと、自分のキャラを自分でネタにできんのって強いな、と思う。俺はあんまり開き直れないから」


 伴がようやくゆっくりと口を開いた。なるほどね、と長瀬は頷く。彼の『かわいい』趣味をどうこう言う奴がクラス内外で時々いるのを、僕は知っている。気にすんな、とは言っているのだが。


「……たださ、長瀬さん。俺、頭ではわかっててもあんまり納得できてないっていうか、場合によっては怒るよ」

「それは仕方がないと思う。私だって自信ない。怒鳴って解決するならそれでもいいんだけど」

「でも、最初はまず話をしたいよ」


 僕は口を挟む。のんびり屋の伴が怒ったところなど今まで見たことはないので、どうなるのか全く見当がつかなかった。


「三田村くんはそうだよね。……」


 長瀬は僕の顔をじっと見て、ブランコから降りるとぽんぽん、と肩を叩いてくれた。一瞬の接触で、僕の気持ちはそこからさっと温まっていく。


「私が言うのはあれだけど、あんまり考えすぎないでね。誤解なら解けばいいし、仲良しの時の気持ちが残ってるなら引き戻してあげよう」


 僕はこくりと首を縦に振った。誰かを元に戻そうとする時、長瀬は普段よりぐっと強くなるように見えた。僕もそうありたかった。


「呉さん……呉さんに手伝ってもらうとかは無理かな」

「末明さんは今日は遠出してる。事務所でならともかく、仕事中に邪魔できない」

「そりゃそうか」


 僕らは、僕らだけの力でこの事態をどうにかしないといけない、と僕は唇を噛んだ。そして。


「とにかく、なんでこんなことになったのか理由を聞いて、そこから突っ込んで話をしよう」


 僕がそう言うと、みんなが頷き返してくれた。余市を助けよう、と長瀬が言ってくれたのが何より嬉しかった。許す許さないとかはともかく、もう少しなら踏ん張れそうだ。


 四対一だ、余市卓。絶対に本当のお前を逃さない。

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