花柄サンドリヨン
第1話 彼には秘密があるらしい
昼休み。僕、三田村真也のいる二年二組の教室では、ちょっとした言い合いが起こった。と言ってもふざけ合いの範囲だ。少しばかり調子に乗った男子が数人、女子グループが見て騒いでいたスマホの画面を覗き込んだのだ。
後で聞いたことには、そこにはモデル出身の女優が、結構アバンギャルドな感じの服装で写っていたのだそうだ。ちょっとサブカルっぽいというのか、女子受けのしそうな黒髪ショートカットの気の強そうな美人だ。覗き込んだ男子はこんなことを言った。それが火種になった。
「こういうの、参考にしてもあんましモテねえよ?」
きりり、と女子数人の眉が吊り上がる音が聞こえるようだった。割合個性的なファッションを好むタイプだった彼女らは、口々に異議を唱える。
「別にモテようと思って服とか選んでませんー」
「男子調子に乗んな」
「だいたい芸能人の写真そのまんま参考にするわけないじゃん」
男子は男子で、プライドを傷つけられたような顔をする。
「なんだよいっつも『彼氏ほしー』とかごちゃごちゃ言ってる癖に」
「言ってることとやってること違うし」
「お前のその全部の爪の色違うやつ、絶対流行んねえからな!」
後はまあ、ぎゃいぎゃいとしたやり取りだ。それでも、別に決定的に何か気まずくなるような出来事ではない。僕は少し離れたところで、アイドルの誰それみたいなやつがいいならあれは相当いけてないだの、プリン頭が俺の推しに何を言っとるんじゃ蹴るぞだの、ストレス発散のように弾ける言葉を呆気に取られながら見ていた。
「なんかすごいなあ」
どちらかというと女子側の我の強さに圧倒されています、というニュアンスを込めて、僕は誰にともなく呟く。その時僕の前の席には、友人の
伴は、一口齧った唐揚げを箸でつまんだまま、じっと口論を見つめていた。
「……すごくない?」
僕はもう一度、今度はお前に話しかけてるんだよ、という語調で繰り返す。伴はああ、と慌てた様子で僕を見ると、唐揚げを口に放り込んだ。
「
「食べながら喋んなよ」
「優先順位がわかんなかったんだよ」
「……でも、ちょっと考えちゃうな」
伴は眉を八の字にした。
「自分で選んでこういうのがいいって格好と、人に受ける格好とが違うと、大変だと思う」
「そういうものなのかな」
休みの日に遊ぶといつも度肝を抜かれる、伴の変な原色の柄シャツのことを思い出す。こいつはこいつで好きな服を着ているようで、しかも顔がいいから似合っているのだ。何も考えることはないと思うのだけど。
伴はそれだけ言ってまた視線を言い合いに戻したので、僕はこないだのお前のあの、赤地にシンプソンズのパクりみたいな変なキャラが描いてある服はやばくないか、とか混ぜ返すのはやめにした。代わりに、少し離れたところでまつ毛を伏せている長瀬夜子の方を見ることにした。
彼女はひとり何も気にしないような顔で、いつものように本を読んでいた。カバーの下にはなんとかというSF作家の短編集があることを、騒がしい教室の中で僕だけが知っていた。
その日の夜、僕は週二で通っている学習塾帰りで、そろそろハロウィンの飾り付けが賑やかになってきた駅の近くをぶらぶら歩いていた。夜七時の駅前広場は、待ち合わせや移動の人間でごった返している。裏道を行けば良かったかな、でもちょっと本屋に寄りたかったしな、なんて考えていた時のことだ。
じゃあね、伴くん、と女の子の声がした。
僕は引っ張られたように振り向く。真面目そうな黒髪をひとつ縛りにした、大人しい雰囲気の可愛い女の子が両手をひらひらと振っている。その前にいるのは、誰あろう伴だ。優しげな顔にちょっと名残惜しそうな笑みを浮かべて、片手を軽く振り返していた。女の子もいかにもまだ一緒にいたいのに、という気持ちがだだ漏れで、少し歩いては振り返って手を振り、また進んでは振り返って手を振り、という動作を何度かリピートしている。しかし最後には駅舎へ向かう人波に混ざってその姿は見えなくなっていった。伴はふう、と大きく息をついたようだった。
ふたりは制服姿だったから、放課後そのまま会ったのだろう。女子の方は進学校のブレザーだ。疑う余地もなく、話にだけ聞いていた彼女に違いない。
僕は正直、女子と付き合うということがどういう感じのものなのか、ちゃんとイメージができていない。だが、あのこちらにまで熱が伝わるようなじっとりしたムードの特別さはさすがにわかった。初めは伴に声をかけてやろうとでも思ったが、やめる。せっかくの余韻を消してしまっては悪いと感じたからだ。
だが、去ろうとした瞬間、僕は目を疑う。少し物思いにふけるような顔をして下を見た伴の姿が、急にかき消えたように見えたのだ。急にしゃがむか倒れでもしたかと焦ったが、周りは何も騒いでいないからそういう様子でもなさそうだ。僕は気が変わって彼がいた辺りに近づく。そして気がつく。
伴が立っていたところには、代わりにひとりの小柄な女の子がいた。
茶色くてふわふわした肩くらいまでの髪は、なんとなく地毛のように思えた。前髪をバッテンにしたピンで留めている。頬の辺りは少しふっくらとしてとても可愛らしい。うちの高校の黒いセーラーの上にアイボリーのニットを着ているが、色合いがなんとなくちぐはぐだ。鞄には黄色いボンボンのついたヘアゴムと、のほほんとした顔の羊のぬいぐるみが飾られていた。
伴だ、という直感があった。理由はいくつかある。髪の色や縮れた感じがそっくりなのがひとつ。同じ羊のぬいぐるみを、伴が遠足の時に買っていたのを思い出したのがひとつ。最後に何より、愛しさの熱を反芻する嬉しそうな表情が、さっきまでの男子高生とまるで同じだったからだ。背の高い男子が突然消えても、周囲は特に驚いた様子もない。特にみんな、見知らぬ他人の動向になんて興味がないのかもしれない。
そこまで判断したところで、僕はやはり声をかけるべきなのかどうか迷った。以前一度、突然人の姿が他のものに変わってしまうという、そういう現象を目の当たりにしたことがある。有り体に言えば、その現象が降りかかったのは僕にだ。だから、また似たようなことが起きたのではないかと不安がこみ上げてきた。そしてその場合、原因には多分、ごちゃごちゃした当人なりの心理的な理由があるに違いないのだ。
僕に、そんな気持ちをどうこうできるものだろうか、と思ってしまった。
女の子はにっこりと微笑むと、顔を上げてぐるりと周りを見た。僕と目と目が合う。そうして浮かべたへにゃりととろけたような笑顔は、やっぱりいつもの伴のものと同じだった。
「三田村じゃん。塾?」
一歩こちらに踏み出した瞬間、ふわふわ髪の女の子はスッと薄れるようにかき消えた。代わりにそこには、さっきまでの長身の男子高生が立っていた。
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