第4話 買い物日和であるらしい
土曜日の午後一時、空は曇り。二つ先の空名駅にあるファッションビル真下で僕らは落ち合った。長瀬夜子は体育の授業の時みたいに髪を縛って、白いシュシュをつけていた。私服は事務所で何回か見たことがあるが、なんとなく今日は少し気合いが入っているのがわかる。シンプルな水色のシャツワンピースの下に細身のデニムを履いて、上に紺の長いカーディガンを羽織っていた。
僕は服に興味がないわけではないが、変に高いものを買うよりはどちらかというと音楽やゲームとかに投資したい方だ。こういうビルの服屋には入ったことがないし、今日の服装も普段とあまり変わらない。量販店のグレーのシャツを着て、いつもの濃い色のパンツを適当に履いてきた。家を出てから、せめて髪くらいもう少し手を入れるべきだったのかもしれないと思ったけど遅い。一応中には好きなバンドのTシャツを着ているが、ロゴなんてほとんど見えない。
待ち合わせ時間ちょうどに伴が現れた。いつもの背の高い男の方の姿で、やっぱり変な緑色の地に黒のストライプと黄色の点々が入った柄シャツを着ていた。
「病気のスイカみたいな服だな」
素直に思ったことを言うと、伴はふにゃりと笑った。なんでこれが褒め言葉に聞こえるんだ。長瀬も少し目を剥いていたが、気を取り直したように口を開く。
「今日は女子の方で来るかと思ってた」
「別にコントロールとかできるわけじゃないし……。あ、でも実験はした」
「実験?」
そう、と重々しく頷く。要するに、変身している時に服などはどういう扱いになるのか、を確かめてみたのだという。手首にちょうどの太さの紐を巻きつけておいて、女の子の姿になった時はどうなるか確かめる。
「別にぶかぶかになったりしなかったな。ファジーな感じになってる気がする。あと部屋で変わってる時に母親の服を着てみたけど、着替えたりも普通にできる。戻ったら服も元に戻ってた」
「その場合女物の方はどうなるんだ……?」
「消えて、しばらくして見たら床に落ちてた」
着替えてた時どうだった、というのも気になるが、長瀬の視線が気になるので後でにすることにした。そういえば服については、僕だって猫になる時に脱げたりはしない。戻ったらちゃんと元の服を着ている。でないといろいろと危ない。
「それじゃそんなに問題はないね」
長瀬が行こっか、とビルの方を示す。伴が足を踏み出した瞬間、その姿はするりと縮んであの女の子が現れた。いつもの制服姿なので、これが基本形なのだろうか。周りは特にざわつかない。強く意識しなければ気づかないものなのかもしれない。
「うん」
柔らかなふわふわ髪の女の子は、鞄を肩にかける。眠そうな顔の羊のぬいぐるみが揺れた。
「この子の死装束を用意してあげなきゃ」
女子の服はよくわからないので、ふたりがあれこれと店を回ってはああでもないこうでもないと話しているのを横目に考え事をしていた。最初は少し口を挟んでいたのだが、途中で長瀬に戦力外通知を出された。僕はどうもシンデレラの魔女にはなれない。
伴の鞄の羊は、牧場に遠足に行った時に売店で買ったものだ。妙に熱心に眺めているので、かわいいやつ見てるじゃん、とか他の友人と声をかけた記憶がある。別にからかう意図はなかったのだが、伴はさっと照れたような顔でもごもご答えた。妹に土産、と。
伴に妹はいない。僕はそれを知っていたが、別に指摘はしなかった。単純に本人が欲しかったのだろう。そういうよくわからない見栄の張り方は、僕もたまにする。たまにして、後から変な体勢で拘束されてしまったような気持ちになる。
こいつはきっと、そうやってずっと自分を縛り続けてきたのだ。
もし本当に妹がいたとしたら、今の伴みたいに小柄で愛らしいタイプの子だったのかもしれない。でも、それはただの嘘だ。付き合っている彼女の期待を不安に感じたのも、妙に真剣な目で服を選んでいるのも、伴礼央自身なんだ。
「伴くんは色白だし、髪の色も明るいし、こっちの色の方が合うと思う」
「似合う色ってあんまり気にしてなかった」
「近い色でもちょっと違いがあるでしょ。さっきのシャツみたいなのはちょっと強すぎるんじゃないかな。黒より茶系統で……」
