第4話 答えは近くにあるらしい
「それでは二の二
僕の目の前には机が横に並んでいて、それぞれに女子がひとりずつ座り、授業中の睡魔に勝つ気がない時のように顔を突っ伏している。女子は五人。全員黒髪セミロングで、黒のセーラーの上に大きめのカーディガンを着ていた。机の上には『1』から『5』までの番号を書かれた紙が置いてある。
「……昨日の今日でこういう自虐できるって、どういう心臓してんの?」
僕は自分の席に座ってブリックパックのりんごジュースを飲みながら、右横に向かって話しかけた。そこでは長瀬夜子がタマゴサンドをもぐもぐと食べていて、そのさらに隣では細野みかげがしれっとした顔で甘いボトルの紅茶を手にしている。石の事件があった翌日の昼休み。教室は賑やかだ。
「答え、こっちにいるし。ズルっていうか不成立じゃないわけ? これ」
細野みかげは切れ長の目に笑みを浮かべ、あくまでのん気な声を上げる。
「思いついたらやりたくなっちゃったんだよねー」
「お前、だいぶ芸人気質なのな」
そこも多分、彼女を構成する重要な要素なのだろう。覚えておこう、と思った。
「うーん、四番」
「なんで伴はわかってて付き合ってんの?」
「ざーんねん。野々宮さんでしたー」
「そいつ三組の奴だよね? 普段つるんでないよね? 何一発ネタのために人呼んでんの?」
じゃあねー、と手を振って、第六のセミロングは隣の教室に帰っていく。付き合いのいいことだと思った。僕の左隣にいる伴は野々宮に向けて、じゃあね、と手を振り返していた。
「意味がわかんねえ」
「でも、楽しいよ」
長瀬夜子は形のいい唇をにこにことさせているので、僕は今地上の全ての罪を赦そうと思った。よくわからんネタを披露してクラスメイトを困惑させる罪なんて、軽いものだと思う。
「そうだよ。あたし長瀬ちゃんと仲良くするんだから」
「いや、別にすりゃいいけどさあ」
細野は長瀬の肩に手を回す。女子はそういうことができていいなあと思った。
「……それは、伴くんが頼んだから?」
少し混乱している顔で、長瀬は結構面倒くさいことを言い出す。僕と細野は感想が同じだったようだ。彼女は口をちょっと曲げてこう言う。
「長瀬ちゃん、わりとめんどくさいこと言うよね。あたしがそうしたくなったからしてんの」
昨日、ケンカみたいなことして、それでも心配してくれて、それで、そうしたいって思ったの、だそうだ。
「言ったじゃん。あたし、全部したいことしたいようにしてるからさ」
さあ、残り四人。みかちゃんはどこでしょうか! 突っ伏したままの女子たちを見て、伴は、ええー、全然わかんないなー、などと白々しいサービスをしている。
「前に噂が流れた時に面白がっちゃったから、悪かったなあって。親が魔法使いだとか、忍者だとか」
「私、忍者だなんて言われてたの?」
「それは初めて聞いた」
でもそれ、結構悪くないな、くノ一長瀬、とか思っていたら、三田村がなんかやらしい顔してるー、と細野に指差された。こいつは礼儀を知らないなと思う。
「いろいろ、もう平気なのか」
「ん。みんなとぶっちゃけトークしてたら、なんかどうでも良くなっちゃった。あたしの値段は、あたしが決めるし」
彼女は吹っ切れた感じで不敵に笑った。
「特別って思ってた伴くんと長瀬ちゃんはなんか普通のこと言うし、三田村の進路の話もだいぶ、あーって感じだったしね。髪染めようかなーとかも思ったけど、別にあたしのこと大事にしない人に影響されるのって、なんかバカみたいじゃない?」
三田村は強い、と昨日細野はそう言った。そんなことはない。僕は周りに恵まれて、支えられて生きている甘ったれだ。近くにいる奴をよく知りもしないで見下したりもしている。そうすれば、優越感が保てるからだ。
「細野は結構いいこと言うな」
だから、見直した時はせめてちゃんと言おうと思った。強いのは彼女の方だ。
「まあ、これ広告の受け売りだけどね」
「お前さあ」
それより長瀬ちゃん、アカウント教えてよ、と細野はあくまで元気だ。長瀬は慣れない様子でスマホの画面を操作している。
「お昼とか、男子抜きが良かったらこっちにも来なよ。歓迎だよ。引き抜きしてもいいよ」
「うちの花形をヘッドハンティングしないでもらえますか」
長瀬は少し考える。そして、両手を軽く握って縦に積んだ。
「時々、行き来とかしてもいい?」
「いいよおー。別に髪とかは決まりがあるわけでもないし」