長瀬は案外よく喋る。その辺りから的確に、生成りの地にピンクの小花柄が咲くワンピースなんかを選び出す。そういえば、転校してくる前はどんなだったのかな、と思った。
「これ、すごくかわいい……」
「着てみる?」
裾にひらひらしたレースのついたその服を、伴はじっくりと見て、やがて勇気を出したように頷いた。店員が寄ってきて、それだとこんなアウターを合わせると、なんてセールスを始める。やがて伴はおっかなびっくり試着室に吸い込まれていった。長瀬はそこで初めて僕の方を振り向く。
「三田村くん、暇?」
「わりと……。だけど、僕じゃ全然わかんないし、来てもらえてよかった」
「自分じゃ着れない服を見られるのって楽しいから」
私、甘い系全然似合わないんだよね、と涼やかな黒髪の女の子は言う。
「ここのお店も、たまにいいなって思ってたけど入ったことないの。伴くんが気に入ったみたいで良かった」
「似合わないってことはないと思うけど」
「自分の中の自分のイメージとか、なりたい自分とか、そういうのとこう、比べてみて……それで、まあいいかなって諦めちゃうくらいの好きさ、っていうこと」
伴くんは、それでたくさんいろいろ諦めてきたのかも、と彼女は呟いた。死装束、と奴は言っていた。また諦めるつもりなのか、と少し胸が苦しかった。
試着室が開いて、伴がおずおずと出てくる。靴下と靴は学校指定のものだが、上は花畑みたいなワンピースとシンプルなカーディガンだ。胸元にも布でできた花が咲いている。
「似合う」
「すごい、かわいい!」
僕らは口々に奴を褒めそやした。別にお世辞とかではなく、小柄で細身な少女にはふんわりした服がよく似合っていた。不安げな顔が、やがて笑顔になる。
「他にもいろいろ試す?」
「や、これでいい。これがいい」
なんとなく伴を着せ替え人形にしたそうな長瀬だったが、よほど気に入ったのか、伴は店員にこのまま着ていっていいですか、と尋ねていた。会計を終え、靴下と靴も買いに行く。ついでにヘアアクセサリーなんかも見ていた。僕はやっぱり蚊帳の外だ。なんとも華やかな店と客層の中、居心地がいいわけではなかったが、少し離れて楽しそうなふたりを見ているのは悪い気分ではなかった。
「ああ、いっぱい買った」
「楽しい!」
売り場から少し離れたところにある大きな丸椅子に座り、伴と長瀬は満足げに息を吐いた。途中からは長瀬も、自分用のものをあれこれ買っていたようだ。
全然話してなかったけど、長瀬さん親切なんだね、と伴はにこにことしていた。友達と友達が仲良くなるのは、いいことだと思う。特に今は女の子ふたりにしか見えないので、非常にほのぼのとした光景だった。
「三田村ごめんな、付き合わしちゃって」
「いいよ。あとでCD屋見せて」
「スマホで買えばいいじゃん」
「ここ、配信してないマイナーなやつ置いてんの」
すっかりかわいい女の子の格好をした伴は、雑に座って長瀬に注意をされる。友人の危なっかしいところを見てどう思えばいいかよくわからなかったので、僕は少しほっとした。
「逆に、ここはCD屋以外あんまり見たことなかったから。結構発見がある」
「俺も来たの二回くらいだよ」
「普段のあの柄シャツはどこで買ってるんだよ」
「近所のおばちゃんがやってるブティックで、母親が買ってくる」
ブティックって、と僕は苦笑する。してから、自分のシャツだって親が適当に買ったものだと思い出した。見た目を人に委ねるというのは、この年齢だと結構危険かもしれない。伴も同じようなことを思ったようだった。
「でも、これからはもうちょっと自分で服選ぼうかな。シュッとしたやつ……」
それで、今日限りでそのかわいい格好もやめちゃうのか、と思った。僕は多分、何を言われても好きな曲を聴くのはやめない。イヤホンさえはめれば何も文句を言われる筋合いはない。服は他の人の目に触れるからだめなのか。似合うとか似合わないとか、好きとか嫌いとか、イメージとか。何もわからない。
「伴」
僕は立ち上がった。長瀬夜子が大きな目で僕を見た。軽く頷く。
「あのさ、来て欲しい場所があるんだけど」
小花柄のシンデレラは、色素の薄いまつ毛を瞬かせた。
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