そしたら。長瀬夜子はちょっと悪戯っぽく笑って、上の拳の人差し指をぴっと立てた。
「そうする。忍者だから」
「三田村ー。バトンタッチ」
あれ、何やってんの、と伴がこちらを向いた。長瀬の不器用な芸に突っ伏していた僕は顔を上げる。
「いいとこ見逃したよ、お前」
「よくわかんないけど、クイズクイズ。細野さんは何番でしょうか」
僕は前を見た。女子四人は少しぷるぷると震えながら顔を隠している。右を見た。そこにはもうひとり、長瀬の渾身のネタがツボにはまって顔を覆っているセミロングがいる。長瀬は白い顔を真っ赤にしていた。
細野みかげが誰でどんな奴か、僕は今やほんの少し知っている。他の四人のことも、いずれわかるようになるだろう。それはそれで、きっといいことだ。
僕は「六番」とだけ言って、右手の細野みかげ本人を指差した。せいかーい、と女子たちはそれぞれ全然違う顔を上げて笑った。長瀬もまだ顔を赤らめたまま、楽しそうに笑っていた。
その日の帰り道。僕と長瀬と伴は夕焼けの下を三人でゆっくりと帰る。
「そういえば、細野さんに末明さんのことをすごく聞かれた」
「呉さん? それ、めちゃくちゃ下心じゃん……」
ワイルド系の大学生が良かった、とか言っていたから、年上で男臭くてちょっと渋い呉さんが気になるのもわかる気がする。年上すぎる気もするが、昨日はタイミングとかそういうのも良かったし。
「でも、末明さんはそういうの好きじゃないと思うから、そう言っておいた」
「未成年に手ぇ出しちゃだめだよね」
「それももちろんだし、あの人、恋愛とか嫌がる」
ふわ、と晩秋の風が、長瀬の長い髪を揺らす。なんとなく気になるニュアンスを聞き返す前に、彼女はあの端正な横顔でこう続けた。
「私もそう」
僕は不意にぎゅっと心臓を掴まれたような気がした。友達、と繰り返す長瀬に対して、僕の中には確かに浮ついた気持ちがあった。そこが後ろめたくもあった。しかし、それより何よりも。
夕日に照らされて輪郭が少し曖昧になった長瀬夜子のまつ毛とか、鼻筋とか、唇とか。全部、すごく綺麗だ、と思ってしまった。そういう場面じゃないだろ、とわかっていたのにだ。細野みかげが言う通り、僕にとって彼女は光る宝石のような女の子だった。
長瀬のスマホが震える音がした。彼女はポケットから取り出して画面を撫でる。何か返事をしているようだった。入力はあまり早くなかった。
「長瀬さん。写真撮っていい?」
え、と彼女は顔を上げた。髪がまた風に煽られて広がった。
「いいけど」
オッケー、と僕は自分のスマホを構え、狙い澄まして彼女が表情を作る前にシャッターを切る。
「うん、いい感じ」
「今の、変な顔してなかった? ……あ、そしたら三人で撮りたい」
いいよいいよ、撮ろう、と伴がやって来る。こいつの腕は長いから、自撮り棒代わりにはちょうどいい。
三人がぎゅうぎゅうに収まった写真は、すぐに共有された。伴の頭頂部と、僕の顔の左側、長瀬の右頭は切れてしまっている。でも、こういうのも悪くないな、と思った。悪くない。僕は少し先ほどの自分を恥じた。長瀬に嫌われないように、ちゃんと友達でいたいと思った。
細野たち五人は、その後も仲良くお揃いの格好で楽しそうにふざけ合っている。長瀬は時々そちらと喋っては、少し恥ずかしそうに笑う。僕と伴は彼女らの帰りを見送る時、なんとなく名前を挙げるようになった。
「じゃあな、浦部、黒崎、細野、宮川、山口」
何それ長っ、と笑われるが、名前をちゃんと呼ぼうキャンペーンなんだよ、とか言っておいた。細野はくつくつと肩を震わせていた。
「そしたら、じゃあね。長瀬ちゃん、三田村、礼央ぽん」
猫、今度見せてね、と細野が手を振る。伴は変なあだ名で呼ばれるようになったが楽しそうにしている。呼び合うって結構いいものだな、と思った。猫は見せる気はない。
僕の名前は三田村真也。僕は、自分の値段は自分で決める。それは細野みかげが教えてくれた広告の受け売りだ。それができなくなった時に、僕らは別の姿に変わってしまうのかもしれない、とそんなことを思った。
一度名前をなくした女の子は、他にふたつとない顔で笑うようになった。少なくとも、僕はそれを認識した。
それは、僕の世界にひとつ、強く眩しいスポットライトが増えたことを意味する。さんざめく笑い声に囲まれ、黒猫の夜空は少しだけ賑やかで明るくなった。
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